第101話 ー封蝋の前で揺れる影ー
おかえりなさいませ。
本日は、真実が開かれる直前の緊張と揺らぎをお届けいたします。
公爵家の印が押された封筒が、
アルフレッドの指先で静かに揺れていた。
広間を満たす沈黙は、
さきほどまでの“噂”とは違う重さを帯びている。
(あれが……公的記録)
貴族たちは息を潜め、
セレナは扇子の影で笑みを保つ。
だが、その横顔は微かに強張っていた。
「……閣下。それを……今、開封なさるおつもりで?」
セレナはできる限り柔らかく声を発した。
その音色には、
“今ここで開けないで”という願いが、ごく細く滲んでいた。
アルフレッドは視線を向ける。
「ここで開封する必要があると判断している」
淡々とした声。
怒気も高圧もない。
だが、揺らぎもない。
(……閣下のこの声……
真実を告げる時の声)
リリアナは胸の奥が震えるのを感じた。
彼が誰かを追い詰めるために動いているのではない。
“嘘で傷つけられた者”を守るために、静かに剣を抜く声だ。
セレナの扇子が小さく閉じられる。
「わたくしにとっても辛いことが多かったのですの。
それでも……家族として、
妹を責める気持ちは……」
広間に散っていた視線が、彼女へ戻っていく。
けれど——
以前ほど完全に支配された空気ではなかった。
(違う……思ったほど、同情が集まらない)
セレナ自身が、一番それを理解していた。
噂の筋書きは、人の心を揺らす。
しかし、公的記録という“重し”が机に置かれた瞬間——
虚構は音もなく傾くのだ。
*
「辛い思いをしたのは、あなた一人ではない」
アルフレッドの声が、静かに広間を満たした。
「だからこそ、曖昧な噂ではなく、
事実を基に判断する必要がある」
セレナの指先が震える。
それでも笑みを保ち続ける。
リリアナはその姿を見つめながら、胸が痛んだ。
(姉様……どうして……
どうして、そこまで“語る自分”に縋ってしまうの)
彼女の中にあるのは、怒りではなかった。
ただ、何か大切なものがすでに壊れているのだと理解する痛み。
アルフレッドは封筒を手の中で返し、
どこか思案するように視線を落とした。
「——開封する前に。
一つ、皆さまにお聞きしたい」
広間の全員の視線が彼に向く。
「噂と記録。
二つが提示された時、
どちらを“判断の基準”とするべきか」
その問いに、誰も即答できなかった。
噂は身近で心地よい。
だが、記録は重みを持つ。
しばし沈黙。
そして——
王妃派ではない若手貴族が口を開いた。
「……記録、かと。
誰の記憶にも左右されないものですから」
その一言が、空気を変える。
“噂が優位”という前提が、静かに外れた。
セレナの手元の扇子が、ふっと下がる。
アルフレッドはその反応を確認するように、
リリアナへ一瞬視線を送った。
(大丈夫だ。私がいる)
言葉はなかった。
だが、その視線だけでリリアナは胸の奥が温かくなる。
「では——」
アルフレッドが封筒へ指をかける。
その音さえ聞こえそうな沈黙の中で、
広間の全員が固唾を呑んだ。
事実が、この場に姿を現そうとしていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
噂と記録、その間に揺れる心が、
次の刻でいよいよ答えを迎えてまいります。




