I: 北国にしては熱すぎる夏
文系学部棟から外へ出て大学キャンパス内のメイン通りを横切って学食に入る。直線距離にして200メートル程度だろうか。数字だけで見れば大したことはないのかもしれないが、ここ最近しつこく続いている炎天下の中ではこの距離すらも命取りになりそうだった。
じりっとした熱波が自分の腕を焼いていく感覚。目と鼻の先でも油断はできないとばかりに、麻衣は日傘を取り出した。
「あ、ヒガサニスト」
「そんなの聞いたこと無いから」
「今私が作ったから。……っていうか、そんなこと言ってるウチにあたしが干涸らびそうだから、早く行こ」
「って、ヒカルも入りなよ。これそんなに小さくないんだから」
麻衣の高校からの友人である倉持光は生憎ヒガサニストとやらではないらしい。日焼け止めは付けていてもここまでの陽射しの強さは予想していなかったようだった。幾分か落ちきてはいるものの、光はまだまだ日光を反射できそうなまばゆい金髪を揺らしながら麻衣が差し出す日傘の陰に入った。
畳まれているときはコンパクトに見えるが、開けば意外に大きい。女子大学生ふたりの上半身に日陰を作るくらいは容易いようだ。
「うれしー助かるー……って、え! スゴッ、これ! マジで? こんなに違うの!?」
「だからヒカルも買おうよって言ったでしょ」
麻衣も光もランチ終わりの時間帯である3限目は空きになっていたための混雑回避だ。お昼のピークタイムからは少しだけ後ろにズレた時間帯の中央食堂は比較的空いている。適当に食べるものを選んでからでも充分に空きスペースを探せる程度だった。
「あー……生き返るぅ」
「やっぱりクーラーってありがたい……」
1分程度しか外には出ていないのにこのぐったり感である。雪国生まれ雪国育ちのふたりにこの暑さはやはり相当堪える。
とはいえふたりとも夏バテとは案外無縁なようで、メニューリストを見ているうちに少しずつ回復してきたらしい。麻衣は冷やし中華を、光は冷やし担々麺を注文し、何となく適当な席を選ぶ。どこに座るかなどと具体的な会話を交わすこともなく、すっと同時に席を選んだあたり息が合っている。
光はセルフサービスのお冷やを席に着くなり半分ほど空けてしまったので再度席を立った。戻ってきたときには両手にグラスが握られていた。たしかにコレならある程度は保つだろうが、なかなかの欲張りさんであった。
「さっきの日傘、助かったわー」
ようやく落ち着いたとばかりに光が話を進めていく。
「まさかあんなに違うとは思わなかったわ」
「だからこの前いっしょに買おうって言ったのに」
「さすがに要らないでしょって思ってたあたしがバカだったわ。この夏を舐めてた証拠よね」
ぐびっと勢いよく水を飲み、さらには大きく唸りながらながら光は言う。早くもグラスのひとつが空になった。
「いやー、どーしよ。今日買いに行こうかな……」
「良いよ、いっしょに選ぼうよ」
「え、良いの? 何か予定とか大丈夫?」
「とくに。今日はバイトもお休みだし。……ま、無くても大抵図書館にいるから大して変わんないんだけどね」
ちゅるりと麺を啜る麻衣だったが、一緒のタイミングで箸を持っていた光はその動きを止めた。
「試験前でも図書館? え、何よ、それ。強者の余裕ってヤツ?」
「えー、むしろ逆じゃない? いつでも資料探しできるし、空調効いてて涼しいし」
「あ、そうだわ。たしかに。よくよく考えたらそうよね」
冷静になったと同時に、光は豪快にずるっとひとくち頬張る。ぷっくりと膨らんだ頬はさながらリスのようだった。
「ラウンジはエアコン効いてるし、相談とかしてても案外大丈夫だし。学習室とかもあるからグループで勉強とかレポートとかもできるし、コンセントもあるからパソコンのバッテリー気にしなくて良いわよ」
「何その至れり尽くせり」
「大学の施設なんだから利用しなよ」
その通りだ、と光は小さく頷く。
学外のニンゲンにもせっかくの開かれた施設である。それを学内のニンゲンが使わないのはたしかに勿体ない。それに最近は冷房完備でないと少々の自学にも集中できないような夏になっている。いち早くそういう環境を見つけることは大事かもしれない。
「……だったら私も図書館に籠もろうかな。涼しいなら何でもいいわ」
「おいでおいで。一緒に勉強やろうよ」
「まぁ、あたしとマイってそこまで講義の取り方違わないしね」
麻衣は文学部、光は経済学部。文系という共通点はある。2年生の夏ということで、まだ若干ではあるが共通の講義を受けているコマはあるので、近しい時間の使い方にもなる。
「あ、そうだ。バイトって言ったらさぁ。マイ、けっこうがんばってるんでしょ?」
「んー……、まぁ、そうなのかなぁ」
「高2の夏にコンビニバイトが2週間くらいしか続かなかったマイが」
「ちょっ」
麻衣は思わず麺を咽せそうになった。
「……何でそれを今蒸し返すのよー」
「だって、いろいろと笑劇……衝撃的だったし」
「何か今、わざとらしい紛らわしいことした?」
「気にしない、気にしない」
自分を敢えて困難な場に置いてみようと接客業に手を出して、敢え無く撃沈した夏。
今の麻衣の中では悪くはない思い出として昇華できているのだが、とはいえそれも漸くと言った具合。親友と呼べる間柄である光にも、今年に入ってから図書館でのバイトの面接を受けようか相談するときまで黙っていたほどに、実はごく最近まで引き摺っていたことだったりする。
「まぁでも、どうにか続けられてるとは思う。続けたいとも思ってるし」
「やりがい感じちゃった的な?」
「んー、そんな感じかなぁ」
熱血的で自発的なやりがいのようなモノの中を今までの人生で通過した記憶がなかった麻衣には、イマイチその感覚が掴みきれない。恐らくは体育祭や学校祭での盛り上がりともまた違う物なのだろうと思えば、やはりその輪郭は朧気だった。
いっそのこと本に相談でもしてみようか、とも麻衣は思った。
「しっかりがんばんないと。肩書きまでもらってンだからさ」
「そうなんだよねー、……まさかそんなことになるなんて思ってなかったけどぉ」
ひとつ大きく息を吐いて水を口に運ぶ麻衣。
「何だっけ? 相談室室長? 名前だけ聞いたらだいぶ重そうよね」
「たしかにね。でもサポートしてくれる先輩の司書さんとかが優しいから」
「そっか」
なら安心という言葉を麺ごと啜り込む光。しっかりしてそうな雰囲気をわずかに醸し出しているように見せかけて、しっかりと頼りないところがある麻衣のことをよく知っているからこそだった。
「この前はどうだったの?」
「んーとねぇ……」
麻衣は先日の中学生がやってきてくれた件について、光に話し始めた。もちろん相談者のプライバシーに関わる部分はしっかりと伏せつつも、大学生やその他の大人たちがたくさんいるところに勇気を出してひとりでやってきて相談内容を自分の言葉で話した女の子と、その子とおばあちゃんとの思い出が詰まった本を無事に探し当てたことを教えると、光は口をぽかんと開けつつも感心した様子で頷いた。
「ほえぇ……」
「口閉じて」
「おっとと」
口を閉じながらも、お冷やを一旦口に運ぶ光。
「やるじゃぁん」
「ありがと」
「しかも、めっちゃイイ話じゃん、それ」
「ね。優しい子だったなー」
これからも本を健やかに愛してほしいと麻衣は思っていた。
「じゃあ今度図書館で勉強するわ。マイの勇姿眺めながら」
「……しっかり自分の勉強に集中するよーにっ!」
びしぃっ! と強めに指をさす麻衣だったが、当然ながらこれは照れ隠しに他ならない。そんなことは光も完全に理解していた。
「そもそも試験期間はバイト休み、相談室も臨時休業だから」
「はいはい」
分かってるのか分かってないのか、よくわからない返事をしながら、光はさらにもう1杯水を求めた。
○
ちなみにだが。
テスト期間が終わって相談室業務にも戻っていたタイミングで、その相談者の中学生である佐々島翌凪が退院した彼女の祖母といっしょにやってきてくれたことと、お礼を言われて危うくうれし泣きしそうな麻衣がたまたま居合わせていた光に茶化されたのはまた別のお話。




