第048話 ー声なき守人ー
おかえりなさいませ。本日は王妃の遺した灯火と、沈黙の誓いを継ぐ者の邂逅をご覧いただきます。
静寂の中で光を掴む決意を、どうぞ胸にお納めくださいませ。
修道院は、霧の海の中に浮かぶように佇んでいた。
石壁は雨に濡れ、苔むした塔の先端が雲の裾を切り裂いている。
王都の外縁、南の丘。
かつて祈りの地と呼ばれたこの場所も、今では宰相の監視下にあった。
巡礼者を装ったリリアナは、門前で静かに息を整えた。
兵の姿は見える――けれど、その数は思ったより少ない。
(おかしい……これほどの監視下なら、もっと厳重なはず)
通りすがりの巡礼たちの列に紛れ、彼女は歩を進めた。
そのとき、門番の修道女が振り向きざま、
ほんの一瞬だけ、手にした鍵を地面に落とした。
――小さな音。
女はすぐに拾い上げ、何事もなかったかのように門を開く。
その間、兵の視線が一瞬だけ逸れた。
(……誰かが、わたしを通そうとしている?)
リリアナはわずかに胸の奥で息を詰め、
機を逃さずに修道院の敷地へ足を踏み入れた。
鉄格子の向こうには、静かに光る燭台と白い修道服の列。
門番の修道女が低く言う。
「……お祈りに?」
「はい。王妃陛下の御名の下に、灯火へ祈りを捧げに参りました」
落ち着いた声で応じると、修道女は短く頷いた。
「入るがよい。ただし、声を荒らげることなく」
「心得ております」
錆びた扉が軋む音とともに、冷たい空気が流れ込む。
リリアナは深くフードをかぶり、薄暗い回廊を歩き出した。
修道院の内部は、祈りと沈黙で満ちていた。
足音だけが石床を伝い、どこか遠くで水滴の音が響く。
壁の十字架に沿って並ぶ灯火が、淡い光で道を照らしていた。
(南の礼拝堂……第四の灯火の裏)
王妃の残した言葉が脳裏をよぎる。
リリアナは足を止め、壁の装飾に指を這わせた。
「一、二、三……これが、四つ目」
その灯火の背後には、わずかな継ぎ目があった。
ろうそくの炎が揺らめくたび、石壁の影が震える。
彼女はそっと手を差し入れ、わずかに押し込んだ。
――カチリ。
鈍い音とともに、灯台の根元がわずかに開いた。
中には、古びた木箱。
リリアナは周囲を確認してから、それをそっと取り出した。
箱の蓋には、王妃イリスの紋章。
(本当に……ここに)
胸の奥が熱くなった瞬間、背後で衣擦れの音がした。
「――祈りの場に、無断で触れてはなりません、夫人」
リリアナは振り向いた。
暗がりの中に、一人の修道士が立っていた。
だがその姿は、修道服の下に隠された鎧の光を帯びている。
フードの影から覗く瞳は灰色――アルフレッドに似た色をしていた。
「あなたは……?」
「私は“声なき守人”。王妃陛下の遺した命を継ぐ者です」
男は膝を折り、静かに頭を垂れた。
「あなたがここに辿り着けたのは偶然ではありません。
――私が、宰相の目を逸らしました。」
リリアナは息を呑んだ。
「では、あなたは……閣下の血筋を――」
「遠い分家の者です。陛下の御意志を継ぐ盾として、この修道院に潜んでおりました」
男はゆっくりと顔を上げ、箱を見つめた。
「それを開くには、王妃の祈りを唱えねばなりません。
ただの鍵ではありません。“沈黙の誓い”の言葉です」
リリアナは小さく頷いた。
銀鎖を胸に握り、王妃の祈りを思い出す。
『沈黙の下に光あり。光は心に宿り、声なくして道を照らす』
その言葉を口の中でそっと唱えた瞬間、木箱の封が静かに解かれた。
淡い光が箱の中からこぼれ、古びた紙束が姿を現す。
それは王妃の筆跡――もう一つの写本だった。
リリアナはそっとその紙束を抱き締めた。
「……これが、閣下を救う真実」
守人は微かに笑みを浮かべた。
「それを持ち帰るなら、宰相が動きます。
王都の闇は、もうあなたを許さない」
「承知しています。それでも――行かねばならないのです」
修道院の鐘が静かに鳴った。
霧が少しずつ晴れ、窓から光が差し込む。
リリアナは外套の裾を翻し、
“声なき守人”の祈りを背に、再び王都への道を歩き出した。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
次の刻は、リリアナが王都へ戻り、宰相の罠と“もう一つの真実”に向き合う刻をお届けいたします。
どうぞご期待くださいませ。




