第049話 ー沈黙を裂く声ー
おかえりなさいませ。本日は沈黙が破られ、真実の声が響く刻をご覧いただきます。
言葉が刃となる王都の裁定を、どうぞ胸に刻んでくださいませ。
王都の空は、まだ雨を引きずっていた。
霧が残る街を歩きながら、リリアナは外套の裾を握りしめた。
修道院で手に入れた“もう一つの写本”は、胸の奥で脈を打つように重い。
屋敷に戻ると、ミーナが蒼白な顔で迎えた。
「奥さま! 宰相閣下が先ほどまでここに――!」
「ラザールが?」
「はい。突然いらして、“夫人はどこに?”と。
留守と申し上げると、“ならば王命として呼び出そう”と仰って……」
(……もう動いたのね)
リリアナは静かに外套を脱いだ。
ラザールが訪ねてきたということは、すでに修道院で見られていた。
監視の目が、灯火の陰からこちらを覗いていたのだ。
「ミーナ、心配しないで。――もう逃げないわ」
「お、お逃げにならないのですか?」
「ええ。いずれ呼ばれるのなら、自分の足で行く方が早いもの」
その時、外で蹄の音。
王都兵が門の前に整列し、王家の旗を掲げた。
「辺境伯夫人、陛下の命によりお迎えに上がりました」
ミーナが息を呑む。
リリアナは外を一瞥し、微かに笑った。
「……陛下の命、ね。宰相の筆で書かれたに違いないわ」
銀鎖を首にかけ、外套を整える。
「ミーナ、留守をお願い。
――もし閣下にこの声が届くなら、沈黙は終わったと伝えて」
馬車が動き出す。
リリアナの視線の先では、王都の塔が霧の中にぼんやりと滲んでいた。
その影の頂に、ラザールの笑みが待っている気がした。
***
王城の大広間は、まるで別の空気を吸っているかのように冷たかった。
玉座の前に立つ宰相ラザールが、ゆっくりと微笑む。
「お戻りになりましたね、辺境伯夫人。修道院への巡礼――ずいぶんと長い祈りでございました」
「祈りには、時として静寂が必要です」
「なるほど。ですが、静寂の中で何を見つけられたのか……陛下もお知りになりたがっておられます」
王が玉座に姿を見せる。
以前よりも、どこか疲れた様子。
その横には王妃の名を消した系譜書が広げられていた。
「リリアナ。お前が持つ“記録”を見せよ」
王の声は震えていた。怒りとも恐れともつかぬ震え。
ラザールが一歩前に出て、白手袋の指先を軽く動かす。
すでに、彼女が懐に隠した写本の存在を知っている。
リリアナはゆっくりと銀鎖を握り、前へ進み出た。
「陛下。王妃イリス様は、この国を守ろうとしておられました。
“灰の血”を恐れたのは、陛下ではなく――周囲に巣くう恐怖そのものです」
「黙れ!」
ラザールの声が響いた。
「王命に逆らい、禁書を持ち出した罪を認めよ!」
「罪ではありません。祈りの言葉です。――それを、王妃様は未来に託されたのです」
堂内に響く声は、まるで鐘のように静かで強かった。
ラザールの目が細まり、笑みが消えた。
「……なるほど。沈黙の夫人が、今度は声を持って現れたわけだ」
「沈黙は終わりました。今度は“真実の声”が響く番です」
その瞬間、扉の奥でざわめきが起きた。
ひとりの使者が駆け込み、王の前に膝をつく。
「報告! 北塔の警備が破られ、辺境伯アルフレッド様が――」
王の目が見開かれる。
ラザールの眉がわずかに動いた。
「……どうやら、“声なき守人”が動いたようですね」
リリアナの胸に、一瞬だけ祈りの光が灯った。
(――閣下……あなたも、沈黙を破ったのですね)
鐘が鳴り、重い扉が閉ざされる音が王都に響いた。
嵐は、もうすぐそこに来ていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
次の刻は、北塔からの脱出――“灰の血”の継承と、リリアナの選ぶ未来の行方をお届けいたします。
どうぞご期待くださいませ。




