第015話 ー揺さぶりの噂ー
おかえりなさいませ。本日は王都から広まる噂と、その影響をご覧いただきました。冷たい言葉の中に芽生える決意を、どうぞ胸に留めてくださいませ。
王都の査閲官が去ってから数日。領内の日常は表向き落ち着きを取り戻したように見えたが、風は決して穏やかではなかった。市場の片隅で、女たちがひそひそと声を潜めるのが耳に入る。
「見た? あのリリアナ様って、まだ正式に夫人じゃないんだって」
「ええ、辺境伯様の庇護を受けてるだけだと……王都からの使者がそう言ってたわ」
噂は早い。王都の社交界で撒かれた言葉が、遠い辺境の町まで届いていた。孤児院の庭で子どもたちと遊んでいたリリアナは、その声を耳にし、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
「お嬢様……お気になさらずとも」
院長が声を掛けるが、リリアナは小さく首を振る。
「気にしてしまうわ。だって――これはわたくし一人ではなく、この土地の人々をも傷つける言葉だから」
夕刻、城館の執務室。アルフレッドは地図の上に新たな印を加えていた。街道の補修地点。鉱山の休憩所。領地の未来を描く線が増えていく。
だがリリアナは、その横顔を見ながら迷いを打ち明けた。
「……王都で、また噂が広がっているようです。わたくしが閣下に拾われた身でしかない、と」
アルフレッドの手が一瞬止まる。灰色の瞳がこちらを捉えると、迷いの余地を許さぬ声が落ちた。
「拾ったのではない。招いたのだ」
「けれど……世間は違う形に受け止めているようです」
しばし沈黙。窓の外では、迎え火の跡から立ち昇る煙がまだ薄く漂っていた。
「王都は、揺さぶりをやめぬだろう」
アルフレッドは机に置いた書簡を指先で叩いた。そこには姉セレナの名が記されている。
「セレナからの文だ。『妹が辺境で身を寄せているだけなら、家の名に傷がつく。戻るべきでは』――そう記されている」
リリアナは息を呑んだ。文面を奪うように読み、最後の一文に目を留める。
『辺境伯もきっと、ただの情けで妹を匿っているに過ぎぬでしょう』
胸がざわめいた。姉の筆致は冷たい。けれどそれ以上に、そこに込められた嘲りが痛かった。
「……義務でしかない、と」
「王都にそう思わせておけばいい」
アルフレッドは静かに答えたが、その声音の奥に、硬い刃の気配があった。
「だが、俺は義務を果たすだけの人間ではない」
夜。リリアナは机に向かい、灯火の下で紙に筆を走らせた。孤児院の子どもたちの笑顔、炭屑の火を囲む人々の声、鉱山の休憩所での安堵。――それらを一行一行、書き留める。
「義務でなく、ここに居る理由を……必ず示してみせる」
胸の奥に燃えるものは小さいが、決して消えなかった。
その夜更け。回廊を歩くリリアナに、アルフレッドの低い声が届く。
「明日、町の議場で領主としての布告を行う。お前も共に来い」
「わたくしも……?」
「ああ。誰の隣に立つかを、領民に見せる必要がある」
言葉は淡々としていたが、灰色の瞳に揺らめく火は確かだった。リリアナはその視線に背を押され、深く頷いた。
翌朝が、新たな嵐の始まりになる。そう感じながら、彼女は灯を落とした。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。次の刻は公の場に立つ布告の場面へと進みます。どうぞお楽しみにお待ちくださいませ。




