無害な人間がチートを持つ
表通りの道をブラブラ見て回っただけでも簡単に野糞が見つかったのだ。
裏通りの道を隈なく見て回れば、もっと多くの野糞を回収できる筈である。
結界魔道具のお陰で俺は
「野糞を探し回って回収してる変人」
だなどと周りに思われることもなく
思う存分、世間の皆様から後ろ指差されるような奇行に走ってしまえる。
「世間の皆様のゲスの勘繰りと偏見・嫌悪・疎外」
などといったストッパーに横槍を入れられる事もなく…
自由自在に
「野糞を回収してリサイクルポイントを貯める」
事が出来てしまうのだ。
チートがあると
「世間の皆様のゲスの勘繰りと偏見・嫌悪・疎外」
は大した脅威にならない。
まぁ、有り難い。
世間の皆様への恨みや憎しみで心が汚される事態に陥らずに済む。
チート万歳!
結界魔道具万歳!
である。
そしてまぁ、あれだ。
こうなってみて俺は
「世間の皆様のゲスの勘繰りと偏見・嫌悪・疎外」
というものの本質が
「犯罪者から身を守ろうとする集団的自己防衛の倒錯形」
なのだと改めて気が付いた。
人間
「他人から向けられる攻撃の刃が自分を傷付ける力を持たない」
という状況になって
「他人から向けられる攻撃の刃をジックリ間近で値踏み・分析できる」
という事なのだろう。
人々が不審な弱者へ向ける敵意は
本来なら犯罪者へ向かわせるべき敵意を
やり返せない弱者へすり替えて投影しているものだ。
潜在的に。
ほぼ無意識に。
無自覚に。
地球世界だと
「たったそれだけの事で何故不審者扱いで通報されなければならないのか」
全く意味が分からないような出来事で通報されていた。
俺は小さい頃からブランコが好きだったので成人してもしばらくの間は散歩に連れ出してもらう度に近所の公園のブランコに乗って遊んでいた。
そのせいで何度か家まで警官が来て
「不審な人を見かけませんでしたか?」
などといった回りくどい職務質問を父へしていた事があった。
何ともわざとらしかった。
近所で俺達が不審者なんて見かける筈がない。
それこそ勝手に近所の主婦達が俺達を不審者扱いで
「変な人がうろついている」
と通報していたのだから。
知的障害者が父親と一緒に散歩している。
大人なのにブランコに乗っている。
たったそれだけの事が気に入らずに
「うろつかないで欲しい」
と嫌悪感を持った連中が一方的に犯罪者予備軍扱いの偏見を持ち、その偏見を警察にまで吹き込もうとした訳だ。
こっちはただ外を散歩してブランコに乗ってただけだったのに。
ただそれだけの事をするのでさえアイツらは「するな」と言いたかった訳だ。
それならどうしろと言うのか。
家に引きこもって一歩も外へ出るな、と?
いや、そうじゃないんだろうな。
要するに「死ね」と「消えろ」と「姿を見せるな」と言いたかったんだろうな。
そんな悪意を向けてきてた連中が群れて延々と偏見を強化して広めて、それで自分達を善人だと思い込んでいた。
「怖いから」
「遠ざけたいだけ」
「身を護りたいだけ」
「悪意も偏見も差別も陥れも全て正当防衛だ」
と本気で自己正当化妄執を自分達で真実のように信じ込めていたのだから笑える。
本当にウンザリだった…。
ウンザリし過ぎた。
残酷さとクズな本性をごまかす嘘とか欺瞞とか
そういうのが沢山混ざるお上品ぶりっ子なんかどうでも良い。
合わせてやる気もない。
関わるのも気持ち悪い。
そう思ってしまうくらいに
「怖がってるフリをして弱者を悪に見立てた偏見を広めて回るやつら」
が俺にとっては今でも気持ち悪い。
(…ホント「棲み分け」って大事だよなぁ…)
と思う。
誰かを踏みつけにし続けた人間達は
標的が死ぬか
標的を見失うかしない限り
延々と踏みつけにし続け
延々と虐げ続ける。
標的にされてる被差別者が当人の主観・都合を
ちゃんと言語化して説明しても
聞く耳をはじめから持たない連中には意味が通じない。
「同じ言語を喋ってても話が通じない」。
俺も俺の家族も前世で
「人間という生き物のキチガイぶり」
を散々見せつけられたから
「人間の認知力には限界がある」
という事実を知っていた。
俺がチートなスキルのお陰で楽々便利生活が送れるようになったとしても…
「他の人達にも楽々便利生活のお裾分けをしたい」
などとは全く思わない。
この世界の文明レベルを上げたいとか
知識チートして皆からチヤホヤされたいとか
全く思わない。
陰の実力者だの陰の支配者だのになりたいとか
世界を悪から救いたいとか
全く思わない。
俺は単に自分が楽々便利生活を楽しむ。
そして
「人間なんて、衣食住が満たされて、他人から親切にされる、他人に親切にできるっていう、たったその程度の事で幸せだと感じられてしまえるくらい、本当は単純で素直な生き物なんだよ」
という
「人生の真理」
を実践して生きる。
ただそれだけで良いと思ってる。
「衣食住の確保と相互的親切のキャッチボール。たったそれだけ満たされるだけで人間は幸せだと感じてしまえるシンプルな存在なのだ」
そう思う価値観を俺の根本に据える。
だから俺は
その世界観と価値観を引き継いで
その世界観と価値観の中で生きたいと思う。
多分、チートなスキルというのはカネや権力と同じで
「最低最悪な腐れ外道には絶対持たせてはならないもの」
なのだ。
それでいて
「最低最悪な腐れ外道を含む人類の中で循環し続け、誰かが手にしてしまうもの」
でもあるのだろう。
「チート持ってても悪用しない人間がチートを持っておく」
「大金持ってても悪用しない人間が大金を持っておく」
「権力持ってても悪用しない人間が権力を持っておく」
それで世界が回るのだから
世界はそれで良い。
無害な人間がチートを持つ。
無害な人間が大金を持つ。
無害な人間が権力を持つ。
そんな力を持つ無害な人間達が
「無害である自分自身の根源にある世界観・価値観」
を自分自身の中で護持しながら…
悪用してはいけないその力を
「最低最悪な腐れ外道に渡さないように」
持ち続ける。
それが一番大切な事だ。
それが出来てやっと必要な制限が世界のルールに書き込まれる。
地球世界の場合は色々と倒錯し過ぎていた。
地球世界では棲み分けの必要性ですら歪曲解釈されていた。
「捕食者と被食者を一緒の枠内に閉じ込める」
という事をすると
「捕食者が気まま勝手に被食者を虐げ楽しむ」
「その悪辣さすら対外的に隠蔽」
「マトモな人間のフリをする」
といった陰湿さが増長する。
そんなダブルスタンダード地獄が
「差別のないバリアフリー社会」
のように見せかけられていた…。
徴兵制度のない国だと国民は武器を手にして実践的暴力で自分自身を護る訓練すらする機会がない。
まるで草食動物。
徴兵制度のある国の国民は武器を手にして実践的暴力で仮想敵国民を殺すシミュレーションをする。
まるで肉食動物。
草食動物国に肉食動物外国人が入ってきて好き放題調子に乗っても草食動物国民は何もやり返せない。
「国内に入り込んだ外敵に対して治安維持も国防も機能せず麻痺状態で、『何も危険はない』『外国人様が何をしようとも敵視してはならない』と国民に泣き寝入りを強いる」
ような国を
「戦争のない平和な国だ」
と本気で思い込めた人達もいたのだろうが…
自己防衛本能がマトモに機能している人間からすれば
「自殺者数や自殺に見せかけられて殺されてる人や死体も出ない行方不明者の数が、内戦状態の国の死者数・行方不明者数を上回っていても、『平和な国だ』と本気で思い込める人達の欺瞞の深さ」
にこそゾッとする。
いつかーー
正気の人達だけが集まって
「人間なんて、衣食住が満たされて、他人から親切にされる、他人に親切にできるっていう、たったその程度の事で幸せだと感じられてしまえるくらい、本当は単純で素直な生き物なんだよ」
という
「人生の真理」
を実践して生きれば良いのにと思う。
心から…。