第六十七話 魂の記憶
宴はまだ続いている。
といっても、もうすでにダウンしている者多数。
そこら中で、土の上で眠る男達。
和也も眠気を感じ、もうこの場で眠ってしまおうかと考えていると、一人の男が近寄って来た。
その男は、村長の所まで案内してくれた若い海棲族だ。
名前は確か、ツェールと言ったか。
「カズヤ様、お疲れのところ申し訳ないのですが、少々よろしいでしょうか?」
「ああ、大丈夫だよ。ていうか、その様っていうのと敬語を止めてくれないか?」
「いえ、そういう訳にはいきません。これから貴方様にお願いをさせて頂くのですから尚更」
「お願い?」
「はい、私の母を助けて欲しいのです」
母を助けて欲しいと言うツェールの頼みを、和也は了承した。
ツェールは、とにかく母を見て欲しいと詳しくは語らなかったが、和也は怪我や病気だと予想した。
たぶん、俺の神意のことを誰かに聞いたのだろう。
自分の力で救えるのならば、断る理由はない。
誰かを救うことは、力を持った者の責任だとも考えている。
恰好つけているかもしれないが、人とはそういう者なんじゃないだろうか。
和也はツェールの後ろを黙ってついて行った。
湿った土に足を取られながらしばらく歩くと、木材で作られた小屋に辿り着いた。
「着きました」
ツェールはそう言って扉を開ける。
小屋の中は薄暗い。明かりは、壁に掲げられた発光の弱い魔石灯が一つ。
「母さん、帰ったよ」
和也は、ツェールが母さんと呼んだ人物を見下ろした。
草が敷き詰められたベットに横たわっているその人物を。
「こ、これは……」
和也は言葉の続きを思いつかなかった。
あまりに衝撃的だったから。
ベットに横たわるその女は、虚ろな目で天井を見つめていた。
頬は痩せこけ、髪の毛は抜け落ち、肌はボロボロと表皮が剝がれている。
和也には、微動だにしないこの女の生死を判別できなかった。
和也が固まっていると、ツェールはポツリと呟いた。
「アネモス香です」
和也はツェールのその一言で理解した。
この女はアネモス香の中毒者だ。それもかなり重度の。
村長のあの言葉に感じた虚しさと悲しみ、その正体は多分これだ。
この村もアネモス香に侵されつつある。
「お、俺が悪いんです!!」
ツェールが床に両膝と両手を突いて言った。
「母は、しばらく前から脚を悪くして海に入れなくなっていたんです。俺はそんな母を置いて、海に遠征に出てしまった。母はその間にアネモス香に手を出してしまったみたいで! だから、俺が悪いんです! 母を一人にして!」
ツェールは嗚咽を漏らして泣き出してしまった。
そんなツェールの背中を和也は優しく擦る。
「違うよツェール。君のせいじゃない。自分を責めるな」
「で、でも!」
違う。断じてツェールのせいなんかじゃない。
悪いのはアネモス香だ。
そして、人の弱さに付け込み、こんな物を売りさばく奴らだ。
和也は拳を強く握り立ち上がった。
そして考えた。
俺にこの女性を治せるだろうか。
和也はアスクレピオスとの繋がりが強くなったことで、以前よりこの力のことを理解している。
アスクレピオスの力、これは、魂に保存された記憶に結び付き、その記憶の状態へと復元する力だ。
だから、先天的な障害は治すことが出来ない。
魂がその状態をあるべき姿だと認識しているからだ。
魂の記憶を誤魔化すことは出来ないし、偽ることも出来ない。
では、後天的な障害は治せるのか。
例えば、怪我や事故で腕を失った者の腕は再生出来るのか。
実はこれは分からない。試したことがないのだ。
もしかすると、腕を失って何年も経過していた場合は、再生出来ないかもしれない。
魂が腕が無い状態を正常だと認識してしまっていたら、どうすることも出来ない。
結局は、その人の魂次第だと思っている。
この理屈から言えば、ツェールの母を治すことは出来ると思う。
魂がこの状態を正常だと認識している筈はない。
だけど、薬物中毒者に神意を行使したことは当然、ない。
出来るだろうか?
万が一にもこの人の魂が書き換わってしまっていたら……。
治せなかった場合、ツェールを余計に追い込んでしまうかもしれない。
神の力にも見放された自分は、それほど悪いことをしたんだ、と。
ならばいっそのこと、楽にしてやることが情けなのではないのか。
和也の額から汗が流れた。
ツェールは瞳に涙を溜め、和也を一心に見つめている。
和也は深く深呼吸し覚悟を決めた。
ツェールの母の手をそっと握り、神意を行使する。
アスクレピオスの輝きが、ツェールの母を包む。
淡い碧の輝きは、奇跡を起こす。
みるみる内に肌の艶が戻り、髪の毛が生え、瞳は生気を取り戻した。
「母さん!」
ツェールが叫び、母の手を握る。
ツェールの母は、弱い力ではあったが、確かにツェールの手を握り返した。
頬は瘦せこけたままだが、顔に表情が戻っている。
少しだけ笑い、掠れた声でツェールに言う。
「ごめんね、ツェール」
母の目に涙があふれ、草のベットを濡らす。
ツェールの目からも涙がこぼれ、ツェールは嗚咽しながら泣き始めた。
良かった……。上手くいった。
和也は、少しだけ親子の様子を眺めたあと、そっと小屋から退出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
アスター島出航日。
和也は警戒していた。
周囲をきょろきょろ見回して、挙動不審になってしまう。
「さっきからどうしたの? 和也」
「あ、いや、なんでもないんだ」
和也が警戒している理由。それは、あの鬼人族の姫様だ。
宴の翌日から、何かとちょっかいを掛けてくる。
しかも和也が一人の時を見計らって。
何故かは分からないが、あの姫様は、和也が一人の時に的確なタイミングで現れるのだ。
突然現れては、一方的に自分の言いたいことをまくし立て、嵐のように去っていく。
あの嵐に遭遇すると疲労がごっそりと溜まる。
羨ましいと思う者は沢山いるだろうが、こちらの話が通じない傍若無人な姫は、なかなかに厄介。
それに、美人はセリスで間に合ってる。
「申し訳ありやせん、神の使い様がた」
鬼人族の兵士が和也達に声を掛けた。
和也達は船への荷運びを手伝っているのだが、鬼人族の兵士はそのことを申し訳なく思っているようだ。
「いや、大丈夫ですよ。これぐらいはさせてください」
和也は笑顔で答えた。
実際、これぐらい何でもない。
今の身体能力なら、むしろ軽すぎるぐらいだ。
荷運びぐらいさせてくれ、と和也達から言い出したのだ。
木箱を両手で持ち上げ、砂浜を進む。
前に目を向けると、ライサンが大量に木箱を積み上げて、張り切って運んでいる。
それを見て和也はクスッと笑う。
ライサンはこの島までの道中とこの島で、自分は役に立てていないと思っているようだ。
船上では船酔いでダウンし、この島に到着してからも、これといって活躍していない、と。
和也から言わせれば、ライサンが近くにいてくれるだけで心強いのだが、誇り高い戦士はそれを良しとしないらしい。
やがて全ての荷を積み終わり、いざ出航の段となる。
和也は、優斗とライサンに先に乗船するよう促した。
砂浜に立ち、ジャングルを見つめる。
視線の先に想いを込めるのは、ジャングルの奥、海棲族の集落だ。
ツェール親子のこれからを密かに祈る。
あの親子に幸あれ。
すると和也の視線の先に、誰かが走ってくる姿が見えた。
「カズヤ様!」
白い砂浜を駆けるのはツェールだ。
右手を上にあげて、こちらに駆け寄ってくる。
「ツェール!」
「ハァ……ハァ……よかった、間に合った」
ツェールは肩で息をして、呼吸を整える。
その後、和也に言った。
「カズヤ様、これを言うかは悩みましたが、やっぱり言うことにしました。それが礼儀だと思いましたので」
「ん? 何のこと?」
「はい」
ツェールはゴクッと唾をのみ込み、真剣な顔をして言う。
「母が、今朝亡くなりました」
「……えっ」
和也は頭が真っ白になった。
その後、どうして、と言う言葉のみが頭に浮かぶ。
「薬師が言うには、そもそも体力の限界が来ていたみたいです。アネモス香の症状は取り除けても、体力が戻りませんでした」
「そ、そんな……。それじゃあ、俺は……。ツェール、すまない……」
「いえ、謝らないでください。俺は責めているのではありません。むしろ感謝しています」
「ど、どうして?」
「最後に母と少しだけ会話できました。それに、とても安らかに眠るように、息を引き取ったんです。全て貴方のお陰です。ありがとうございました」
ツェールはそう言って、拳を突き合わせ和也に敬意を示した。
「で、でも……俺は」
助けることが出来なかった。何が奇跡の力だ、何が神の力だ。
多分、自分に酔って驕っていたんだ。
だから、ツェールの頼みを安請け合いしてしまった。
馬鹿だ俺は。期待させるだけさせておいて、この様かよ。
自責の念に駆られて固まる和也に、ツェールは尚も言う。
「カズヤ様、俺達親子は、貴方に救われたのです。だから、これからも沢山の者をお救いください。だから、どうか、どうか……」
ツェールの瞳から涙が流れた。
和也はそれ以上、何も言えなかった。
ただ、そっとツェールを抱きしめ、和也も涙を流した。




