第100話 ー真実が触れた瞬間ー
おかえりなさいませ。
本日は、噂と事実が初めて交わる緊張の瞬間をお届けいたします。
広間の空気が、静かにざわめいていた。
王妃派の侍女たちが配り歩いたのは、
“証言を書くための紙”ではなかった。
──『語るべき筋書き』。
小さな紙片には、
「リリアナが姉に冷たかった」
「元婚約者を困らせた」
「辺境伯に取り入ろうとしていた」
そんな“方向性だけ”が、曖昧な言葉で並んでいた。
その紙を受け取った貴族たちは、
まるで合図を共有したかのように
同じ噂を囁き始める。
「そういえば当時……」
「確かにそんな場面を見たような……?」
記憶は曖昧でも、
“同じ物語を聞かされれば”
人の認識は揺れる。
セレナは、その中心に立っていた。
痛ましげな微笑の奥に、
確かな自信を宿して。
(これで空気は、わたくしのもの……)
そう思いかけたその時。
「少々、皆さまに申し上げたいことがある」
広間の中央で、
アルフレッドがゆっくりと一歩前に進んだ。
その瞬間、ざわめきがすっと引いた。
「“噂の筋書き”を渡すのは構わない。
記憶を整理するつもりなのだろう。
だが——」
彼は白紙の紙片を軽く持ち上げる。
侍女が配ったものと同じ形式だ。
「これは証拠にはならない。
ただのお話だ。
おとぎ話と同じで、
語る者の都合の良い形になる」
皮肉でも怒りでもない。
ただ事実を述べるだけの声。
セレナの扇子が、ふっと止まった。
アルフレッドは続けた。
「一方で、事実を記録した“第三者の証言”がある。
当時の夜会に居合わせ、
公的立場から記録した者たちのものだ」
広間がわずかにざわつく。
「第三者……?」
「公的な記録……?」
セレナの頬がわずかに強張った。
それでも笑みは崩さない。
「まあ……そんなものが残っていましたの?」
「残っていたのではない。残されたのだ」
アルフレッドは懐から封筒を取り出す。
封蝋には、公爵家の紋章。
どよめきが走る。
「公爵家は王国儀礼の記録を常に残す。
そこには“主観”が入らない。
これが事実に最も近い」
セレナの喉がかすかに動いた。
アルフレッドは続ける。
「もし“噂”を語りたいなら、語ればいい。
だがその前に——
こちらの“事実”にも目を通していただこう」
その言葉に、広間の空気が変わった。
噂ではなく、
誰かの感情でもなく、
“事実があるらしい”。
その重さが、場を静かに支配する。
リリアナは息を飲んだ。
(閣下……わたくしを……守るために……)
しかしアルフレッドの瞳は、
守る優しさと同時に、
“嘘を許さぬ強さ”を宿していた。
セレナは微笑んでいたが——
扇子の内側で、指先が小さく震えていた。
(こんなはずでは……
空気はわたくしのはずだったのに)
噂の支配と、事実の壁。
その二つが初めて触れ合い、
広間の空気は大きく揺れ始めていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
噂という“物語”と、公的記録という“事実”。
その差が、広間の空気を静かに変え始めました。




