第003話 ー小夜会の仮面ー
おかえりなさいませ。
本日もお運びいただき、心より感謝申し上げます。
仮面の下に隠された笑みも涙も、
どうぞ今宵はそっとお胸におしまいくださいませ。
王妃陛下主催の小夜会は、王城西翼の鏡の間で開かれる。百を超える燭台が天井を照らし、磨き抜かれた大理石に光が走る。
リリアナはエマと共に馬車を降りた。袖口には、昨夜よりも多くの金糸が編み込まれている。淡い緑のドレスは森の影のように深く、光を受けると細やかな糸がほのかに輝いた。
入口で名を告げると、侍従が声高に「セレスティア伯爵家次女、リリアナ・セレスティア」と響かせる。視線が一瞬だけ集まり、すぐに流れた。社交界では、姉セレナの名こそが光を集める。
鏡の間の奥、王妃エレオノーラが玉座の前に立っていた。薄紅色のドレスと黒髪、眼差しは微笑を含みながらも冷ややかだ。その横に、王妃派の有力貴族たちが並ぶ。
「よく来てくださいました、リリアナ様」
王妃の声は甘やかだが、その奥に計るような響きがある。
「今宵は姉君の栄誉を祝い、セレスティア家の名をさらに高めましょう」
「光栄に存じます」
言葉通りに礼を尽くす。それ以上は求められていない。
会場の奥では、セレナが花の中心にいた。ライナルトは彼女の傍らで談笑し、貴族たちは笑顔で二人を囲む。
リリアナが視線を外そうとしたとき、視界の端に灰色の影が入った。
アルフレッド・グレイバーン――昨夜の白狼が、壁際に立っていた。礼装は黒、胸章の白狼が金糸に映える。彼は静かに杯を傾け、周囲の会話に加わることはない。
やがて彼と目が合った。彼は微かに顎を動かし、リリアナに近づいてくる。
「……招待状の意図は、理解しているか」
「はい。姉の栄誉を家として祝うため」
「半分正しい」
アルフレッドは杯を置き、低く続けた。
「もう半分は、誰がどこに立つべきかを測るためだ」
そこへ王妃派の若い伯爵令息が割って入った。
「辺境伯殿、王都の夜に慣れぬご様子。こちらの作法をお教えしましょうか」
「ぜひ」
アルフレッドは即答し、杯を持ち上げた。
「だが、作法の前に――貴殿の杯は空だ。三度目だぞ」
周囲の空気が変わった。令息は口を閉じ、渋々給仕に酒を注がせる。小さなざわめきが、静かに波紋を広げた。
王妃の視線がこちらに向く。その目は笑っていない。
リリアナは小さく礼をし、アルフレッドに一歩近づく。
「……また助けていただいたのですか」
「助けたのではない。位置を変えただけだ」
灰色の瞳は、光と影の境を測るように冷ややかだった。
夜半、音楽が緩やかになった頃、王妃が再び声をかける。
「リリアナ様、姉君と共にお立ちください」
壇上に呼ばれ、セレナの隣に並ぶ。差し出された杯を受け、王妃の言葉を聞く。
「これからもセレスティア家が王国の光を支えることを祈ります」
人々の拍手が響く。その中で、アルフレッドの視線だけが変わらず冷静だった。
式が終わり、人々が散っていく。リリアナが退場しようとした時、背後から低い声が届く。
「――明日、昼過ぎに使者をやる」
振り向くと、アルフレッドはすでに背を向けていた。
今宵も最後までお付き合いくださり、
誠に光栄にございます。
次回はまた別の装いでお迎えいたしますので、
どうぞ安心してお戻りくださいませ。