私のエッセイ~第八十二弾:「書くことは、考えること」~ これも、「他人のふんどしエッセイ」の真骨頂・・・かな?
皆さん、おはこんばんちわ!ご機嫌いかがですか・・・?
さっそく、舌の根も乾かぬうちに・・・「ふんどしエッセイ」炸裂しますえ。
同じ教科書の中に、後述のような文章もありました。
いつものように「追加情報」で書いてもよかったんですが・・・そこそこ長いので、えーい!ならば、新たなエッセイとして作ってしまえ・・・このように、セコセコのケツ穴ちっちぇえ小物のあたいが、またやっちゃったんだわさ❤️
でも、マジでこれも「参考になる」、「考えさせられる」、とても良質なものですね。
書き上げたら、スペイン語とフィンランド語やりに戻るわね❤️
・・・アカン。しばらくやってなかったもんやさかい、マジでどっちも、すっかり忘れとるわぁ・・・ちょいとナメてましたかいな??
『光陰矢のごとし』・・・もとい、『忘却矢のごとし』ってなトコですかぁああ!?
皆さん・・・どんな学問も、マメな『復習』は大切やけんね、いやマジで。
あ、脱線して、ごめんちゃ!あたいの悪いクセだぁね。
じゃあ、その文章、行くわよ❤️
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【書くことは、考えること】
「書くことは、考えることだ」といえる。
書くことによって、考えていることがはっきりしたり、深まったりするからである。
わたしたちは、日々、さまざまな経験を積み重ねながら生活している。
その中には、深く心に刻み込まれるような経験もあるだろう。
そんな特別な経験でも、そのままにしておけば、やがて印象も薄れてしまう。
しかし、そのことを文章に書くならば、その経験を改めて見つめ直すこともできるのである。
さらに、どう書けば、そのとき感じたり考えたりしたことがはっきり書き表せるかと、書き手はいろいろ思いめぐらすだろう。
このように、書くことによって、何度も「考える」という働きを繰り返していく。
よい書き手は、「よく考える人」ともいえるのである。
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・・・この文章も、比較的短いながらも、非常に含蓄に富んだ、われわれ書き手に、作品を作る以前の「行動のあり方」「普段からの心構え」というものまで考えさせてくれる、良質な教えだと思います。
では、次回のエッセイで、お会いしましょー。
また書くわね❤️