前の家のはなし
「晩ごはんできたから、二人とも降りてきてー!」
ご飯の配膳が終わってから、二階にいる子供たちに向かって叫ぶ。夕方のいつもの光景だ。
「はーい」
「いま行くー」
小学生の年子姉弟が返事をする。
この時間は決まって2階の廊下にある書斎スペースで二人で漫画を読んでいるので、
階下から声をかけるだけで来てくれる。わざわざ呼びに行かなくてよいので楽である。
ダダダダッと階段を二人して競うように降りてくるのもいつもの光景だ。
「毎日毎日二人ともゆっくり降りてきなさい」
このセリフを子供たちに行くのもいつものこと。3回に一回は言っている気がする。
「ごめんごめん」
「毎回言わなくていいよー!」
弟のほうは軽く謝って流し、お姉ちゃんは毎度言われ過ぎて嫌になってきてるようだ。
*
郊外にあるこの家は、下の子が小学校に上がるのを機に、半年前に購入した。
築年数は古いが、比較的ゆったりとした作りになっており、2階までの階段も緩やかに踊り場を設けて作られていた。外が見える、はめ込み小窓もついている。
以前この家を建てた人がこだわったポイント、らしい。不動産の担当者が言っていた。
確かに古い家にありがちな急な傾斜はなく、一つ一つの段差が低く、ステップ部分も幅をとって作られている。そのためめったに足を踏み外すことはない。
大人に関しては。
子どもたちはいつも勢いよく上り下りをしているため、しょっちゅう踏み外しており、
捻挫までは行かないまでも、足を打撲したりあちこち擦っていたり。
そんな痛い思いをしても、走って昇降することにこだわりを見せる二人。
転倒して骨折する前に、ペナルティでも設けるか、と以前より旦那と話し合っていた。
*
「ママ、僕の部屋、一階にしたい。」
晩御飯の途中で、何を言うかと思えば・・・
「え?!ずるい、あたしも一階の部屋がいい!」
姉も負けじと主張する。
「一階のお部屋はばぁばたちが遊びに来た時に泊まって貰う用の部屋だからダメ。それに今の二階の部屋は二人とも広くていいでしょ?」
「部屋は確かに広いけど、階段が嫌なの。」
「僕も!」
意外だった。階段の下り競争を楽しんでいるわけではなかったのか。
「足腰鍛えれるからいいじゃない。」
「やだよ」「それな」
一階には客用の布団をしまっている畳の部屋があり、普段は使用していないが、両親たちが遊びに来た時にその部屋に泊ってもらうようにしていた。
また、一階には一つしか部屋が無い。どうせ言うなら引っ越し時の半年前に言って欲しかった。
今更ベッドや机を一階に運ぶのはつらい。
「パパからも言ってやって」
先に食事を終えてソファでくつろいでいた旦那に話を振ってみる。
「よし、じゃあ二人から理由を聞こうか?二階のいまの部屋じゃダメなこと、一階のほうが何故いいのかということ、それぞれ言ってみなさい。」
旦那はまず子供の意見を聞いてから、本人たちの主張の筋が通っているか、本人たちも本当に望んでいるかを問いかけることをよくする。
頭ごなしに否定する私とは違った考え方をしている。
二人は顔を見合わせ、しばらく押し黙った後、
「・・・なんとなく」
「あたしも、なんとなく一階がいいの」
と、力なくつぶやいた。
・・・どうやら子供部屋を一階にする案は却下の流れになりそうだった。
*
ところが、それから数日もしない内に、旦那に地方転勤の話が浮上した。
「仕事内容的に異動や転勤はないって言ってたから家も買ったのに、どういうこと?!」
「いや、本当に急な話で・・・赴任時期は任せるって言われてるから、二人の新学期が始まる4月にみんなで引っ越せたらと思ってるんだけど」
「断れなかったの?子供たちもようやく小学校生活に慣れ始めたところなのに・・・」
「ごめん」
家族会議をした結果、家は売却。
単身赴任も考えたが、次の赴任先の、そのまた次は海外赴任になる可能性もあるとのこと。
売却の見積を出したら購入時よりプラスになりそうな見込みだったので、
家は手放し、家族で再度引っ越ししようと結論付けた。
「あたし次はマンションに住みたいー」
「僕も!エレベータ付きの高層階!」
子どもたちに引っ越しの件を伝えたところ、おいおい、家にも学校にも未練は全くないのか?と思うくらいポジティブな反応を見せてくれた。
私としては徐々に生活環境に慣れてきて、家にも地域にも愛着がわき始めていたところだったのに・・・
*
あれから、私たち家族は転勤先で数年を過ごし、もう異動はないと会社から確証を得たタイミングで再度持ち家を購入した。賃貸生活でマンションに慣れてしまってたため、以前のような戸建てではなく、利便性のいい市内にある駅近のマンションを。
このとき、子どもたちはすでに高校生になっていた。
「ママね、いまでも終の住処は戸建てでも良かったかな?ってちょっと思ってるのよね。前に住んでた家みたいな・・・」
休日、子どもたちとランチを囲んでいるときにふと口にした。
郊外の、あのゆっったりとした作りの戸建て。
少しの間しか住むことは無かったが、もし転勤が無くてあのまま住んでたらどうなってたのかな、と今でも思うことがある。
「やだよ・・・小学校の頃に住んでた家とか最悪だったじゃん」
「俺もそう思うわ。あの家に住んでなかったら、一軒家に住みたい!とか思ってたかもしれないけど」
最悪?
「なんで?二階に夢のような漫画の書斎スペースがあったし、部屋は一つ一つ広かったし、造りとしては最高だったと思うんだけど?」
そう、当時、二人には二階の広い部屋をひとりひとりに与えていた。が、部屋で過ごすよりも廊下の書斎スペースで時間を過ごしていた記憶がある。
娘が弟に向かって確かめるように言う。
「これ、今までちょっと思うことがあって口にしなかったんだけど・・・・もう時効かな?アンタもなんか感じてたんでしょ?」
「・・・やっぱり?姉ちゃんも?俺はとくに階段の踊り場がダメだった」
「うっそ!あたしも!」
話が見えない。
「どういうこと?」
「あの家、なんかいたんだよ。多分・・・うまく言えないけど、なんかよくないやつ」
「絶対いたね。踊り場に差し掛かると、100%肩に何かいるの」
「そうそう、しかも降りるときだけなの!姿は見えたわけじゃないんだけど、口に出して誰かに言ったら本当に現れそうで言えなくて」
「あたし部屋の隅にもおんなじ気配感じてたんだよね。朝と夜はなんともないんだけど、夕方は絶対にいた。確実に。だから夕方は部屋に絶対いないようにして、見ないようにしてた」
「部屋の隅って、俺の部屋とちょうど壁はさんだとこかも。俺の部屋も、なんか、こう・・・なんだろ、高齢者の人の口臭っていうの?それが夕方になるとするんだよ。」
急に次々と暴露し始めた子供たち。
今まで当時の体験を全く口にしていなかったからか、堰を切ったように話始めていた。
「ママはなんも気づかなかったの?感じてなかった?あたし早く引っ越したくて引っ越したくて、パパの転勤話を聞いたとき、あのとき、人生で一番喜んだと思う。」
正直に言おう、まったく何も感じていなかった。
踊り場、部屋・・・日中子供たちがいない間、掃除をしていたが、まったく。
「ははは~実はな、何を隠そう、パパも気づいてた!」
今まで黙ってた旦那からの突然のカミングアウト。
「一番怖かったのは、階段を降りてて踊り場のところで忘れ物に気づいて振り向いたときだな。顔の目の前におじいさんが見えた。腰抜かして下まで転がり落ちたわ。」
「何それ、パパってば見えてたの?!怖くなかった?それでなんで家族に言わなかったの?!」
お姉ちゃんは謎に興奮気味だ。
「言ったらみんなを怖がらせると思ってたからなぁ。昔から感受性豊かで感じたりすることも多かったから、また見てしまった!くらいの気持ちだったんだよ」
鋼のハート過ぎる。そして父親の感受性豊かな部分は、子供たちに遺伝してしまったようだ。
「ちなみに、あたしが足踏み外して軽く捻挫したとき、あれ、誰かから、後ろから押されたんだよ」
「マジ?でも俺が膝思いっきり打撲したとき、あれも足首掴まれた気がして落ちたんだよな」
めちゃくちゃ実害が出ているではないか。
「実はな、二人が一階の部屋にしたいって言ってきたとき、二人から何か話してくれることを期待してたんだよ。でも二人とも本当の理由を言ってくれなかっただろ?だから、言えないってことはよっぽどだと思ってな。本当は転勤なんてない部署だったのに、わざわざ人事に掛け合って・・・」
「嘘?!転勤はあなたが頼んだことだったの!?信じらんない!!!!!」
「俺らからしたら、まったく何も気が付いてなかったママのほうが信じらんないよ・・・」
「・・・」
飽きれた声で息子から言われて、何も言えなくなってしまった。
私たち一家は一時幽霊屋敷に住んでいたらしい。私には微塵も害が無かったが。
「そういえば、引っ越し前に家の前で写真とったじゃん!あのときのデータ見返してみようよ!絶対なんか映ってるよ!確かパパの携帯で撮ってたよね?」
確かに、撮っていた。しかも撮ったきり、今の今まで写真を見返すことは無かった。
何かしら映ってそうな・・・
「おお、見てみようか。撮ったはいいけど怖くて、SDカードに移してクラウドからは削除してしまったから、ちょっと待ってろ」
なるほど、見返そうにもバックアップは物理的に見れない状態だったらしい。
しばらくして、カードをPCに差して写真を画面に映す。
懐かしい写真が次々と出てきて、みんなで食い入るように見ていたとき、
「「「「あ」」」」
見事に全員の声がハモった。
あの家の前で、家族四人が肩を並べて映っている写真。夕日が差し込ん出る中、
2階の踊り場の小窓から、怒った顔をした老人が、しっかりとこちらを見ていた。
なんでプラスで売却できたのかが一番怖いっていう話。