第四十五話 スタートライン
「くっ……そ」
和也は仰向けになり、白い天井を見つめる。
この巨大な塔の頂上に案内されてから三日目。
ゼピロスの扱きは毎日続いた。
一方的にこちらを痛めつけては、満足したように笑うゼピロス。
その顔を思い出して、また怒りが込み上げてくる。
「あのチートじじい」
なんとか一矢報いようと頑張ったが、今のところ、ゼピロスに攻撃を当てることが出来た回数はゼロ。
これはもう、勝てる勝てないの話ではない。そもそも生物としての格が違う。
蟻がゾウと競っているようなもの。
勝てると思うこと自体が馬鹿らしい。
今日の扱きは終わった。
殴られて腫れた顔を、あえて放置している。
この痛みが力になってくれることを信じて。
セラフを信じて修行につき合うと決めたが、この修行に何の意味があるのかは分からない。
セラフは技を教えてくれる訳でもなく、ただ、殴る、蹴る、こちらの攻撃をいなし、投げる。
それの繰り返し。
セラフは、答えは内にあると言った。
その言葉を最後に俺へのアドバイスは皆無。
口で説明して伝わるものではないと言う事か。
答えは自分で見つけるしかない……か。
一度、頭を空っぽにしよう。
心を無にし、天井を一点に見つめる。
眩しい。白い色が眼に障る。
……でも、なんだろう。この感覚、懐かしいな。
ああ、そうか。
病院だ。この白い天井、この痛み。病院を思い出す。
和也は思い出す。苦い記憶を。
故あって、病院のベットで一日の大半を過ごした日々を。
あの時は、父さん、母さんに迷惑掛けたな……。
思えば、この世界に来て数か月が経過した。
父さん、母さん元気にしてるかな。
「あれ?」
和也は気付いた。自分の瞳から涙がこぼれたことに。
涙は重力に従って、頬を伝い下に流れる。
「ハハッ。ホームシックってやつか。いい歳して恥ずかしいなぁ」
この場に誰も居なくて良かった。心底そう思った。
そして、また思い出す。
両親の顔を、声を、あの優しさを、あの逞しさを、あの愛を。
「でも、やっぱり…………会いたいな…………」
それが和也の本心だった。
恥ずかしくて、とても人には打ち明けることが出来ない、真の心。
「ああ、そうか。俺はそうだったんだ」
優斗には「償い」と言って恰好つけた言葉。
それは嘘ではないが、真実でもなかったのだ。
「ハハッ…………俺って、だっさ」
情けない自分を自虐的に笑う。
それでも、最後まで諦める訳にはいかない。
そうでなくてはいけない。
自分は、あの愛を一心に注がれて育った、最高の人間なのだから。
そうでなくては、他人にも自分にも誇れないではないか。
「ん? …………なんだ?」
その時、異変が起こった。
身体中に魔力が駆け巡る。血が沸き立ち、細胞が活性化し、心臓が早鐘を打つ。
「うっ……これは」
身体が異常事態を告げている。
溢れる力を制御できない。
この緊急事態にありながら和也は、不思議な感覚を覚えた。
…………身体が、喝采を上げている……?
身体が喜んでいる。
つま先から頭の天辺まで、肉体の全てが歓喜の声を上げ、喜びに震える。
そのような感覚。
和也は冷静に分析する。自分の状態を。そして理解した。
―――アスクレピオス。お前なのか?
それに応えるように、和也の身体から碧の輝きが溢れだす。
かつてない程の力の奔流。
和也はしっかりとアスクレピオスの手綱を握り、力を制御するよう努める。
制御の感覚を掴み、それのみに集中。
やがて力の暴走は収まった。
そして、ハッキリと感じた。
アスクレピオスの意志を。今までよりハッキリ。
「これは一体…………」
「至ったようじゃの」
「わあ!?」
驚いた。セラフが急に現れた。
「セラフ……これは……」
「うむ。己の心と真に向き合ったことで、神意との繋がりを強めたようじゃの」
「繋がり?」
「うむ」
そうか。だからアスクレピオスの意志がハッキリと感じ取れるんだ。
俺の心と神意の同調が強まったんだ。
同調を強めるには、自分の心の在りかをしっかりと見定める必要があるということか。
己の立っている位置が分からなければ、相手の方向も分かりはしない。だから近づけない。
そして、今、現在地が判明した。相手の方向も。ここがスタートラインだ。
「良い顔じゃ」
「はい!ありがとうございます!セラフはこの為に、俺に修行をつけてくれていたんですね。とにかく俺を追い込んで、頭を真っ白にさせ、自分と向き合う機会を作ってくださった。そうではないですか?」
「お? お、おう! そうじゃ! そうじゃ!」
ん?なんか歯切れがわるいな。
和也はセラフの反応が少し気になったが、それに言及することはしなかった。
セラフは言えなかった。修行はただの趣味であると。
己の技を存分に振るえる良い機会。その思いで和也を扱いていたのだ。
セラフは修行相手に飢えていた。
セラフはこの都市では神の如き扱いを受けている。
修行とは言え、その神と殴り合うなどとんでもない。
この都市の者は皆、そのように考える。
その為、セラフと組み合う者は、この都市には皆無であった。
だからと言って、セラフが和也を騙していたのかと言うと、決してそうではない。
セラフは分かっていたのだ。和也の覚醒が近いことを。
自分の心の在り方は自分で定めるしかない。
それは他人がどうこう出来るものではない。
だから、和也のことを近くで見守りつつ、折を見て助言を授けようと思っていたのだ。
結局、その機会が訪れなかったのは、和也の成長が思いのほか早かった、というだけの話。
「セラフ、感謝します。俺は、帰ろうと思います」
「うむ。征くが良い」




