第110話 ー先に塞ぐ手ー
おかえりなさいませ。
本日は、噂が刃となる前に、
静かに塞がれる一手をお届けいたします。
王都の朝は、柔らかな光に満ちていた。
だが、その穏やかさは、
必ずしも人の心を映すものではない。
アルフレッドは執務机の前に立ち、
窓越しに街を見下ろしていた。
動いている。
だが、騒ぎにはなっていない。
――それが、今の状況だ。
「噂は、広がりきる前の段階でございます」
背後で、マティアスが静かに報告する。
「断定はなく、
ですが“筋”として語られる場が増えております。
茶会、私的な集まり、
そして――その後の私語です」
アルフレッドは、頷いた。
「意図して広げている者がいる。
だが、全面に出てはいない」
それは、
最も扱いづらい形だった。
悪意がはっきりしていれば、
切るのは容易い。
だが、
“そう受け取られた”という余白は、
刃になりにくい。
「……泳がせれば、
自然に沈む可能性もある」
マティアスは、言葉を選ぶ。
「はい。
ただし、夫人のお耳に届く前に、
線を引く必要がございます」
アルフレッドは、短く息を吐いた。
「……同感だ」
彼は、机の上の書簡を一枚手に取る。
公的な文面。
感情は、排されている。
「中立貴族へ、
“事実関係の整理”を回す」
それは、
反論でも、否定でもない。
ただ、
確認だ。
・正式な婚約の有無
・記録の所在
・夜会で起きた事実のみ
余計な言葉を挟まない。
感情を刺激しない。
「噂を潰すのではなく、
立つ場所を失わせる」
アルフレッドの声は、
低く、静かだった。
「……それが、
最も角が立たぬやり方でございますね」
マティアスが、微かに微笑む。
アルフレッドは、
ふと、隣室の方角を見やった。
リリアナは、
まだ何も知らない。
――知らなくていい。
彼女が傷つく必要はない。
少なくとも、
自分がいる間は。
「夫人には、
こちらからは何も伝えない」
「承知いたしました」
「だが――
もし、直接耳に入るようなことがあれば」
アルフレッドは、
そこで言葉を切った。
それ以上は、
語る必要がなかった。
守るべきものは、
すでに定まっている。
王都の空気は、
静かに張り詰めていた。
だがその内側で、
一本の線が、
確かに引かれようとしていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
語られ始めた言葉には、語らせぬための手もまた存在します。
次の刻では、その線がどこまで届くのかが試されてまいります。




