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宇津木麻衣はきこえてる 〜本の声が聞こえる図書館〜  作者: 御子柴 流歌
Voice.4 「祖父の愛した理学書」

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4-3: 呼吸



 書庫に差し込む光は線が細く明朝体の横画のようだ。それに併せたわけではないだろうが、棚と棚の間の通路は本館の閉架よりも狭い気がする。


 そこに並ぶのは装丁の色が落ち着いた本たち。背に金文字。布クロス。薄い紙のラベル。書名が擦れて読めないものもある。


 そして、音がない。


 もちろん完全な無音ではなく、空調の音や建物の軋む音もわずかにだが必ずある。


 でもそれらが音として意識に上がってこない。ここでは本に音が吸い込まれているようだった。


「棚記号で言うとこっち。理学の叢書の並びのあたりね」


 はるかが手元のメモを確認する。端末室で控えた棚記号と資料ID、そして請求記号。紙の上の文字が麻衣には頼もしく見える。


「はい」


 麻衣は周囲を見回す。赤い背表紙はまだ見当たらない。


 赤は目立つはずだ。だが目立つからこそ、見つからないのが変に感じる。


 麻衣の耳の奥が、少しだけざわつく。


《……そこじゃないんだ》


 今度の声は、はっきりと方向を持っていた。


 声は棚の並びの奥を指している気がする。麻衣は反射的にそちらへ視線を向けた。


「……マイちゃん。今、何か聞こえた?」


「あ、……いえ、その」


 はるかが、麻衣の視線の動きに気付いたらしい。麻衣は一瞬だけ言葉に詰まる。


 もしかすると自分にしか聞こえていないかもしれない。だが、それは本当は自分の気のせいかもしれない。


 そう考えて本当に瞬間的に二の足を踏んでしまったが、麻衣はどうにかその歩を進める決心を付けた。


「……《そこじゃない》って、聞こえたような」


 はるかが目を細め、笑った。


「なるほど。じゃあ二手に分かれようか。純平くんは私と一緒に『データ上の場所』を当たってみて。マイちゃんは、声がする方に向かってもらおうかしら」


 純平が目を丸くする。


「宇津木さんに任せきりで申し訳ないんですけど」


「任せきりじゃなくて、役割分担。……ほら、理学部の子がデータの場所を見たほうが納得できるでしょ?」


「……たしかに」


 一理ある、とは思う。純平の顔が、少しだけ真剣になる。


 祖父の本を感覚だけで見つけたと言われたら、それは嬉しい反面どこかで不安になるかもしれない。ちゃんと根拠が欲しいと純平は思っていた。


「宇津木さん、よろしく」


「ええ」


 麻衣は小さく頷き棚の奥へ向かう。


 声がする方へ。まるでかくれんぼの鬼になったような気分だ。ノスタルジーな色味しかないこの書庫の中、姿の見えない誰かを探すような気分だった。


 奥の方まで進んだ麻衣は一旦深呼吸をしてみる。棚の列は似た背が連なっているせいか、何となく焦点が定まらない。けれど、ここでは目よりも先に気配が触れてくる。紙の湿りと、布の乾きと、金文字の鈍い匂い――それらが、微かな重なりとして呼吸の外側に漂っていた。


《違うよ、君が探してるのは、もう少し()()んだ》


 左手の棚から、ひそひそとした声。


《赤は派手なモノではない。沈んだ赤。焦げたみたいな赤なんだ》


 今度は右、背の薄い叢書が並ぶあたりから。


「ありがとう」


 麻衣は礼を言いながら頷き、棚の背表紙を指先でなぞるように目で追う。視線が迷うたび、別の声が短く割り込んできた。


《金文字の並びを見て。そこだけ少し欠けていないかい?》


《通路を一つ開けてみよう。ほら、そのハンドルの先だ》


 はるかの回すコンパクト書架の音が遠くで鳴った気配。金属の振動が床を伝ってくる。その揺れに合わせるように、古い背たちが、わずかに息をついた気がした。


 麻衣は通路の角で身を横にし、光の細い線が落ちる場所へ移動する。そこで、声がひとつにまとまる。


《……お嬢さん、息を忘れていないかな?》


 ついに()()()がした。


 言われるがままに麻衣は息をする。


 深く吸うと、古い紙の匂いが胸の奥へ落ちる。そこに微かに、インクと布の匂いが混ざる。


 ――赤い背表紙。


 麻衣の目が棚の隙間の色を拾った。


 暗い茶色の並びの中に、くすんだ赤。鮮やかではない。時間で沈んだ赤。


「あ……」


 麻衣は、そこで足を止めた。


 赤い背表紙は、棚の奥の奥、手前の列に隠れるように置かれていた。正面からだと見えない。少し体を傾けないと赤が覗かない位置。


 棚の前に立つと、声が重なる。


《――ようやく、息をしたね》


 低い、落ち着いた声。声の主は、ここだ。


「……あなたですか?」


 麻衣が問いかけると、その声の主は返事の代わりにもうひとつの言葉をよこした。


《札を見て》


「札……」


 麻衣は本の背の下部へ視線を移す。


 そこには小さなラベルが貼られている。


 そして、背の内側――棚板に沿って、古い紙片が差し込まれていた。


 貸出票のようなカード。


 あるいは、差し込み札。


 どこかで見たことがある形――あの『古い運用のカード』に似ている。


《それが鍵だ》


 麻衣は、ふっと息を吐いた。


 鍵。紙。そして扉。


 幾度となく聞いた言葉が線を描いていく。


 しかし、その線はまだまだひとつにはならない。薄らとなぞられていくだけの線も混ざっている。


「……もしかしたら、今私たちが逢いたかった本があなたかもしれないの」


《へえ、そうかい。それはまた珍しいね》


 カードを抜く。その紙質は硬いが、破れるほど脆くはない。間違いなく脈々と守られてきたモノだと解る。


 そのカードの表面には手書きの文字が薄く残っている。すぐには読めない。かなり硬めの鉛筆で残されたかのような筆跡。見る角度を変えれば読めそうだ。


「旧分館・理学……」


 そこまで読んだところで、背後から声がした。


「宇津木さん、もしかして見つけた?」


 先に声をかけたのは純平だった。はるかも彼の少し後ろに居たが、ふたりとも麻衣の手元の赤い背表紙を見て、同時に息を吸った。


「……赤い」


 純平の声が、わずかに震える。


 それは怖さじゃない。あまりに一致したときの震えだ。


「たぶん、これ」


 麻衣が本の背を指し示す。


 はるかが近づいて、ラベルとカードの様子を見る。それは紛れもなく司書の目だった。


「以前の仕様の管理札が挟まったままね」


 純平が、ごくりと唾を飲む。


「これがじいちゃんが言ってた本……なんですかね。宇津木さんが見つけたってことは、きっとそうなんじゃないかとは思うんですけど」


 麻衣は、答える前に、本に向かって心の中で訊いた。


(あなたは、今そこに居る彼のおじいさまを知ってる? 面影があれば良いのだけれど)


 少しの沈黙。そして――。


《あぁ……ハッキリとしたことは言えないかもしれないが、その彼と息づかいの似た青年は何となくだが覚えがあるな》


「えっ」


《いや、ハッキリと言えるかもしれない。その青年は私の言うことを聞いてか聞かずか、よく落ち着いた呼吸で向き合っていたな》


「宇津木さん?」


 本からのことばが切れて一拍置くようなタイミングで純平が訊いてきた。


 これは、確認をする意味がある。麻衣は純平を見る。


「……駿河屋くんって、今『声』聞こえてた?」


「え、今? ……いや、特には」


 麻衣は確信した。


 本の言うことを聞いていなくても、その本の息づかいに併せた行動を採ることが出来ている――。


 それは、まさしく共通点と言って良いかもしれなかった。


「マイちゃん、それってつまり」


「ええ、そうです。少なくともこの本は覚えてくれています」


「ウチのじいちゃんを?」


「うん」


「……マジか」


 純平の目が、少しだけ潤んだ。


「はるかさん、どこで閲覧しましょうか」


「そうねえ」


 少しだけ考える素振りのはるか。大筋で結論が出せている状態だが、その手順の確認のための方法だった。


「まずは記録を取って、蔵書の状態確認をする」


「はい」「はいっ」


 麻衣と純平の返事が重なって書庫に反響する。少しだけ純平が元気だった。


 はるかはメモに走り書きし、端末で控えた資料IDと照合する。


「棚記号も合ってる。所在も合致。バッチリ。では所長、次の手順は」


「次は書庫から出す手続きですね。閲覧は」


「旧分館側の指定テーブルで。純平くん、書見台持ってきて」


「はい」


《……次は彼にも訊いてくれないか?》


 麻衣も一緒に動き出そうとしたとき、本の声がもう一度した。


「何をですか?」


《そうだね、本を読むときの呼吸の仕方とか、どうだろうか》


 この本の真意は何だろうかと、麻衣はわくわくする。


 よりよい方法を伝授するのか。あるいは思い出との答え合わせなのか。


「駿河屋くん」


「ん?」


「……読む前に、駿河屋くんも息をしよっか」


 純平は一瞬だけ驚いて、それから、少しだけ笑った。


「……そうだね、それが良いと思う」


 ふたりが同時に息をする。


 赤い背表紙の匂いが、胸の奥へ落ちていくようだ。


《――いらっしゃい、本当に良く来たね》


 その声を今度はさらに近くに感じた。


 まるで本そのものが、ページの向こうから挨拶したみたいに。




     ○




 図書館はいつでも静かに回り続ける。

 けれど静けさの底で、古いページが――今まさに、めくられようとしていた。


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