第120話 ー交わる視線ー
おかえりなさいませ。
本日は、用意された席に到着し、最初の視線が交わる刻をお届けいたします。
会場に近づくにつれ、馬車の数が増えていった。
王都北区の公的施設。
石造りの外観は質素で、華美な装飾はない。慈善名義の催しに相応しい佇まいだった。だからこそ、余計な緊張が生まれる。ここは飾る場所ではなく、見られる場所だ。
馬車が止まる。
先に降りたのはアルフレッドだった。周囲を一瞥し、動線を確かめる。その仕草に、警戒はない。だが油断もない。
差し出された手に、リリアナは一瞬だけ視線を落とし、静かに預けた。触れたのは一瞬。けれど、その短さが、かえって落ち着きを与える。
「……行きましょう」
小さく頷き、二人は並んで歩き出す。
入口を越えた瞬間、空気が変わった。
声は控えめ。
笑みは丁寧。
だが、視線だけが、遅れてこちらへ集まってくる。
誰かが名を呼ぶことはない。
挨拶も、すぐには来ない。
――測られている。
それを、リリアナははっきりと感じ取った。王都で過ごした日々が、身体に覚えさせた感覚だ。だが今回は、視線の重さが違う。ひとりで受け止めるものではない。
アルフレッドは、歩調を変えない。
前にも出ず、後ろにも下がらず、ただ並ぶ。
その並びが、ひとつの答えだった。
「辺境伯様……辺境伯夫人」
控えめな声で、主催側の文官が近づく。形式的な挨拶。必要最低限の案内。過度な親しさはない。だが、無視もされない。
案内が終わると、再び視線が戻る。
その中で、ひとつだけ、動きのある気配があった。
少し離れた位置。
柱の影に近い場所。
セレナだった。
扇子の向こうから、視線がこちらに向けられる。隠そうとしたわけではない。ただ、近づかないという選択をしている。その距離が、意図を語っていた。
(……来たのね)
驚きはない。
だが、想定より早い。
リリアナは、無意識に息を整える。
視線を逸らさない。
逸らす理由が、もうなかった。
その瞬間、セレナの目がわずかに細まった。
比較が、始まったのだ。
装いでも、言葉でもない。
立ち方。
間合い。
隣にいる人物との距離。
リリアナは、肩の力を抜いた。
ここは戦う場ではない。
弁明する場でもない。
ただ、立つ場だ。
アルフレッドが、ほんのわずかに視線を向ける。問いではない。確認でもない。そこにいる、という合図だった。
リリアナは、静かに前を向く。
交わったのは、ほんの一瞬の視線。
だが、その一瞬で、十分だった。
この席が、
用意された“場”であること。
そして、その場に立つ覚悟が、
すでに整っていることを。
王都は、まだ静かだ。
だが今、確かに、
何かが始まろうとしていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
交わされた視線は、言葉よりも雄弁に立ち位置を示してくれるもの。
次の刻では、その場で生まれる小さな波紋が描かれてまいります。




