第112話 ー越えようとする影ー
おかえりなさいませ。
本日は、静かに外へ押し出された影が、
なおも場を動かそうとする刻をお届けいたします。
王都の一角。
午後の光が差し込む私室で、セレナは扇子を閉じたまま立ち尽くしていた。
返書は、もう一度読み返すまでもない。
短く、丁寧で、そして決定的に距離のある文面。
――事実関係は整理された。
それが意味するところを、
彼女が理解できないほど、愚かではない。
(……終わった、ということ?)
否定でも、断罪でもない。
だからこそ、その一文は冷たかった。
責められもしない代わりに、味方でもない。
ただ、外へ押し出される感触だけが残る。
セレナは窓辺に視線を向けた。
往来はいつも通りで、誰も彼女を気に留めない。
それが、今は耐えがたい。
(……違うわ。まだ、終わっていない)
噂は消えていない。
ただ、語られなくなっただけ。
ならば――語らせればいい。
自分の名ではなく、第三者の疑問として。
“本来は、別の縁があったのではないか”
“順番を狂わせた者がいたのではないか”
王妃派の影が、遠くでそう囁いているのを、
彼女は知っている。
自分が口にしなくとも、誰かが拾い、形にしてくれる。
そう信じてきた。
だが――
今日は、違った。
扇子を置き、セレナは机に向かう。
宛名は曖昧に。
だが、場を動かせる相手へ。
断定は避け、疑問だけを残す文言を選ぶ。
(……これで、また動く)
自分に言い聞かせるように、ペンを走らせた。
◆
同じ頃、アルフレッドは別の報告に目を通していた。
文面は簡潔だ。
名は伏せられ、場所も限定されない。
ただ、ひとつの兆しだけが記されている。
――「第三者の疑問として、再燃を試みる動きあり」
アルフレッドは、その一文で十分だった。
「……正面を避けたか」
予想より早い。
だが、想定の内。
「同じ手は、二度は通らない」
マティアスが静かに頷く。
「はい。確認が回った今、
疑問だけを置いても、居場所はございません」
アルフレッドは書類を閉じる。
切る必要はない。
踏み込ませないだけでいい。
線は、すでに引かれている。
◆
夕刻。
リリアナは執務を終え、窓辺で小さく息を吐いた。
「……最近、王都が静かですね」
長くこの街にいた彼女だからこそ、
“何も起きていない時の違和感”に気づく。
アルフレッドは横顔を見る。
「静かな時ほど、気を抜かない」
それ以上は語らない。
知らせないのは、隠すためではない。
守るためだ。
リリアナは一瞬だけ考え、
それ以上、問わなかった。
信じている。
それが、今の二人の距離だった。
◆
夜。
セレナは書状を封じ、深く息を吐いた。
(……まだ、私の番は終わっていない)
そう思わなければ、立っていられない。
だが、その一歩が、
どこまで届くのか――
彼女自身が、一番わかっていなかった。
王都の夜は、静かに更けていく。
引かれた線の外側で、
越えようとする影だけが、なおも動いていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
引かれた線に抗う一歩は、やがて次の局面を呼び寄せます。




