第020話 ー義務の婚姻ー
おかえりなさいませ。本日は義務の婚姻が布告され、驚きと戸惑いを越えて迎え火の誓いが交わされました。黙して守ろうとする想いを、どうぞ胸にお納めくださいませ。
領内を覆う噂と姉セレナの手紙。理不尽な言葉は雪のように降り積もり、人々の心を冷やしていた。市場でも、鉱山でも、孤児院でも――「辺境伯に拾われた妹令嬢」という影は消えず、リリアナの胸を重くしていた。
その日の朝、城館の大広間に領民代表や家臣が集められた。燭台の炎が揺れ、冷たい空気に緊張が走る。壇上に立ったアルフレッドは灰色の瞳で人々を見渡し、低く告げた。
「本日、布告する。――俺はリリアナ・エヴェレットを妻に迎える」
広間がどよめく。リリアナは思わず息を呑んだ。耳を疑い、目を見開く。
(……今、何をおっしゃいましたの?)
心臓が高鳴り、視界が白む。相談もなく告げられた婚姻。驚きと混乱が胸を締めつける。だが人々の視線が彼女に集まるのを感じ、必死に背筋を伸ばした。ここで動揺を見せれば、噂は真実となってしまう。
アルフレッドは続けた。
「王都が何を言おうとも、俺の家は俺が決める。妹であろうと飾りであろうと――くだらぬ理屈だ。俺の隣に立つのは、リリアナだ。それ以外はあり得ぬ」
灰色の瞳は迷いなく、広間は再び静まり返った。孤児院の院長が目頭を押さえ、鉱山の親方は深く頷いた。人々の目に、誇りと安堵の光が宿る。
布告を終え、広間を後にした回廊で、リリアナはついに声を絞り出した。
「……どうして、黙っていたのですか。わたくしには何も知らせずに……」
アルフレッドは立ち止まり、灰色の瞳で彼女を見つめた。
「黙っていて悪かった。だが、噂はもう限界だった。王都も姉も、お前を“居候”として責め続けていた。公に布告することでしか守れなかった」
そして低く息を吐き、言葉を継いだ。
「守るためには、俺が義務として選ばねばならなかった」
リリアナは俯き、問いを重ねる。
「……義務とおっしゃいましたね。どういう意味なのですか」
「俺にとってこの婚姻は、まず“盾”だった。領民を、そしてお前を理不尽から守るために必要な義務だ」
アルフレッドは彼女の手を取り、静かに続けた。
「だが……義務のままでは終わらせぬ。守るだけでなく、共に歩む。それが俺の選んだ道だ」
その言葉に、リリアナの胸の奥の不安がゆっくりと溶けていく。
やがて、広場で再び迎え火が焚かれた。かつてリリアナが辺境に来た時に一度通った儀式。だが今回は意味が違っていた。
――最初の迎え火は「客人として受け入れる」証。
――今回の迎え火は「家族として迎え入れる」誓い。
赤々と燃える炎の前に並び立つ二人の影は、寄り添うように揺れていた。領民は松明を掲げ、祝福の声を上げる。
マティアスが問いを投げた。
「リリアナ・エヴェレット。今日より辺境伯アルフレッドの妻となり、この地を共に支える覚悟はあるか」
リリアナは胸を強く押さえ、震える声で答えた。
「……はい。必ず」
驚きの渦に巻かれた心はまだ落ち着かない。だが隣に立つ彼の瞳に宿る強さが、答えを導いていた。胸を張る自信はまだなかったが、それでも――隣に立つ誇りが確かにあった。
夜空に舞い上がる火の粉が星と混じり合い、人々の歓声が重なる。リリアナは胸の奥に広がる熱を感じていた。それは恐れでも羞恥でもなく、確かな安心だった。
「……わたしはもう、居候ではない。閣下の妻として、隣に立つのよ」
リリアナの胸の奥に小さな炎がともる。その炎はもう、決して消えることはなかった。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。次の刻からは、新たな夫婦としての日々と、王都からの更なる波をご覧いただきます。どうぞお楽しみにお待ちくださいませ。




