第106話 ー縋る先の温度ー
おかえりなさいませ。
本日は、セレナが“味方”を求めて踏み出し、
その温度差に直面する刻をお届けいたします。
王都の朝は、いつもより静かに感じられた。
セレナは馬車の中で背筋を伸ばし、膝の上で扇子を整える。
昨夜の夜会から一夜。
噂は止まったわけではないが、広がり方が変わっていることを、
彼女は肌で感じていた。
(……だからこそ、今、行かなければ)
向かう先は、王妃派の私邸。
これまでなら、呼ばれる側だった。
だが今日は――自分から扉を叩く。
馬車が止まり、名を告げる。
応対に出た侍女の目に、かつての即断はなかった。
「少々、お待ちを」
その一言が、胸に刺さる。
(……前は、こんなこと……)
通された客間は整えられているが、どこか距離を感じさせた。
しばらくして現れたのは、王妃派の重鎮の一人――
穏やかな笑みを浮かべたまま、椅子に腰を下ろす。
「お久しぶりですね、セレナ嬢。
……昨夜は、なかなか大変だったと聞いています」
“聞いている”。
その言い方が、すでに立場の差を示していた。
セレナは、準備してきた言葉を選ぶ。
「わたくしは、被害者ですの。
妹の件で、身に覚えのない噂が――」
重鎮は、遮らない。
だが、同調もしない。
「噂の件は、公爵家の記録が出ましたね。
中立の場で、正式に」
空気が、ひとつ下がる。
(……違う……そこじゃない……)
セレナは、話題を変える。
「本来なら……
辺境伯夫人の座は、わたくしのものだったはずです。
王妃派でも、そう言われてきましたわ」
言葉を置いた瞬間、
重鎮の視線が、わずかに細くなる。
「……“そう言われてきた”のは、
可能性の話に過ぎません」
静かな否定。
しかし、はっきりとした線引きだった。
「現実には、
辺境伯殿は、すでに妻を迎えている。
しかも――
彼は、昨夜、はっきりと意思を示した」
セレナの胸が、冷える。
「……では……
わたくしは、切り捨てられるのですか?」
言ってしまった、と自分で分かる。
だが、止められなかった。
重鎮は、ため息にも似た間を置いた。
「切り捨てる、という言い方は適切ではありません。
ただ……
“守りきれない話”が増えたのです」
守りきれない。
それは、
これまで“守られていた”ことの裏返しだった。
「王妃派としても、
今は無理に火種を抱える時ではない。
あなたの立場を、これ以上揺らがせたくはありません」
それは、
慰めにも、警告にも聞こえた。
セレナは、返す言葉を見つけられない。
(……味方のはずなのに……)
立ち上がる時、
重鎮は最後に、静かに告げた。
「しばらくは、
表に出ない方が賢明でしょう。
噂が冷めるまで」
それは事実上の――
“身を引け”という勧告だった。
私邸を出たセレナは、
空の色が昨夜と違って見えることに気づく。
王都は、変わった。
少しずつ、しかし確実に。
(……違う……
わたくしは、間違っていない……)
そう言い聞かせながら、
扇子を強く握る。
だが、胸の奥に残るのは、
冷えた手応えだけだった。
縋った先の温度は、
思っていたより、ずっと低かった。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
縋る先が冷たい時、人は次の一手を誤りがちです。
次の刻では、その兆しが静かに形を取り始めます。




