第五十二話 陽だまりの食卓
影の魔神が祓われてから二週間が経った。
この国は、少しづつ変化を見せている。勿論、良い方向に。
内戦を煽っていた影が扮する者達が一斉に消滅したことと、アルダイル荒野で起きた奇跡が、広く伝わったことが主な原因であろう。
影の悪意が薄れ、アルダイル荒野で芽生えた希望が広がっていったのだ。
今後、人と獣人のお互いへの敵意は、徐々に薄れていくと思われる。
だが、それでもこの国にはまだ深い傷が残っている。
この先、表向きは平穏を取り戻すかもしれない。
それでも火種は残り続けるだろう。
それは、ある意味では必然なのかもしれない。
あるいは、そこからが本当の闘いなのかもしれない。
そして、帰って来ない者達も大勢いた。
和也達は、ベナンテスやセブナ、その他の獣人の者達の捜索を続けているが、何の手掛かりも得られていないのが実情であった。
もしかすると、影に飲み込まれた者達も、パルテノと共に消滅してしまったのかもしれない。
嫌な思考に囚われるが、それでも和也の心が折れることはない。
かけがえのない者達と共に、これからもその歩みを止めることはないだろう。
今日は、そのかけがえのない者達が集い、ささやかな祝いの席を設けていた。
アルバトロン家には、男女が賑わう声が響き、香しい匂いが立ち込めていた。
赤と白で模様が描かれた絨毯の上に、木製の長方形の机が設置されており、その上には豪華な料理が並んでいる。
色とりどりの料理が並び、スパイスの香りがこの部屋を包み込む。
「うまそうですー」
「おいおい、イーリス、よだれ、よだれ」
「ハハッ、イーリスちゃん、よっぽどお腹減ってたんだね」
「フッ、イーリスも待ちきれないようだ。早速だが頂こうか。食材と、作ってくれたエイナとユウトに感謝する」
この場に集った者達は、セリスの言葉を切っ掛けに感謝と祈りを捧げ、食事にありついた。
うまい。
和也は素直にそう思った。
スパイスが舌を刺激し、鼻を突き抜ける。
鶏肉のような食感の肉は、しっかりと下味がつけられており、とても柔らかく噛めばとろける。
この家では主に、質素な豆料理が出されていたが、たまたま貴重な肉が手に入ったとのことで、優斗とエイナが腕によりを掛けて振舞ってくれた。
和也は改めて、優斗とエイナに礼を言うことにした。
「優斗、エイナ、とても旨いよ。ありがとう」
「喜んでもらえて何よりだよ。まあ、僕は少し手伝っただけで、エイナがほとんどやってくれたんだけど」
「そんなことないわ、ユウト。砂漠兎の捌き方は見事だったわ。助かっちゃった」
エイナはそう言って、クスクスと笑う。
やっぱり、雰囲気が変わったよな、エイナ。
それに、いつの間に優斗と仲良くなったんだ?
そう思う和也だったが、そのことに突っ込むのは無粋だな、と自制。
和也はその次に、斜め左に座る二人に視線を移した。
「あっ! ライサンさん、それあたしの肉です!!」
「ん? おお、すまん、ちび助。だがな、飢えた獣人相手に隙を見せては駄目だぞ! ワッハハ!」
「許せないのです! 肉の恨みは大きいのです! あと、ちび助ではないのです! イーリスなのです!」
大人げないライサンにイーリスが猛抗議している。
ライサンは、抗議に動じず楽しそうに笑い、イーリスの頭をワシャワシャと弄る。
この二人、意外と相性が良さそうだな。
和也は、その発見に新鮮な気持ちになったと共に、イーリスのはしゃぐ姿を見て胸を撫でおろした。
影の魔神が祓われてから二週間。
一先ずの安全を確保できたと判断し、イーリスを連れて来た訳だが、イーリスにとっては初めての下界。
誰とでも仲良く出来るイーリスのことなので、そこまでの心配はなかったのだが、どのような化学反応が引き起こされるかは分からなかった。
そして、それは杞憂に終わった。イーリスの笑顔を見て、本当に良かったと和也は思った。
もしかするとその笑顔こそが、この国で頑張ってきた報酬なのかもしれない。
「皆、少し良いだろうか?」
少し神妙な面持ちで、声を発したのはセリスだ。
セリスは、ここに居る者達からの注目を確認した後、続きを話し始めた。
「皆のお陰で、この国は前に進み始めた。それは多くの者達が築き上げて来た努力の成果であり、多くの者達が切り開いた血路のお陰でもある。私達はその道を歩き、ここまで辿り着いた。だから今一度、その英雄たちに感謝と哀悼の意を示そう」
この場に集う者達は、セリスの言葉に耳を傾けながら頷く。
皆、気持ちは同じである。
「この国はこれから、新たな未来を突き進むだろう。だがそれは、巣立つ前の雛鳥のように弱く不安定なものだ。だから…………私は暫く、その雛鳥を見守り、微力ながら支えようと思う」
和也には、セリスの言いたいことが分かった。それはつまり―――
「それはつまり、この国に残るっていうこと?」
優斗が反射的に声を上げた。
「ああ、ユウト。それにカズヤ、イーリス。私の目的は世界の救済だ。それは今も何一つ揺らぐことはない。だが、私は勘違いしていたようだ。私は大局を見すぎていて、足元が見えていなかった。世界の救済に近道はない。世界とは、個人の集合をさす言葉だからだ。まずは個人をよく見ること。それが最初の一歩。私はそれを、父と叔父から教わった。だから、まずはこの国に残って、それを試そうと思う」
「セリス…………」
「フッ。そんな顔をするな、カズヤ。夢幻の魔晶石はお前達に託そう」
和也には分かった。こうなってはセリスは絶対に揺るがない。
本来ならば、夢幻の魔晶石を巡るライバルが減って、好機とも言える状況。
喜んでも良い筈であるが、そのような感情は微塵も湧かなかった。
そう言えばそうだ。俺達は、そこから始まったんだったな。
和也は一人、笑う。
出会ったばかりのころであれば、こんな気持ちが湧いてくるとは、夢にも思わなかっただろう。
「それに、私は一人ではない。多くの協力者が居る。エイナもその一人だ」
「はい、セリス様。私がセリス様を支えます!」
どうやら、エイナはセリスの右腕となり、セリスと共にこの国の復興に尽力するようだ。
それは心強い。
「よし! ならば俺も頑張らねばな! セリス様、俺のこともお使いください」
そう言ってライサンは立ち上がり、拳を握る。
そのライサンの後ろにエイナは回り込んで、笑顔でうんうんと頷いた。
そして―――
「いてえっ!!」
バチンと強烈な音を立てて、ライサンの背中が叩かれた。
「なっ、なにをする!? エイナ!」
エイナは、ライサンの顔に自分の顔を近づけて言う。
「もう! 素直じゃないんだから。行きたいんでしょ? カズヤ達と共に」
ライサンは図星を突かれた。今回の騒乱で思い知ったのだ。
自分は、まだまだだと。もっと世界を見て、まだ見ぬ強者達にまみえたい。
それが、狼人最強の称号を預かった男の性である。
「い、いや、しかしな。お前を一人にする訳には――――――、いってえ!!」
またもや、バチンと強烈な一発がライサンの背中に入った。
「行ってきなさい! 世界に飛び出しなさい! それでこそ、私の兄ちゃんでしょ!」
「エイナ…………」
「ライサン。私もそれが良いと思う。エイナのことは私が責任を持って見守ろう。だから、征くが良い」
「…………分かりました。セリス様、エイナをよろしくお願いします」
ライサンの覚悟は決まったようだ。正直、ライサンが共に来てくれるのは、かなり心強い。
「カズヤ、ユウト、それから、ちび助も、よろしく頼む!」
「ああ、こちらこそよろしく!」
ライサンの加入を嬉しく思いつつも、胸につかえるのはやはりセリスのことだった。
そんな、モヤモヤを祓おうと、止めていた食事を続ける為、手にしたフォークで皿をつついた。
ん?
皿には何も乗っていなかった。
そして、机の中央に肉が山盛りで置かれていた筈だが、それも無かった。
ふと、イーリスが視界に入る。
イーリスは、口の周りを油とスパイスでベッタリ汚しながら、頬が膨れるぐらい口に食べ物を詰め込んで、もしゃもしゃと咀嚼している。
イーリス、お前まさか。
「ああ! ちび助が全部食べてしまったではないか!?」
「あははっ、イーリスったら、頬がすごいことになってるわよ」
「ははっ、ほんとだ」
「ごべんばさいべす。おいびばったからつび」
「イーリス、分かったから、飲み込んでからしゃべるんだ」
和也がイーリスに突っ込むと、この場にどかっと笑いが湧いた。
「しょうがないなあ。僕、追加で調理してくるね」
「あ、私も手伝うわ」
優斗とエイナが楽しそうに調理場へ消えて行った。
笑いは、まだ続いている。
暖かく、陽だまりのようなその笑いは、その後も暫く鳴りやむことはなかった。
どこまでも、笑いが幸せを運ぶ。どこまでも。




