第034話 ー雪解けの決意ー
おかえりなさいませ。本日は王都の監視が強まる中、民の心を守るお二人の姿をご覧いただきます。春を待つ雪解けのような決意を、どうぞ胸にお納めくださいませ。
夜が明け、雪は静かに解け始めていた。屋根の端から滴る水が光を弾き、辺境の町は春の気配をうっすらと纏っている。
だが、温もりの裏では、また新たな不穏が忍び寄っていた。
朝の執務室。マティアスが手にした報告書を机に叩きつける。
「王都が……新たな命令を下しました。鉱山の監督官を増員し、領主家の会計にも“検査官”を派遣するとのことです」
「検査官?」
リリアナの眉が寄る。
「つまり、我々の帳簿すべてを覗くということです」
マティアスの言葉に、アルフレッドの眉がぴくりと動いた。
「監視の名を借りた支配だな」
低い声が部屋に響き、重い空気が張り詰める。
「辺境を潰すのではなく、締め上げて動けなくする……王都のやり口らしい」
リリアナは唇を噛みしめ、帳簿を抱えたまま立ち上がった。
「……放っておけば、民は怯えます。市場の商人も、鉱山の親方も。王都の監視が入れば、皆の努力が疑われてしまう」
「そうならぬように、俺たちが先に動く」
アルフレッドは窓の外を見やり、静かに言葉を続けた。
「王都の役人が何を見ようと、この領の真実は俺たちが示す。――“守られている”と民が感じられるようにすること。それが今の最優先だ」
その横顔はいつになく険しく、灰色の瞳には凍てついた光が宿っていた。
昼、リリアナは市場に足を運んだ。雪解けの水が石畳を濡らし、人々は冷たい空気の中で新しい季節の準備をしている。彼女の姿を見つけた商人たちがざわめいた。
「奥方様……王都の人間が来るって本当ですか」
「また税を上げるつもりなんでしょう」
怯えの声が交錯する。
リリアナは微笑みを浮かべて首を振った。
「ご心配なく。王都の検査は“見せるためのもの”です。私たちは何も隠しませんし、恥じることもありません。――辺境は正しく、誇り高い土地です」
その声に、人々の顔が少しずつ明るくなった。
「奥方様がそう仰るなら……信じますよ」
「辺境伯様も、きっと守ってくださる」
温かな声が広がり、冷たい空気が和らいでいく。
夕刻、城館へ戻ると、アルフレッドが執務室の窓辺に立っていた。陽光を背に受けるその姿は、まるで冬を退ける壁のようだった。
「民の様子はどうだ」
「皆、まだ不安を抱えています。けれど……わたくしが声をかけると、少しだけ笑ってくれました」
「ならば十分だ。お前の声は、この地の灯だ」
リリアナの胸が熱くなる。
「……閣下。もし王都が本当に閣下を恐れているのだとしたら、それはきっと――この地を本気で守ろうとしているからです」
アルフレッドは短く目を伏せ、ふっと微笑んだ。
「恐れるなら勝手に恐れればいい。俺はこの地を守る。それだけは誰にも譲らぬ」
その言葉はまっすぐで、迷いがなかった。
夜。窓の外では雪解け水が流れ落ち、春の訪れを告げていた。
リリアナは筆を取り、日記に静かに記す。
「王都の圧力は止まらない。けれど、わたしたちは恐れない。――この地の光は、もうひとりの心に宿っているから」
その筆跡が光を受けて揺れた。遠い王都の闇が迫ろうとも、辺境の春は確かに芽吹こうとしていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。次の刻は、王都の検査官到着と、思わぬ再会をお届けいたします。どうぞご期待くださいませ。




