第五十五話 幸福の国
此処は、この世の幸福を集めて造られた国なのかもしれない。
この国は、とても色鮮やかだ。
住宅区には、頑丈な作りでカラフルな屋根の住居が立ち並ぶ。
通りの脇には、街路樹と街灯がきっちりと等間隔で設置されている。
大通りの脇の花壇には、鮮やかな花が所狭しと咲き誇り、道行く人の心を和ませるのに一役買っているようだ。
図書館や雑貨屋、飲食店、劇場も存在し、大勢の客が押し寄せ、賑わいを見せている。
街中には大きな水路がいくつも走っており、その水路の上を小舟が滑る。
和也は、この国の印象をイタリアのヴェネツィアのようだと思った。
実際に行ったことはないが、写真や動画で見たことはある。
道行く人は皆、幸福そうな笑顔を顔に浮かべ、この世の生を謳歌しているように見えた。
まさに幸せの国。そう言えるかもしれない。
和也は広場で足を止め、少しだけ周りの様子を見ることにした。
広場にはあちこちに屋台が構えられており、香ばしい匂いや、甘い匂いが満ちている。
その匂いに食欲がそそられ、何か買おうかと思ったが、少し考えて結局は止めることにした。
広場の中央には立派な噴水があり、子供たちがその周りではしゃいでいる。
平和を絵に描いたような風景に、思わず笑みがこぼれた。
もう少しここで、ボーッとして過ごしたいという誘惑に囚われるが、いかん、いかん、と自分の気持ちを引き締めなおす。
そして、頭を整理する意味でも、ここに来た経緯をもう一度思い出してみることにした。
天空の宮殿、会議の間。
円卓に両手を叩きつけ、ライサンが語気を強めて言った。
「カズヤ! これは絶対に罠だ、行くべきではない!」
「確かに、ライサンの言うことは正しいのかも知れない。でも、もしあいつから何か情報を引き出せるのなら、これはかなりのチャンスだと思う」
「しかし!」
興奮するライサンに優斗が宥めるように言う。
「まあまあ、まずは落ち着こう。ところで、あの人から指定された、マカリステラ自治国ってどんな所か誰か知っているかい?」
優斗の口から出たマカリステラ自治国、それが敵の親玉から指定された会合の場所だ。
セリスからは、そんな国の名前を聞いたことが無い。
だから、和也と優斗は、その国のことは何も知らない。
「あたしは知識だけであれば、知っているです!」
「知っていることを教えてくれるか?」
「はい! その国は大陸の北東端に位置する小さな国です。二十年前までは貧しい国だったようですけど、ヴィクシャルン帝国の支配を受けてから、急速に発展。今では、世界有数の豊かな国になっているです!」
たった二十年前で貧国から世界有数の豊かな国か。
それはすごいな。一体どんなことをしたんだろう。
和也は情報を提供してくれたイーリスに礼を言い、この場に居る者達に向け口を開いた。
「奴が何でそんな場所を指定してきたのかは分からないけど、俺はあえて乗ってみるべきだと思ってる」
「だが!」
「危険なのは分かってるよ、ライサン。でも、皆が居るから、俺は行けるんだ」
頭に疑問を浮かべる面々に和也は続けて言う。
「優斗とライサンは、指定場所の近くで待機していてくれ。こちらが一人だと奴に思わせる必要があるからな。奴に見つからないように頼む。イーリスは、俺とリンクして遠隔で周囲の警戒を頼む。皆、何かあったら助けてくれ。皆のことを頼りにしてる。だから俺は行ける、行こうと思う」
「……ふーむ」
渋い顔をするライサンだが、和也に頼られて満更ではないといった様子。
それは、優斗とイーリスも同様であった。
「それに、リーラの身柄はこちらが確保しているんだ。奴のリーラへの態度を見るに、軽はずみなことはしてこないだろう、と俺は思う」
「分かったよ、カズヤ。お前を信じよう」
「しょうがないね、信頼に答えるとしますか」
「あたしも全力でバックアップするのです!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
後ろ髪を引かれる思いだったが、自分に活を入れ、広場から歩き出した。
水路を横目に、舗装された石畳を踏みながら通りを行く。
劇場や教会を通り過ぎ、入り組んだ通路を通り抜けると、少し開けた場所に出た。
その広場は、数多くの飲食店が立ち並んでおり、大勢の客で溢れかえっていた。
和也は、教えられたルートを進み、目的地を探す。
あれか。
敵からの指定位置、バルカローラと言う名の建物を見つけた。
薄いオレンジの壁の二階建ての建物だ。
入り口の上の壁には、共通語でバルカローラと書かれた看板が設置されている。
見たところ、飲食店のようだ。
店の外には、机と椅子が並んでおり、どうやらオープンテラスも設置しているらしい。
そして、目的の人物を見つけた。
パラソルが立つオープンテラスの一席で足を組み、陶器のカップに口をつけて優雅に寛いでいる。
むかつくが、それだけで絵になる。
ここが元の世界なら、モデルのスカウトが殺到したかもしれない。
その人物はこちらの存在に気付くと、とても爽やかな笑顔で言った。
「ここまで足を運んで頂き、ありがとうございます」
「ああ」
和也はあえて素っ気なく、ぶっきらぼうに返事をした。
敵のペースに乗せられるのは良くないような気がしたから。
「まずは、何か頼まれては如何ですか? 私のオススメはミロディアですね。この店の物は絶品ですよ」
和也は渡されたメニューを眺めた。
正直、どのメニューも聞いたことが無い物ばかりだった。
周囲の客の席に並べられた料理を見るに、軽食と飲み物を出す店のようだ。
ここは、喫茶店のような感じか。
少し悩んだが、オススメされたミロディアを頼むことにした。
店員を呼んで注文を頼んだ。
すると、数分もしない内に、注文した物を店員が運んできてくれた。
仕事が早いな。
和也は感心しながら、提供された物を観察した。
陶器のカップに黒い液体が注がれている。
湯気の立つその液体に、鼻を近づけて少し匂いをかぐ。
「これは……」
その匂いに惹きつけられ、一口飲む。
苦味と酸味が口の中で広がり、芳ばしい香りが鼻孔を刺激する。
「これは……コーヒーだ」
まるで元の世界のコーヒーだった。
少し苦味は薄いが、紛れもなくコーヒー。
まさか、この世界でコーヒーが飲めるとは。
コーヒー好きの和也としては、これは嬉しい情報だ。
またここに来よう。そっと、心の中でそう思う。
「フフッ、気に入って頂いて何よりです」
和也の反応を見て、ネフェリオが優しく微笑む。
なんだんだ、こいつは……。
本当にやりずらいな。悪の親玉なら、それらしくしやがれってんだ。
和也はその笑顔を跳ね返すようにキッと睨みつけ、ネフェリオに言った。
「まず、教えてくれ」
「はい、何でしょう?」
「お前達は、夢幻の魔晶石を持っているのか?」
「はい、所持しております」
あっさり認めやがった。
はなから隠すつもりがないのか。
「それを使って、何をする?」
「それは教えられません。今は」
和也はネフェリオを睨めつけながら考えた。
武力行使で無理やり吐かせるか?
吐かなければリーラを傷つけると言って脅すか?
少し考えたが、結局はどちらの選択も取らないことにした。
それをしてしまっては、自分の中の何かが壊れる気がしたから。
それに、相手は約束通り一人で来ている。
まだ油断できないが、罠ではなさそうな雰囲気だ。
こちらを対等な相手と見てくれているのかもしれない。
そんな相手に、武力や脅しを使ったとなると、まるでこっちが悪党みたいではないか。
「あと一つ……いや、二つ聞かせてくれ」
「ええ、構いません」
「お前は……お前達には罪の意識は無いのか? お前達のせいでソルランド王国は無茶苦茶になったんだ。大勢が苦しんだし、大勢が死んだ。何も思わないのか?」
「そのことについては、私から弁明する言葉はありません。ですが、我々は我々の信念に従ったとだけ言っておきましょう。そして、いずれ然るべき裁きを受ける所存です」
つまりこいつはあれか。
後ろめたい部分がありつつも、あれはやらなければならないことだったと、そう言っているのか。
あれが正しい行いだと、信じているって言うのか。
そんなことあってたまるか。
込み上げる怒りと共に、ある人物の言葉が頭に過った。
この世に悪も善も無い。
セラフ…………。
セピロスの言葉を思い出し、一先ず怒りの矛を収めることにした。
落ち着け。冷静にならなくては、情報を聞き出すこともままならない。
「じゃあ、もう一つだ。俺はあんたの仲間であるパルテノを殺した。俺が憎くないのか? そんな俺に何故、頼みごとをする?」
「貴方だからこそですよ。私はパルテノを破った貴方を高く評価しているのです。パルテノのことは、私達にとってはとても残念でした。ですが、いつかこういう時が来ることをパルテノも私も覚悟していました。私はパルテノという男を破った貴方に、憎しみではなく、あえて称賛を送ります。パルテノもそれを望んでいることでしょう」
正直、こいつの言っている理屈はよく分からない。
俺の仲間が殺されたら、俺は絶対に許せないだろう。
だけど……。
和也にはネフェリオの理屈が理解出来なかったが、不思議と感情は伝わってきた。
こいつは、本心で俺に称賛を送っている。
まるで、そうすることがパルテノへの手向けだとでも言うように。
和也は、これ以上は何も引き出せないだろうと判断し、話を進めることにした。
「それで、あんたは俺に何をさせたいんだ?」
「それは、私の依頼を受けて頂ける、ということでよろしいでしょうか?」
「まずは聞かせてくれ」
「分かりました。突然ですが、カズヤさん。この国をどう思われますか?」
その質問は……。
和也の頭に、ある女性の顔が浮かんだが、思考がそっちに流される前に言葉を口にする。
「率直な感想だけど、皆幸せそうで、豊かで、まるで幸福の国……そういう印象かな」
「ええ、そうでしょうね。ですが、ご存じですか? この国は二十年前までは、とても貧しい国であったことを」
「ああ、それは知っている。とても信じられないけど……」
「そうでしょう。そして、うまい話には必ず裏があるものです。この国は、その裏の部分によって危機に立たされているのです」
「どういう意味だ?」
「ここからは、私の紹介する人物から話を聞いて頂けますか?」
「あんたからの依頼を正式に受理しなければ、その人物に会えない?」
「ええ、そうなります」
「じゃあ、あんたの依頼を達成したとして、俺達にもたらされるメリットは何だ?」
「私達の目的の一端をお話しします。依頼に見合う内容であることをお約束します」
「あんたが、その約束を守る保証がない」
ネフェリオは笑顔を崩さないまま、ジャケットの内側からある物を取り出した。
それは、掌に収まるサイズの魔石だった。
無色に輝くダイヤモンドのようなその魔石を机に置き、和也に見せた。
「これは?」
「これは、言霊石と言います。この魔石に封じた言霊を違えた時、この魔石を砕けば、それは呪いとなって言霊の主に還ります。言霊は魂との結びつきにより発生するもの。呪いは魂を侵し、やがて言霊の主を死滅させるでしょう」
「あんたが約束を反故にした時に、俺がこれを砕けば、あんは死ぬってことだな」
「その理解で問題ありません」
「……分かった。だけど、俺にはこれが本物か鑑定するスキルが無い。悪いけど、それを確かめてからだ」
「フフッ、用心深いですね。いいでしょう。では、お気持ちが決まったら連絡頂けますか?」
ネフェリオはそう言って、またジャケットの内側をまさぐり、ある物を取り出した。
「これは?」
机の上に置かれたそれを見て、和也はまた同じ質問をした。
机の上に銀色に輝く指輪が置かれている。装飾の少ないシンプルな物だ。
「これは、呼び声の指輪。これを指に嵌めた者同士は、離れていてもこれを通じて会話することが可能です」
そう言って、自分の指に嵌めてある指輪を見せるネフェリオ。
「そんな便利な物があるのか……。これはまるで……」
「ケータイデンワ、のようですか?」
「なっ!」
まさか、ネフェリオからその言葉が飛び出すとは思わなかった。
和也が思っていたのは、まさしく携帯電話だ。
この世界は、離れた者同士が連絡を取り合う手段が乏しい。
和也とイーリスはテレパシーでそれが可能だが、他の者とはその手段が無い。
常々、こういう物を欲していたのだ。
和也はもう一度、鋭い目つきでネフェリオを睨んだ。
「何で、あんたがその言葉を知っている?」
「簡単な話ですよ。貴方と似たような境遇の方が、知り合いに居るというだけですから」
驚いたな。
俺と似た境遇。それは、異世界からの来訪者が俺達以外にもいるということだ。
それと、驚いたことがもう一つある。
俺達が異世界から来た人間だとは、こいつには話していない。
何故それを知っているのだろうか。
何を切っ掛けに気付かれた?
あまり長居すると、余計なことを読み取られるような気がして、和也はこの場から退出することを決めた。
言霊石と指輪を受け取り、椅子を引いて立ち上がった。
「おや? もう行かれるのですか?」
「ああ。また後日、この指輪で連絡する」
「分かりました。分かっているとは思いますが、その魔石と指輪はとても貴重ですから、なくさないでくださいね」
「ああ」
笑顔で忠告するネフェリオに、あくまでぶっきら棒に返事をする。
そして、和也は「じゃあな」と言って踵を返した。
「ああ、そうそう」
和也の背後から声が掛かり、足を止める。
怪訝な顔をする和也に、ネフェリオは言う。
「天空の宮殿の住み心地は、如何ですか?」
「……それは、どういう意味だ?」
「いえ、他意はありません。ただ、元管理者として気になっただけのことですよ」
「なに?」
和也は、足を組み座るネフェリオを上から見下ろした。
その表情には、笑みが浮かんでいる。余裕とも言える笑みが。
「あんた、何者だ?」
ネフェリオは、そこでようやく笑みをしまって、少し不思議そうな顔して立ち上がった。
「おや、お気付きではなかったのですか?」
そう言い終えた時、ネフェリオの背から翼が現れた。
巨大で真っ白な、魔力で編まれた翼だ。
その翼の美しさに、周りにいた客達の注目が集まり、感嘆の声が上がる。
中には拍手をする者まで居る始末だ。
「私は有翼族です。そして、かつては渾名で呼ばれていたこともあります。―――セラフ、と」




