墓地
心の豊かさというものは「脅かされない状態」が確保出来て得られる。
そう実感する。
誰に依存するでもなく自分の能力で安定的に商品を出せる。
需要さえあれば商品を売って収入が得られる。
飢え死にの心配もない。
場所さえあれば寝床付きの家も出せる。
こんな夢みたいな恵まれた状況になって、やっと俺は
「美しいものは美しい」
「優しいものは優しい」
「素晴らしいものは素晴らしい」
と社会の美点に気がつく事が出来るようになった。
見慣れた筈の町内の建物や門のシルエットが妙にオシャレに美しく見える。
食べ慣れた黒パンでさえ香ばしく栄養たっぷりに思えてくる。
機嫌良く黒パンとチーズを買ってピーマンをスライスして挟み昼食を摂ると…
早速ログハウスを出せる場所を確保すべく町中をウロついて回った。
基本的に普通の人が寄り付かない場所は犯罪者が寄り付きやすい。
普通の人も犯罪者も寄り付かない人目の無い場所を探すのは難しい。
そこで俺が目を付けたのは教会裏の墓地の奥にある柳林だ。
昼の間は柳の枝を切ったり、落ちた枝を回収している人達がいる。
柳の枝で籠を編み、それを売るのが教会の収入源の一つになっている。
だが一転して夜になると誰もいない。
何せ墓地があるから。
そしてすぐそばが教会なので犯罪者も来ない。
墓地の奥の柳林。
実はこの町で一番安全な場所かも知れない…。
俺の両親は俺が物心ついた頃には既にいなかった。
出産後すぐに母が亡くなって父が1人で俺を育てようとしたらしいが…
子育ては大変ですぐに根をあげた。
父は実家のあるこの町へやって来て祖父母に俺を預けて自分は出奔。
俺を捨てて何処かに逃げた。
なので俺は3歳まで祖父母に育てられた。
流行病で祖父母を亡くした後は孤児院へ入った。
祖父母の家があった場所は当時の隣人が買い取って家を取り壊し、今では家庭菜園になっている。
祖父母の家を売った金は伯父の手に渡ったと聞いたが…その伯父を俺は一度も見た事がない。
俺は祖父母を亡くした当初は暇さえあれば墓地へ足を運んでいた。
一度も伯父に会った事がないのは余りにも不自然だと思うが…
親の家を売り払い金だけ貰って墓参りもしない人間なんて
多分何処からでも湧くものなのかも知れない。
今では俺も祖父母の顔すら覚えてないが
「優しい人達だった」
という事だけは覚えている。
(…お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、俺を見守っててください…)
そう思い、祖父母の墓の前で手を合わせた…。
そうして柳林を散策。
ログハウスを出せる程度に拓けた場所を見つけると
思わずウンウンと自分の運の良さに満足して頷いた。
今夜からの宿代がかからない生活が楽しみだ…。
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俺の名前、「イリシオ」は樒が語源になっている。
樒…。日本でいうシキミ…。
墓地に植えられる事の多い植物の一つである。
墓地に有毒植物を植える理由は文化ごとに様々なのだろうが、この世界では「穴ネズミやモグラが死体を食べないように」という害獣避けの意味合いがある。
人肉の味を覚えた害獣は
「人間を餌だと認識するようになる」
ため、人間を恐れなくなり凶暴になりやすくなる。
害獣の凶暴化・悪質化を防ぐために
墓の周りに有毒植物が植えられ、棺桶の中にも有毒植物が入れられる。
この町の墓地の周りには鈴蘭と毒人参が植えられている。
可憐な毒草…。
祖父母の亡骸は樒が敷き詰められた棺に横たえられ、その上から鈴蘭の花が添えられていた…。
この世界の葬式は基本的に土葬。
火葬にするだけの火力が【火魔法】スキルの持ち主によってしか得られないのだから必然的に土葬するしかない。
だがそもそも人間を火葬にする文化は支持されない。
何故なら死体を焼く匂いを嗅ぐことで自分と同じ人間を
「肉だ」
と認識する感性がいつの間にか培われてしまうのだ。
動物の肉を食わない食文化なら、人間の死体を火葬する葬式文化を適用しても問題はないが…
動物の肉を食う食文化だと、人間の死体を火葬する事で出る煙の匂いで、自分と同じ人間を
「肉だ」
と認識してしまう。
人間が人間に対して異常に意地悪に残虐になれてしまう脳の働きの背後には
「情緒的繋がりのない他人を餌だ(肉だ)と認識してしまえる感性」
がちゃんと存在している。
「肉食文化と火葬文化へ相性が最悪に悪い」
という事実を人間は理解しておくべきだろう。
日本は火葬だったが、火葬場は大抵山にあった。
おかげで人肉の焼ける焼肉の匂いを平地に住む者達が嗅がずに済んだ。
情緒的繋がりのない他人を餌だ(肉だ)と認識せずに済んだ。
勿論、そういった配慮が無駄になる場合も多い。
刷り込み。
そういう部分で
「情緒的繋がりのない他人を餌だ(肉だ)と認識する感性」
が刷り込まれる場合もある。
害獣でさえ人肉を食らうと人間を餌だと認識するのだ。
人間が情緒的繋がりのない他人を平気で害せるように狂うのも道理だ。
猿のように暴れたくなる衝動に呑まれる自分自身を
知性ある自分自身が掌握下に置き制御するのでない限り
物理的には人間でも中身は猿だ。
俺自身も前世では狂人の人でなしだった。
猿と同じだった。
せめてもの救いが
前世の俺は
「日本の福祉にぶら下がる低所得者世帯の被差別者だった」
事だ。
「罪を犯せるほどの社会的裁量権が全く無かった」
「罪を犯せるほどの犯罪アドバンテージなど全く無かった」
「罪を犯せるほどの知能も無かった」
無い無い尽くしだったからこそ罪人にはならずに済んだ。
罪人になれなかったから
しがらみも残さずに済んだ。
ただ惨めに生きて死に
こうやって異世界転生できた。
物理的にも社会的にも恵まれていたとは言えない被差別貧乏生活だったが…
「輪廻転生や異世界転生がある」
という事を勘定に入れると、霊的には恵まれていたという事なのだろう。
本当は愛し合う筈だった家族が
互いに愛せず足を引っ張りあって嫌い合うのは
紛れもない不幸だ。
家族間の愛は貧困や被差別と無縁の人達が謳歌していた。
俺達にはそうした人生の喜びは常に不足していた。
「成就されなかった家族間の愛」
それは成就しなかったからこそ
「渇望」
として魂に刻まれるのだ。
家族だったアイツらとは互いに
「「「「次は幸せになれよ」」」」
という想いを向け合っていると感じられる…。
共に居続ける事が出来なくなっても
「永遠に相手の幸せを願える」
ような魂の絆を刻んだのだ…。