第六十話 夜の街で
「あっはっはっ! 貴方は面白い人だ、カズヤさん!」
「いえ、俺は何も言ってませんよ……」
騒がしい酒場の室内で、イグサは大声を張り上げた。
酒場はフロア一面仕切りが無く、吹き抜けの作りとなっており、あちこちから騒がしい音と声が聞こえる。
店内は大勢の客で溢れ、賑わっている。大衆酒場のような雰囲気だ。
イグサが近くを通りがかった店員を呼び止めた。
「お姉さん! 麦酒お代わり!」
イグサは既に結構な量のアルコールを摂取し、完全に出来上がっている。
和也はイグサに注意を促した。
「ちょっと、イグサさん、流石に飲みすぎでは?」
「いえいえ、こ―――んなんじゃ、全然酔いませんよ」
いや、完全に酔ってる。
真っ赤な顔をして、顔が緩みきっている。
この人はアレだな……酒が入ると豹変するタイプだ。
こういう人は、普段の抑圧された性格のせいか、自分を解放した時の反動が大きい。
今のイグサはまさにそれ。あの謙虚で礼儀正しいイグサは、見る影もない。
和也は公園で会ったイグサに何となく親近感を覚えた。
イグサの誘いに乗り、ここまで付き合うことにした。
優斗とライサンも誘ったのだが、気を使ってくれたのか二人は辞退した。
無理にでも来てもらえば良かったか。
正直、この酔っ払いとタイマンはキツイぞ……。
酒を浴びるように飲んで、一人で勝手に「ガハハハッ」と笑うイグサを見て、和也は嘆息した。
イグサから色んな話を聞いた。まあ、勝手にベラベラと喋ったのだが。
イグサの種族は鬼人族。
特徴はやはりツノで、そのツノから供給される膨大な魔力により、途轍もない剛力を発揮することが出来るのだとか。
とても戦闘能力が高い種族だと聞いた。
それから、イグサは愚痴を盛大に吐いた。
何でも、自分の上司は頑固で、横暴で、独善的で、血も涙もない鬼なのだとか。
一方的に愚痴を聞かされ、和也は辟易した。
イグサの言い分は分かるが、こういうのは得てして、偏った主観を盛大に盛って喋るものだ。
その上司の意見も聞いてみなければ、公平ではないだろう。
とまあ、当然そんなこと言える筈はなく、和也は聞き手に徹することにした。
「ところで、カズヤさん!」
「……はい」
「私はねえ、貴方を一角の人物と見込んでいるんですよお。貴方のことをもっと聞かせてください!」
和也は少し困った。
ざっくりと自分の身の上話はしたが、色々と省略したり、誤魔化したりしている。
初対面の相手に自分は異世界から来たなどど言っては、余計な混乱をさせてしまうだろうし、天空の宮殿や、夢幻の魔晶石のことも同様だろう。
だから、ソルランド王国から仕事でこの国に来たと伝えてある。
あまりベラベラと自分の事を喋ると、綻びが出て何処かで破綻してしまうだろう。
和也は話を逸らす為、話題を変えることにした。
「いえ、自分は大した人間じゃないですよ。それよりイグサさん」
「はい?」
「この世界にどんな願いも叶える奇跡の秘宝があるとして、その秘宝を持っている人物を知っているとして、貴方はどうしますか?」
少しだけ酔いがさめたのか、少し声のトーンを落としてイグサは答える。
「どんな願いもとは、また大それた物ですねえ。でも、私はそんな物は欲しませんよ」
「それは何故です?」
「だって、それは他の方に譲るべきですよ。色々と愚痴を吐きましたが、私は、まあ客観的に見て恵まれている方でしょうし」
なるほどな……。
恵まれている方。
それは確かにそうなんだろう。
質の良さそうな鈍色の羽織と、その内側には和装を着こんでいる。
その恰好だけを見ても、この者が裕福であることが見て取れる。
加えて、公園での礼儀作法は、幼少より教育を受けて来た証だろう。
どちらかと言えば、和也もイグサと同じ意見だ。
しかし、今回に限っては譲れないものがある。
何としても手に入れなければならない。
これは最早、執念に近い。
ひょっとしたら、手段と目的が入れ替わっているかもしれない。
その自覚は多少はある。
でも、もうここまで来たら後に引けない。
「やはり、貴方は面白い人だ、カズヤさん」
「いや、そんなことないと思いますが……」
「ところで……人生は楽しむべきだと、貴方はそう思うでしょう?」
「ええ、まあ」
突然振られた脈絡の無い話に、和也は怪訝な表情を浮かべ返事をした。
「そうでしょう、そうでしょう! では、いざ参りましょう!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
魔石灯に照らされた看板が煌々と輝く。
カラフルで淡い光が、路地を照らしている。
ネオン街のような夜の繁華街を和也とイグサは歩いていた。
「あ、あの、イグサさん、俺はやっぱり帰ります!」
「そ―――んなこと言わずに、いいから、いいから!」
和也の右腕はガッチリとイグサに掴まれている。
和也の右腕を引き、イグサはどんどんと夜の街を突き進む。
まいったな……こういう雰囲気は苦手なんだけどな……。
それは、欲望が渦巻く夜の繁華街。
その中でもこの雰囲気は、和也が特に苦手とするものだ。
男女の欲望がどろどろと濃く、深く濁り、混ざり合った世界。
イグサの握力は驚くほど強い。
これが鬼人族の剛力、その力の一端か。
帰りたいが、イグサがそれを許してくれない。
イグサの勢いに負けて、ここまでついてきてしまった。
やがて、壁に掲げられた明るく輝く看板の前で立ち止まる。
「ここです!」
イグサはそう言って建物の扉を開けて、和也の手を引きながら踏み込んだ。
「ちょ、ちょっと!」
中に踏み入り、和也は息を呑んだ。
中はそれなりに広い作りとなっていた。
薄暗い照明の下に、机とソファがいくつも置かれ、右端にはカウンター席。
そして、煌びやかで露出の多いドレスを着て接客をする女達。
その横で愉快そうに笑う男達。
室内は、酒と香水と煙の匂いで充満していた。
ああ、やっぱり。
建物の外観から予想していたが、この店は女達が接客すること自体を生業とし、それを提供する場所。
黒い服を纏った体格の良い男が近づいてくる。
「イグサ様、ようこそいらっしゃいました」
黒服の男がイグサに丁寧に挨拶をした。どうやら、イグサはここの常連らしい。
言われるがままに促され、和也とイグサは柔らかいソファに座らされる。
ここまで来たらしょうがない。一杯だけ飲んだら失礼しよう。
「お好きな物を頼んでくださいね! ぜーんぶ、私の奢りです!」
「いや、それは悪いですよ」
和也がやんわりと断ると、不意に上から声が振ってきた。
「随分、気前が良いわね、イグサちゃん。それじゃあ私も良いかしら?」
派手な髪型に、派手な化粧をした女が、そう言いながら和也とイグサの間に腰を下ろした。
「マリー! 会いたかったよ! 勿論、好きな物を頼むと良い!」
イグサは上機嫌に笑い、女の希望通り、高価そうな酒を注文する。
そして、その女と楽しそうに談笑を開始。
和也を置いて、二人の世界に入り込んでしまった。
手持ち無沙汰となった和也の左側から、声が掛かる。
「隣、失礼しますー」
隣を見ると、水色のドレスを身に纏った若い女が、微笑みながら腰を下ろしていた。
イグサの相手をしている女とは対照的で、化粧は薄く、髪も落ち着いた茶色がかった黒色。
見ようによっては、地味とも言えるかもしれない女だが、胸元は大きく開かれており、そこからは巨大で凶悪な塊が覗く。
和也は必死に自分に言い聞かせ、平常心を保つ。
その和也の緊張を察したのか、女は口元に手を当て上品に笑う。
「お兄さん、そんなに緊張なさらず、リラックスしてくださいねー」
女は間延びした喋り方でそう言った後、グラスに酒を注ぐ。
その酒を差し出され、和也はグイッと一杯飲んだ。
「あらー、お兄さん良い飲みっぷり」
女は胸の前で小さく拍手した。
その後、和也の左腿に手置いて、グっと顔を近づけてくる。
「ちょっと、近い……な」
女は、和也のやんわりとした拒絶の言葉を意に介さず、和也の瞳を覗き込む。
「すてき……。黒くて、どこまでも真っ直ぐな瞳。その瞳は、神秘、自信、強さの象徴。だけど、なんだろう……不安、恐怖、そして、孤独……」
何やらブツブツと意味不明なことを言い出した。
「すまないが、ちょっと離れてくれないか?」
一向に動く気配のないその女に、和也は少しだけ強く拒絶の意志を示した。
「あら、ごめんなさい、私ったら。あんまりにもお兄さんの瞳が綺麗だったから。これお詫びね」
女はそう言って、和也の左頬に口づけをした。
「ちょっと!」
和也は、驚きと苛立ちを交えて、抗議の声を上げる。
だが、それは次の瞬間には搔き消されてしまった。
「ああっ! ずるいですよカズヤさん!」
イグサがこちらを指さして、大声で喚いた。
それから、隣に座っているマリーと呼ばれた女に、猫撫で声でしゃべり掛ける。
「ねえ、マリー。私にもキスしてよ~」
左頬を差し出してねだる様は、正直気持ち悪い。
「もーう、イグサちゃんったら、そういうのはダメって言ってるでしょう」
「でもでも、向こうの彼女は!」
「あとで彼女には注意しておくわ」
マリーに一瞥され、和也の左隣に座る女は姿勢を正し、顔に反省の色を浮かべる。
それだけで上下関係がハッキリと読み取れた。
イグサはそれでも駄々をこねる。
「でもでもでも!」
「もう! イグサちゃん!」
「わ、私は偉いんだぞ!!」
「また、その話?」
もう酔いすぎだよ、イグサさん。和也は呆れた目でイグサを見ていた。
酔いすぎて完全に自分を見失っている。
「私は! ジェノ海洋国家連合軍にその人ありと謳われる、イグサ・ハーロン! その人だぞ!!」
「はいはい、分かった、分かった。分かったら落ち着きましょうねー、イグサちゃん」
和也は雷に打たれたような衝撃を受けた。
「ジェノ海洋国家連合軍―――!?」




