第013話 ー嵐の前触れー
おかえりなさいませ。本日は王都からの揺さぶりの影をお目にかけました。嵐を前にした静けさを、どうぞ胸に留めていただければ幸いにございます。
査閲官の馬車が去って三日。城館の中は一見落ち着きを取り戻したように見えたが、人々の表情の奥にはまだ緊張が残っていた。市場の人々は荷を並べながら周囲を気にし、鉱山の作業員たちは規則を守りつつも、どこか息を潜めている。
リリアナは朝の光に照らされた城館の回廊を歩きながら、胸の奥にざわめきを感じていた。机に並べた記録の束が重く見える。数字は正しい。改善も進んでいる。けれど、王都の目は領地から離れてはいない。次に何を仕掛けてくるのか、分からないままだ。
「お嬢様」
エマが足早に近づき、手紙を差し出した。封蝋は王都の商会のもの。開けば、冷ややかな文が目に飛び込む。
「王都より、羊毛取引に関する新たな規則が定められた、と……?」
紙には細かい条文が並び、辺境からの出荷には追加の関税を課すと記されていた。まるで査閲の直後を狙ったような一手だ。
リリアナは唇を噛んだ。
「……揺さぶりは終わっていなかったのね」
執務室では、アルフレッドが地図の上に新たな印を加えていた。港、鉱山、市場、そして街道の分岐点。
「王都は財を絞るより、人心を削ぐことを狙っている。暮らしが揺らげば、声は容易に折れるからな」
「どうすれば……?」
「答えは単純だ。暮らしを止めぬこと。それだけだ」
アルフレッドの声は静かだが、灰色の瞳は確かに火を宿していた。
その午後、リリアナは市場に足を運んだ。人々は関税の噂にざわめき、商品の値をどうするか口論が起きていた。ミリアが帳簿を抱えて駆け寄る。
「王都の商人たちが、すでに値を吊り上げ始めたよ。このままじゃ暮らしが苦しくなる」
「値を吊り上げるより、暮らしを回す方が大事です」
リリアナは俵の積み方や帳簿を確認しながら、声を落ち着けた。
「まずは食料を優先して確保しましょう。布や贅沢品は一時的に控えても、人は生きていけます」
「……分かった。子どもたちの冬の上着だけは外せないから、毛糸を先に抑えるよ」
「ありがとう、ミリア」
夕暮れ、孤児院を訪れると、子どもたちが縄跳びをしていた。だが院長は眉を寄せ、手元の帳簿を見ている。
「薪の値が一気に上がりましてね。冬を越すには心許ない」
リリアナは俯いたが、すぐに顔を上げた。
「港の倉庫に残っている燃料を調べます。……それと、木炭の粉や泥炭を混ぜて固めれば、代わりの燃料にできます」
「木炭の粉を……?」
「はい。炭を割る時に出る屑を粘土や藁と練って乾かせば、団子のように燃えます。泥炭も、湿地で取れるものを干せば火力は十分です」
院長の目に希望が灯った。
「なるほど……高価な薪だけに頼らずとも、生き延びる手はあるのですね」
「必ず冬を越しましょう。そのために工夫できることは、まだいくらでもあります」
夜。リリアナは机に向かい、今日見たことを紙に記した。王都の冷たい一手に対して、辺境が選ぶのは暮らしを守る小さな工夫。薪一本、毛糸一巻き。それを守ることが、領地全体を守ることに繋がるのだ。
「嵐は来る。でも……燃やす火を絶やさなければ」
窓の外では、雲が厚く広がり始めていた。風はまだ静かだが、確かに嵐の前触れが空気を重くしていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。次の刻は、この嵐に抗う人々の知恵と力をお届けいたします。どうぞお楽しみにお待ちくださいませ。




