第037話 ー切り捨てられた駒ー
おかえりなさいませ。本日は切り捨てられた駒の末路と、王都の闇を垣間見る刻をご覧いただきます。静かな誇りと炎のような信念を、どうぞ胸にお納めくださいませ。
グレゴリーが拘束されてから三日後、王都からの早馬が雪を蹴立ててやってきた。
届けられたのは、わずか数行の命令書だった。
『検査官グレゴリー・ハートウェル、職務怠慢および越権の罪により罷免。即日拘束せよ。
本件、辺境伯アルフレッド・アーデンの裁定に一任する。
王都評議会 』
マティアスが手紙を読み上げた瞬間、広間には重い沈黙が落ちた。
あまりにも早い。
まるで初めから、切り捨てるつもりだったかのような速度だった。
リリアナは書簡を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。
「……早すぎますね。まるで、罪そのものを隠すための処理のよう」
アルフレッドは頷き、灰色の瞳を細める。
「そうだ。あいつは王都の駒にすぎなかった。失敗すれば即座に処分し、痕跡を消す――王都のやり口だ」
だが、その冷静な言葉の奥に、微かに怒りが滲んでいた。
王都は“真実”ではなく、“形”を守ろうとしている。
それがこの土地をどれほど傷つけてきたか、アルフレッドはよく知っていた。
夜、牢へ向かったリリアナは、わずかに開いた扉越しにグレゴリーの姿を見た。
鎖につながれた男は、やせ細った肩を震わせていた。
「……奥方様。笑いに来られたのですか」
「いいえ。真実を確かめに来ました」
リリアナは冷静に答え、灯りを掲げる。
「あなたは、誰の命令で帳簿を改ざんしたのです」
沈黙の後、グレゴリーが顔を上げた。
「……王都経理院の命令だ。だが俺はただ、上の命令に従っただけだ。
“辺境伯の失態を記録せよ”。そう言われただけだった」
「あなたは、それで誰かが傷つくと思わなかったのですか」
「思ったとも。だが、逆らえば俺が潰される。王都では、理屈など通らん」
吐き出すような声。
リリアナは一歩近づき、静かに言葉を重ねた。
「なら、あなたもこの地の犠牲者ですね。……ただし、罪は罪。閣下はお許しにはなりません」
グレゴリーは小さく笑った。
「あの男に“閣下”と呼ばれる資格があるのか、いずれ分かりますよ」
「どういう意味ですか」
「王都は彼を恐れている。だからこそ、罠を仕掛け、俺のような駒を使う。――“血”の問題は、まだ終わっていない」
その言葉に、リリアナの背筋が冷たくなった。
「血……やはり、王家のことを……?」
「ふふ、聞きたければ王都に行けばいい。陛下の玉座の裏に、答えがある」
その瞬間、背後の扉が軋み、アルフレッドの声が低く響いた。
「もう十分だ」
彼はゆっくりと歩み寄り、リリアナの肩に手を置いた。
「お前が聞く必要はない。俺の過去は、俺が始末する」
「ですが、閣下……」
「王都は“血”を理由に俺を追う。だが、俺の力を脅威とするなら、それを見せてやればいい。
俺たちはもう、逃げる側ではない」
牢の中のグレゴリーが顔を上げる。
「……まさか、王都に刃を向けるおつもりで?」
アルフレッドは短く笑った。
「刃は向けぬ。だが、誇りは奪わせん。それだけだ」
その背中を見つめながら、リリアナは悟った。
この人は、王家の血を継ぎながらも“玉座”ではなく“人”を守ろうとしているのだ。
その生き方が、誰よりもまぶしかった。
夜が更け、牢を出た後、二人は回廊を並んで歩いた。
灯りが雪解けの床に映り、足音が静かに響く。
「……王都が閣下を恐れる理由、少し分かる気がします」
「恐れるほどのことなど、していないさ。ただ、俺は民を飢えさせない。それだけで奴らにとっては脅威らしい」
冗談めかした声に、リリアナは小さく笑った。
「脅威で結構です。――この地が守られるのなら」
アルフレッドがふと立ち止まり、彼女の頬に手を伸ばした。
「お前の強さがあれば、どんな圧力も越えられる」
「わたくしが強くいられるのは……閣下が隣にいるからです」
ふたりの影が重なり、夜の灯がやさしく滲む。 雪はもう、降っていなかった。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。次の刻は、王都からの正式な召喚と、夫婦が選ぶ運命の分かれ道をお届けいたします。どうぞお楽しみにお待ちくださいませ。




