第108話 ー意図しない波紋ー
おかえりなさいませ。
本日は、言葉にされなかった一言が、
どのように噂として育っていくのかをお届けいたします。
王都の噂は、いつも静かに始まる。
声を潜めた一言。
意味ありげな視線。
断定しないからこそ、
人は勝手に続きを補っていく。
セレナは、その流れをよく知っていた。
だから――
自分は“言わなかった”。
ただ、
「そう受け取られても仕方のない話」を、
然るべき相手に、
然るべき距離感で置いただけだ。
「……ええ、わたくしも驚いていますの。
まさか、あの方がそこまで……」
王妃派とは距離を置くが、
完全に無関係ではない貴族夫人。
セレナは、茶器に指を添えながら、
困ったように微笑んだ。
「本来なら、
もっと穏やかな形があったはずなのに……」
それ以上は言わない。
――辺境伯の名も。
――妹の名も。
だが、
相手は勝手に思い出す。
夜会での空気。
公爵家の警備強化。
記録が取られたという話。
そして、
いつの間にか囁かれていた“もう一つの筋”。
――辺境伯は、
当初はセレスティア家の長女と
縁を結ぶ可能性があったらしい。
――それが、
妹の婚約破棄をきっかけに流れた。
――だから、
今の夫人は“割り込んだ形”なのだと。
セレナは、
その噂が形を持ち始めていることを、
夕刻には把握していた。
(……言ってないわ……)
心の中で、そう繰り返す。
事実として、
自分は断定していない。
虚偽を語ったわけでもない。
ただ、
“余白”を置いただけ。
それをどう埋めるかは、
聞いた側の想像力次第だ。
(……わたくしは、
傷ついた側なのだから……)
そう思えば、
胸の奥のざらつきは、
かろうじて正当化できた。
一方で。
同じ噂は、
別の形で、
アルフレッドの耳にも届いていた。
「……なるほど」
短く息を吐く。
怒りは、表に出さない。
だが、
灰色の瞳は、明らかに冷えていた。
「“言っていない”が、
“始まっている”……か」
彼は、すぐに理解した。
誰が、
どこまで意図しているか。
そして――
誰が“逃げ道”を失いつつあるか。
リリアナは、
その噂の存在自体を、
まだ知らない。
だからこそ、
アルフレッドは、
先に動く必要があった。
これは、
偶然ではない。
だが、
完全な悪意とも言い切れない。
その曖昧さこそが、
最も厄介だった。
王都の空気は、
静かに、しかし確実に揺れている。
そしてその波紋は、
次の刻、
誰かの口から“形ある言葉”となって
表に現れようとしていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
語られぬ真実ほど、都合よく語られるもの。
次の刻では、その噂が避けられぬ形で表へ現れてまいります。




