第102話 ー最初の矛盾が落ちる音ー
おかえりなさいませ。
本日は、最初の“事実の矛盾”が広間へ落ちる刻をお届けいたします。
封蝋が割れる、乾いた小さな音。
それだけで広間の空気がさらに緊張を帯びた。
噂ではなく、
誰も否定できない“記録”が開かれる瞬間だった。
アルフレッドは封筒から数枚の紙を取り出し、
一番上の一枚を静かに掲げる。
「これは——公爵家記録官による、
“当日の夜会の状況報告”だ」
ざわめきが上がりかけたが、すぐに収まった。
セレナは扇子を口元へ寄せ、微笑を保つ。
だが、その目の奥は以前より深く揺れていた。
アルフレッドは、淡々と読み上げる。
「『当夜、公爵家大広間にて三名の高位貴族令嬢が口論。
うち二名は当家客人、残る一名はライナルト殿下の婚約者。
口論の原因は“衣装の色被り”および“侮蔑的発言”。
侮蔑の言葉を発したのは——』」
その瞬間、
広間が息を飲んだ。
セレナの指先が、ほんの僅かに止まった。
アルフレッドは続ける。
「『——セレナ・セレスティア嬢である』」
噂の“筋書き”とは逆だった。
リリアナが侮辱したのではなく、
セレナが始めていた。
しかし、アルフレッドはそこで終わらせなかった。
「さらに、こう記されている」
彼は次の行へ視線を落とす。
「『リリアナ嬢は終始沈黙を保ち、
他者への非難・反論を行わず。
傍らで同席していたライナルト殿は、
状況を把握していながら制止を行わず』」
沈黙。
重い沈黙が落ちた。
(……わたくし、あの時……)
リリアナの胸に、遠い記憶が蘇る。
光の強い天井、笑い声、
姉の鋭い言葉。
手のひらが震えていたこと。
何も言えなかった自分——。
(でも……“言えなかった”のではなく……
“言わないと決めた”んだ)
それを、今、記録が肯定してくれている。
対してセレナの微笑みは、
保っているのに、どこか形が不自然だった。
「まあ……記録官の主観もあるでしょうし……
わたくしの意図とは違った受け取り方を——」
言葉は滑らかだが、
扇子を握る手が強張っている。
その瞬間、
王妃派ではない中立の貴族がぽつりと言った。
「では……なぜ“妹君が姉君を侮辱した”という話が
王都全体へ広まったのでしょう?」
空気が揺れた。
セレナは扇子をぎゅっと握りしめる。
「そ、それは……きっと誰かが誤解して——」
アルフレッドの声が静かに重なる。
「『侮蔑的発言を周囲に繰り返し説明したのは、
セレナ嬢であった』——
記録にはそうある」
その一言が、
広間の空気を決定的に変えた。
リリアナは胸に刺さる痛みと共に、
姉の背中が小さく見えた気がした。
(姉様……
あの噂は……自分で広めたの……?)
セレナは口を開いたが、
言葉は出てこなかった。
記録の紙が、
ただ静かにそこへ存在する。
嘘でも誤魔化しでもない。
“事実”という重さを持って。
アルフレッドは、
場を支配しようとすることなく、ただ穏やかに言った。
「——これはまだ、1枚目だ」
ざわめきが広がる。
「続きには、
さらに当日の状況が詳しく記されている。
読むかどうかは、皆さまの判断に委ねる」
誰も、
“読むな”とは言わなかった。
セレナの扇子が、かすかに震え続けていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
噂と事実のわずかなずれが、
この先、より大きな波となってまいります。




