第十七話 夜の静寂に
人々が寝静まり、夜の闇と静寂に満ちた真夜中。とある区画に四人の男達が集まっていた。
その場所は、月明りも届かぬ地下に存在し、灯は壁に掲げられている松明のみ。
地面は舗装されておらず、土と砂で覆われており、石造りの壁は何年も修繕されていないのか、所々ひび割れが目立つ。
「……誰にも見られておらぬであろうな?」
禿頭の男は、小声で囁くように問いかけた。
その男は精巧な彫刻のように整った容姿をしているが、顔に入った深い皺が、積み重ねてきた年齢を物語っている。
地味な外套の中に祭服のような物を着用していることから、何らかの教会の関係者であることが予想できる。
「はい、それは間違いなく」
男が答えた。
禿頭の男と同年代に見えるその男は、神妙な面持ちで回りを窺う。
犬のような耳が頭から生えており、その耳をピンとそばだてる。
他の二人も同様に、犬のような耳で周囲の音を拾い、警戒を開始する。
この中で唯一、人型の耳を持つ禿頭の男は、ゆっくりと頷き話し始めた。
「恐るべき事実が分かった……。信じられぬかもしれぬが、王宮に近しく、信用できる者からの情報だ」
それを聞いて、犬耳の男が少し躊躇しながら静かに尋ねる。
「ベナンテス様、その恐るべき真実……とは?」
「アドラ国王のことだ。あやつは人ではない―――、魔の者であることが分かった」
ベナンテスと呼ばれた禿頭の男が発言したその内容に、他の面々は、一様に驚きの声を上げた。
「魔の者、とはどういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味だ。これは比喩ではない、あやつは魔そのもの。邪悪の化身が国王に扮しておる。儂は……いや、我々は皆、騙されておったのだ」
「まさか……しかし、そうですな。であれば、国王の数々の凶行には納得がいきます。……して、如何しましょう? ベナンテス様」
ベナンテスは眉間に深い皺を作り、息を小さく吐く。
その後、少し間をおいて三人の顔をゆっくりと眺めて答えた。
「儂は聖職者だ。武力による解決は許されぬが、今回に関してはその限りではなかろう。邪悪な魔の者を祓うのは、儂の使命でもある。」
「おぉ……では」
「お前達、すまないが協力を頼む。精鋭を集めよ。国王を捕らえるぞ」
犬耳の男三人は、胸に手を当てたままベナンテスに向かって、恭しく頭を下げる。
「勿論でございます。我々の民は日に日に憎悪が積もっています。もはや、若い衆を止めていられるのも時間の問題。遅かれ早かれ多くの血が流れることになっていたかと……」
「……感謝する。誇り高き獣人の戦士達よ」
犬耳の男三人は再び頭を下げ、ベナンテスに敬服を示した。
その時、ベナンテスは闇の中に異質な気配を感じ取った。
闇の中で影が蠢き、次第に形を成していく。
なんだ……あれは?
ベナンテスが声を発するより前に、その影は人の形を成した。
犬耳の男三人も異常を察知しその影を凝視する。
人の形をした影は、二メール以上の巨大な図体を誇っていた。
その体の表面には、屈強な筋肉が浮かび上がっており、異様な不気味さを感じさせる。
体も顔も全てが真っ黒な闇で出来ており、その表情は窺い知れないが、指先の鉤爪のような形状と耳元まで裂かれた口元に並ぶ鋭い牙のような闇が、この場にいる者の恐怖心を煽る。
「な、何者だ!」
犬耳の一人が恐怖心に耐えきれず、腰の湾曲した片刃のサーベルを抜き、人型の影を威嚇する。
影はサーベルを突き付ける男に向かって、ゆっくりと歩き出した。
「ちっ、ちかよるな!」
明確な拒絶を受けても、影は歩く速度を落とすことはない。
「貴様!!」
影はやがてサーベルの間合いに侵入。男は躊躇うことなく、影の右肩から左の腰を大きく引き裂いた。
影の表面は大きく裂けたが、深い傷を負っても影は無反応。やがて、裂けた表面を縫うように影が結合していく。
そして、影は驚き固まる男に向けて、右手の鉤爪を振り下ろした。
「はぁっ!」
男が鉤爪の犠牲になる前に、別の犬耳の男が右手に装着した籠手で殴りつけ、その爪を止めた。
続けざまに、左手に装着した籠手で影の腹に正拳突きを叩きこむ。
影の体が少し浮いた。影はその力を逃がせず、足の裏で地を引きづりながら後退。
「ラウ! ロソン! こやつが何者かは分からん! だが、ここで死ぬわけにはいかぬぞ!」
「ああ! セブナ!」
籠手を装備した男が、犬耳の二人を鼓舞した。ラウと呼ばれた男がそれに答えた。
もう一人の犬耳のロソンと呼ばれた男も、サーベルを抜き戦闘態勢を取った。
「お前達! こやつは魔の手先であろう! おそらく国王と同類、ここで滅するぞ!」
ベナンテスはそう言って、懐から指揮棒を取り出した。
皆、ここで影を滅する覚悟だ。
だが、影はその覚悟を嘲笑うように、再びゆっくりと歩き出した。
人体の急所に正拳突きを受けて尚、ダメージを受けたそぶりはない。
影はゆっくりと、二歩、三歩と歩を進める。四歩目もゆっくと踏み出すとかと思われたが、突然地を蹴り、今までの緩慢な動きから想像もつかない速度で踏み込んでくる。
その緩急の差にロソンは反応が遅れた。目の前に急に現れた影を斬りつけようと、サーベルを振り上げたが、影の鉤爪の方が速かった。
「ぐあっ!」
鮮血が舞う。続けざまに鉤爪に切りつけられ、ロソンは膝から崩れ落ちてしまう。
「ロソン!!」
ラウが叫び、影の背をサーベルで斬りつける。
影はサーベルで受けた背中の傷を物ともせず、振り向きざまに手の甲でラウの顎を振りぬいた。
顎を撃ち抜かれたラウは意識を喪失。
影は間髪入れず、ターゲットをセブナに変更。セブナに突撃を繰り出す。
セブナはその突撃に合わせカウンターを繰り出した。影の顔面を拳で撃ち抜いたのだ。その強烈な拳による突きで、影の顔面が弾け飛ぶ。
だが、影はそれすらも歯牙にかけず、両手の鉤爪を振り下ろした。
布が避ける音を立て、鮮血が飛び散る。
「ぐっ!」
セブナは痛みで顔が歪み、その身が崩れ落ちる。
影は確実にセブナの息の根を止めようと、鉤爪を振り上げた。
「宙を舞う戦輪!!」
ベナンテスが魔術を唱えると、風の四つのチャクラムが影を取り囲み、影を四方から攻める。
風のチャクラムは影の体を蹂躙し、影の体が散り散りに裂かれた。
影の破片が飛び散り、頭部と腕が本体から離れて動かなくなった。
「セブナ! 今、治癒を!」
ベナンテスは、血だまりの中で膝を折るセブナに急ぎ治癒を行使する。
「ベナンテス様、お逃げください……」
「何を言う、お前を急いで治療せねば。他の二人も―――」
ベナンテスの言葉が不意に途切れる。その視線の先には影が蠢き、また人の体を成そうとしている。
―――どうすれば滅せられるというのだ。
だが、絶望はそれで終わらなかった。今まさに体を成そうとしている影とは別の影が蠢き、その影もまた人の形を成そうとしていた。
ベナンテスの眼が驚愕に見開かれ、数舜、思考が停止する。
やがて影は形を成し、二体の人型の影が目の前に現れた。
二体の影は歩幅を合わせてゆっくりと踏み出し、鉤爪を振り上げた。
「神よ……」
ベナンテスは死を覚悟した。
だが、鉤爪が振り下ろされることはなかった。
二体の影は、鉤爪を振り上げたまま停止していたのだ。
やがて、影の上半身が下半身からスライドし、ボトッと音を立てて地に落ちた。
そして、何処からともなく声が聞こえた。
「いきなりですみませんが……」
「助太刀します!」
ベナンテスは急激な場の変化に頭が追いつかなかった。
目の前に突然、二人の青年が現れたのだ。
その二人の青年は、ベナンテスを庇うようにして影に向けて剣を構えた。
一人は金色の髪の青年。その青年は「助太刀」と言った。そして、もう一人は黒髪の青年だ。
どちらも若い、とベナンテスは思った。その身体つきはどちらかというと細く、とても屈強な戦士には見えない。
だが、後ろから垣間見えるその顔には、修羅場を潜り抜けてきた者独特の雰囲気が漂っていた。




