第十五話 イーリスの憂鬱
「つまんないのです」
下界へ降りることが話し合われた翌日の昼下がり。イーリスは暇を持て余していた。
決行日は三日後と決まり、皆、準備を始めている。
そんな中、イーリスは和也に「お手伝いはご所望ですか?」と声を掛けたが「うん、今はいいや」と一蹴。手持ち無沙汰となったイーリスは、宮殿内をペタペタとぶらつく。
「ぶーぶー、あたしも行きたかったのです。マスターのけち」
と一人悪態をつく。イーリスは、今回の遠征に自分も参加したいと懇願したのだが、イーリス以外の満場一致でイーリスは不参加と結論が出た。
下界へ降りても荒事に巻き込まれる可能性が高い。戦闘力の無いイーリスを連れていく訳にはいかない。とのことだ。
中央区画の階段をペタペタと降り、一階の広間を抜けてエントランスから出る。
なんとなしに右を向くと、金髪の青年の後ろ姿が目に入った。
おや? あれはユウトさんなのです。
優斗は宮殿外の石造りのベンチに座っていた。
見たところ、何をするでもなくボーッと空を見ているようだ。
イーリスは優斗に気づかれないように、そろりそろりと忍び足で近づき―――
「わっ!」
「…………やあ、イーリスちゃん」
イーリスの目論見は外れ、優斗はビクリともせず笑顔で挨拶を返してきた。
「うっ、ばれてたですか」
「ふっふっふっ、まだまだだね、イーリスちゃん」
どうやら気付かれていたらしい。
おかしいなー、完璧に気配を消したはずなのにー、とイーリスは悔しがる。
「それで? 何か用かい?」
「いえ、特に用という訳ではないのですが……。ユウトさんは準備しなくて良いのですか?」
「うん、ちょっと休憩ー」
そう言って、優斗は再び大空に視線を戻す。
なんだか、マスターとはまた別の、独特の空気を持ってる方なのです。とイーリスは思った。
イーリスにとって優斗は、頼りになる気の良い兄ちゃんという印象だが、それと同時に、ふらっと何処かへ居なくなってしまう雲のようなお方だ、とも感じていた。
ちょうど今みたいに。
「ユウトさん、一つお訊きしても?」
「何なりと」
「ユウトさんは、命を懸けてまで帰りたい理由って何なのです?」
それを聞いて優斗は、目線を大空に向けたまま「うーん」と少し唸り思案する。
「……説明が難しいんだけどさ、なんとなく……かな」
「にゃにゃ!? なんとなくで命を懸けるですか!?」
「ははっ、説明が難しいって言ったろ? 実を言うとさ、命を懸けてまで帰りたいとは思っていないんだよね。そりゃあ、向こうの家族や友人には会いたいけどさ」
優斗は黙って聞くイーリスをちらっ、と一瞥して言葉を続ける。
「僕はさ、昔から……というか、ある時からかな、自分の『なんとなく』を大切にしようって決めたんだ。他人から見たら理解できないかもしれないけどさ、僕にとってはとても大切なことなんだ。こっちの世界に来てからも実際うまくいってるしね。和也に付いて行ったらうまくいく、という僕の『なんとなく』は今のところうまくいってるよ。それが僕の命を懸ける理由かな」
「……ほうほう」
そう言って、イーリスは優斗にぐっと近づき、右目の片眼鏡を指で摘みながら、優斗の顔を凝視する。
「な、なに? てか近いって」
「貴方は見る目があるのです! マスターをこれからもよろしくなのです!」
「こ、こちらこそ、よろしく……」
優斗は苦笑しながらイーリスを見た。
「ところでさ、イーリスちゃんは、何でそこまで和也のことを信頼するんだい? 和也が君を目覚めさせたからっていうのは分かるんだけどさ、それだけかい?」
「うーん、それを言語化するのは難しいです。……そうですね。それこそ『なんとなく』かもしれないです」
「ははっ、じゃあ、僕達『なんとなく』同盟だね」
優斗はそう言って、右手をイーリスに差し出した。
「にゃはは、どうやらそのようです」
この時、小柄なイーリスの小さい手と、優斗の繊細で滑らかな手が、がっちりと握手で交わされた。
ここに、ひっそりと『なんとなく』同盟が結ばれたのである。
※ ※ ※ ※ ※ ※
決行日をあと二日に控えた夕方、セリスは礼拝堂の地下、シータの間に赴いていた。
どうしても、気になる物があったのだ。
セリスは部屋の隅に立て掛けてあった杖をそっと手に取り、じっくりと眺めた。
柄は雪のように白く、よく磨き上げられており、滑らかなその感触は驚くほど手になじむ。
杖の先には青く暗い魔石が嵌め込まれており、神秘的な輝きを放っている。
セリスはゆっくりと、そして優しく、その杖を撫でるように感触を確かめる。
そして神秘的に輝く魔石をじっと見つめ―――
「なーに、してるですか?」
「ひゃっ!」
背後から突然声を掛けられ、セリスから可愛らしい悲鳴が漏れ出た。
セリスが後ろを振り返ると、イーリスが不思議そうにこちらを見つめ、大きな目をパチクリさせていた。
「イ、イーリスか、驚かすんじゃない」
「にゃはははは! 申し訳ないのです。驚かすつもりはなかったのです。でもでもー、そんなにその杖が大事なのです? すごーくじっくり見てたです」
「なっ、いや、これは、何というか」
セリスはイーリスの質問にしどろもどろになり、この場を取り繕う言葉を必死にさがす。
「イ、イーリス! このことは―――」
セリスは慌ててイーリスに駆け寄ろうとするが、足を躓いてしまった。
「危ないのです!」
セリスはバランスを崩し、その手から杖が放り投げられる。
「くっ!」
セリスは杖が地面に落ちるのを防ごうと、無理な態勢から腕を伸ばす。
「ぐはっ」
「だ、大丈夫なのです!?」
杖が地面に落ちる前に、なんとか右手で摑まえることが出来たが、受け身を取れず、顔面が地面に直撃してしまった。
イーリスが慌ててセリスに駆け寄る。
そんなイーリスにセリスは返事をした。
「あ、ああ。大丈夫だ。みっともない所を見せたな」
「い、いえ。無事で何よりなのです」
セリスはイーリスから差し出された手をやんわりと拒否し、自ら立ち上がった。
「それで、そんなに大事なのです?」
イーリスは何事もなかったかのように、先程した質問を再び投げかける。
小柄なイーリスは自然と、うわめ目使いになりセリスを見つめた。
……しかたがないな。まあ、別に隠すことの程でもないか……。
セリスは小さく嘆息し、イーリスの頭に手をそっと乗せた。
「正確に言うと、大事な物……という訳ではないな。大事にしている人を知っている、と言った方が正確だろうな」
「えっ? どういうことなのです?」
「この杖の銘は、別たれし彗星の杖と言ってな、遥か遠い昔、宙から降りた星に内包されていた、魔石の杖なのだ。―――そして、その名の通り魔石は二つに別たれ、二つの杖が作られた」
杖の先の魔石を見つめながらセリスは言う。
「一つはここに、そしてもう一つは……私の故郷にいる父上が所持している」




