第113話 ー静かな視線ー
おかえりなさいませ。
本日は、言葉なき視線が交差する、
王都の静かな一日をお届けいたします。
翌朝の王都は、昨夜と変わらぬ顔をしていた。
街路を行き交う人々の足取りは軽く、
噂を孕んだ気配は、表には出てこない。
だが、
何も起きていないように見える時ほど、
水面下では、視線が交差している。
◆
アルフレッドは、政庁から届いた定例の書簡に目を通していた。
内容は平凡だ。
会合の予定、 通商の報告、特に波風の立つ
ものではない。
それでも、
彼は最後の一行で、指を止めた。
――「近頃、セレスティア家に関する話題は沈静化の傾向にあります」
沈静化。
その言葉は、終わりを意味しない。
むしろ、“次に動くための間”だ。
「……見られているな」
独り言のように呟くと、
マティアスが一歩前に出る。
「はい。表立った動きはございませんが、
視線は、確かに夫人に向けられております」
アルフレッドは頷いた。
攻撃ではない。探りだ。
噂が通じないと知った者たちが、
次に選ぶのは、“直接の評価”。
「……だからこそ、
こちらが崩れぬことが重要だ」
彼は書簡を畳み、机に置く。
感情を見せず、揺らがず、
ただ事実として立つ。
それが最も効く。
◆
同じ頃、
リリアナは王都の街を歩いていた。
護衛は控えめに。
目立たぬ距離を保っている。
彼女自身も、
派手な装いはしていない。
かつて住んでいた街。
見慣れた通り。
それでも、どこか違う。
(……見られている)
誰かが指をさすわけでもない。
声をかけられることもない。
ただ、視線が、すぐに逸らされる。
好奇ではない。
敵意でもない。
評価だ。
王都に生きる者たちが、
何かを測る時の、あの沈黙。
リリアナは、足を止めなかった。
背筋を伸ばし、
視線を前に向ける。
(……私は、私でいるだけ)
それでいい。
誰かの物語に、
自分を当てはめる必要はない。
◆
一方、
セレナはその様子を、
遠くから聞き知っていた。
「……何も、言われていない?」
返ってきた答えに、
苛立ちが混じる。
噂もない。
批判もない。
それは、
自分が望んでいた形ではなかった。
(……無視されている?)
その感覚が、じわじわと効いてくる。
かつては、自分が中心だった。
話題の輪の中に、自然と名が出た。
それが今は、
リリアナの名が出ても、
自分の名は添えられない。
「……そんなはずはないわ」
扇子を握りしめ、
セレナは唇を噛む。
まだ、終わっていない。
終わらせない。
だが、
その思いとは裏腹に、王都の視線は、
確実に別の場所へ向かい始めていた。
◆
夕刻。
リリアナが戻ると、
アルフレッドが迎えた。
「……街は、どうだった」
問いは短い。
リリアナは、
少し考えてから答える。
「静かでした。
でも……見られている気は、しました」
アルフレッドは、
それを否定しない。
「それでいい」
「……え?」
「今は何かを言われるより、
何も言われない方が、
ずっと安全だ」
リリアナは、
その意味を、
すぐに理解した。
守られている。
だが、
閉じ込められてはいない。
彼女は、小さく頷く。
「……信じています」
その一言で、十分だった。
王都の空気は、
今日も静かだ。
だが静かな視線は、 確かに、
次の局面を待っている。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
語られぬ評価は、やがて形を持って現れてまいります。
次の刻も、どうぞお楽しみくださいませ。




