第三十五話 兄と妹
「それでは、ライサン、イーリス、留守を頼んだ」
セリスが二人を交互に見ながら言った。
会議の間にて話し合った結果、結論が出た。
セリスの分の悪い賭けを飲むことを。そして、セリスと共に和也が征くことを。
和也が同行する理由は二つ。
まずは戦闘力。戦闘力の高さで選定するのならば、和也、優斗、ライサンの三人に絞られる。
だが優斗は言うまでもなく外さなければならない。故に和也、ライサンの二択である。
そして、もう一つの理由、魔力量。
これに関しては和也に分がある。故に和也が選ばれた。
では何故、魔力量が選定理由に入るのか?
セリスの故郷は、天空の宮殿から遠く離れた別の天空の大地。
当然ながら、そこへ行くにはセリスの飛行能力に頼る必要がある。
だが、セリスの魔力の翼は魔力消費が大きい。
平時であれば、故郷迄の道中にある浮島で羽を休めながら進めば良い。
しかし、今は時が惜しい。
その為、膨大な魔力量を誇る和也の魔力をセリスに供給しながら進むことで、継続飛行能力を高めれば良いと考えたわけである。
では和也は、どのようにしてセリスについて行くのか。
その答えは、今の和也の状況に、ありありと示されていた。
「セ、セリス……すまない」
和也は顔を赤くしながら謝った。
「あ、ああ、大丈夫だ。もとよりこれは、私から言い出したことなのだから」
セリスは少し腰を屈め、和也の太もも辺りに手をかけながらそう言った。
和也は、セリスに背負われていたのである。
……うわ。これ、想像以上に恥ずかしいな。
他に同行する手段が無いのだから仕方がないが、大の大人が、華奢な女性に背われる構図。
見る者が見えば、羨ましいと声を上げるかもしれない状況だが、和也は羞恥心と情けなさに苛まれていた。
和也は、もう少し考えてから同行すると言えば良かったかと少し後悔。
しかし、すぐにそれを訂正。セリスを守らなければならないという気持ちの方が強かった。
和也は一旦、羞恥心を他所に置いてから、イーリスとライサンに向き直った。
「イーリス、ライサン、行ってくる」
「マスター……」
イーリスの大きな瞳には涙があふれていた。
和也はイーリスを見つめ返し、少し困ったように笑う。
一旦セリスから降りて、ぐっとその身にイーリスを抱きよせた。
「泣くなイーリス。絶対に帰ってくる。約束だ」
イーリスは和也の胸の中で、啜り泣きながら言葉を返した。
「……本当に、本当に約束なのですよ?」
「勿論だ」
和也はイーリスを抱いたまま、ライサンを見上げる。
「ライサンには大きな負担を掛けることになる。優斗とエイナを頼む」
優斗とエイナはこの場にはいない。二人とも部屋に引きこもり心を閉ざしている。
ライサンは自分の胸をドンと叩いた。
「任せろ、カズヤ!」
和也はそんなライサンを頼もしく思いながら、宮殿の方に目をやった。
優斗……俺が戻ったら、話をしよう。お互い腹を割って。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
セリスと和也が旅立って、しばらくした後、ライサンはある部屋の前に立っていた。
コンコン、と扉にノックを二回。
部屋の主からは返事がない。
コンコンと更に二回。それでも結果は同じ。
扉の取っ手に手を掛ける。
―――ガチャリ。
鍵はかかっていないようだ。
「エイナ、入るぞ」
ライサンはそう言って、ゆっくり扉を開けて部屋を見回す。
部屋の主が見当たらない。
ライサンは注意を凝らした。
―――いた。
ライサンは部屋の主を見つけた。
部屋の主はシーツを頭からかぶり、ベットで丸くなっていた。
ライサンは机に備え付けられた椅子を拝借し、ベットの横に設置。
そして椅子に着席。
それから、静かに、そして優しく、部屋の主に語りかけた。
「エイナ、昔のことを覚えてるか?」
一呼吸して続きを話し始める。
「お前が近所の悪ガキ達に虐めらているのを聞きつけて、俺と父さんが駆け付けた時の話だ。あの時、父さんは血相を変え、我先へと家を飛び出して行ったんだっけな。……父さんは、いつもお前のことを気にかけてた」
ライサンは遠い目をして話を続ける。
「…………だけど、あの時は笑ったぞ。いざ現場に到着してみたら、悪ガキ達がお前に、一方的に叩きのめされてるんだから。あの時は―――、プフッ、いやー笑った、笑った」
その言葉にエイナは無反応を貫くが、耳だけはしっかりと傾けていた。
エイナはそれを聞いて思った。
―――いったい、いつの話をしているのよ。
それは、もう十年ほど前の話だ。その話を聞いてエイナの頭に記憶が蘇る。
あれは確か、母さんが流行り病で亡くなって、間もなくの頃だっただろうか。
悪ガキ達はこう言った。お前の家族は全員病にかかっている。だから、この国から出て行けと。
それは子供が故の純粋な悪意。思慮の浅さから出た言葉だが、エイナは子供ながらに深く傷ついた。
母の死から、まだ日が浅かったのだから尚更。
それと同時にエイナは思った。なんて酷いことを言うんだろう。
こんなに酷いことを言えるのは、きっと、こいつらが悪魔だからだ。
だからエイナは渾身の技を使って、その悪魔達を叩きのめしたのだ。
悪魔達が泣いて謝っても殴るのを止めなかった。
別に構わないだろう。だって相手は悪魔なのだから。悪魔であればとことんやればいい。
エイナはそこでふと気づいた。悪魔どもを叩きのめしてスカッと出来るはずだった。
だけど、その時、心が晴れなかったのは何故か。
父の言葉が頭を過る。
エイナ、暴力を振るってはいけないよ。暴力で相手に言う事を聞かせるのは簡単だ。
だけど、暴力の世界は深い深い闇。暴力を振るう者に待つのは、より強い暴力だ。
暴力はより強い暴力に飲み込まれ、果てのない闇が続く世界。
そんなものに足を踏み入れてはいけない。
そうだ、あの時、父にそう諭されたのだ。今なら分かる。父の言ったことは真理だ。
今、この国は暴力が暴力を呼び、深い闇へ踏み出そうとしている。果てのない闇へと。
最後に父さんは言った。暴力を技に昇華させなさい。技を磨き武としなさい。
何故忘れていたのだろう。その言葉は自分の原点であった筈だ。
だからこそ、日々研鑽を積んできたのではないのか。
ならば今こそ、磨き上げた技と武を持って、悪党どもを成敗する時なのかもしれない。
決して暴力とは違う、闇を祓う為の技と武を使って。
「エイナ、俺はな、お前のことが大好きだ。お前の為なら何でもできる。出来てしまう。だから…………もう一度だけ、兄ちゃんのことを信じてくれないか?」
その言葉を聞き、エイナは思い出した。今度は母の言葉だ。
ライサンは、少し抜けてるからしっかり支えてね。
そうだ、母に託されたではないか。
「…………兄さんを疑ったことなんてないよ」
ここでエイナが初めて口を開いた。
そしてエイナは頭からシーツを退けて、泣き腫らして充血した目でライサンを見据える。
ライサンもエイナを見つめ返し、笑みを浮かべる。
「エイナ……」
「兄さんを疑ったことなんてない。今だって信じてる。……でも」
「でも?」
「兄さん一人に戦わせたりしない。私だって戦う」
「…………ありがとう」
ライサンは大きな両腕を、エイナの背中にそっと回し、エイナを抱きしめた。
エイナはライサンの大きな体に身を預ける。
気が付けば、二人の瞳から自然と涙がこぼれていた。
その涙が切っ掛けとなり、二人は大きく声を上げて泣き始める。
その涙で悔しさを洗い流すように。
もう二度と泣かなくて良いように。
二人はしばらく泣き続けた。




