月曜日
尾丸産業株式会社
羽田中 さくら 26歳:経理以外の内勤兼営業兼営業補佐
基 いつき 22歳:新入社員・内勤補佐
高良 のぞみ 26歳:経理
西方 安重 26歳:営業
鳳 かおり 30歳:内勤統括
更衣室に入った羽田中さんは、ロッカーの扉を開け、小さな鏡を見ている。
……だるい。
特に週末は遊んだわけじゃない。
部屋の掃除をして、買い物をして、ご飯を作って、食べて。
好きな動画を見てお酒も飲んだから、リフレッシュしたはず。
……なのにだるい。
「はぁ……」
溜息をついて着替える羽田中さん。
平日に比べて体を動かしたり、ストレスを感じる量だって少ないはず。……勤続4年。体がもっと仕事を求めてるんだろうか。
「羽田中―、おはよー」
目をしばしばさせながら更衣室に入って来た高良が声をかけた。
「おはよー……って、目が開いてないじゃん。大丈夫?」
横に立った高良のほっぺを引っ張りながら声をかける羽田中さんは、
「んー……にぇむぃ……」
「……ゲームしてたんでしょ?」
手を放して再び着替え始める。
「昨日は映画三昧で……」
ゆっくりとロッカーの扉を開け、あくびをしながら着替え始める高良。
「映画なんていつでも見れるんでしょ?」
「そうなんだけど……無料の期間が昨日で終わりだったから、つい……」
「金銭的には得かもしれないけど、疲労を溜めるんじゃむしろマイナスのような気もするけどね」
「ねー。で、疲れたまま出勤、っと……。羽田中みたいにさー、ながらとか早回しで見ようと思ったんだけど、つい見入っちゃうのよねぇ」
大きな溜息をつく高良。
「まぁ、私は集中して見るのが面倒って感じるからなー」
……と言っても、週末の疲れを繰り越してるのは同じだけど。
着替え終わった羽田中さんが、ロッカーからエナドリを1本取り出して扉を閉めると、
「いつもすまないねぇ……」
高良に手渡し、150円を受け取った。
「エナドリも自販機で買ったら330円。こういうのがお得、っていうんじゃないの?」
高良の制服の襟を直しながら話す羽田中さん。
「ん、ありがとー。……でもね、私はトータルで物事を考えるから、節約してもその分、他のところへ使っちゃうからなぁ……」
そう言ってロッカーの扉を閉めた高良と一緒に更衣室を出た。
「あぁ……おはよ」
とぼとぼ歩く高良の後ろから小さな声が聞こえ、振り向く二人。
「あぁ、西方か。おはよー。また……あんたも眠そうだねぇ」
「うん。……エナドリか……。俺も買うかな……」
挨拶をする高良の手にしたエナドリを見て西方が言った。
「……おはよう。エナドリまだあるけどいる?」
「あー、もらう。……小銭無いから、お昼でいい?」
「おっけー。……二人とも先、行っときなー。10分でも寝なよ」
そう言って更衣室に戻る羽田中さん。
「「はーい」」
揃って返事をした高良と西方は、背中を丸めて歩いて行った。
……何か疲れてる人を見ると、自分の疲れが無くなっちゃうように感じちゃうよねぇ。
机に伏せて寝ている西方の横にエナドリを置くと、給湯室に向かい紅茶を入れた羽田中さんは、自分の席に座ると、
……さて、月曜日の朝は……
机の引き出しから《コショウ》とラベルが張られた瓶を手にすると、スプーンですくってから紅茶に入れ、混ぜた。
……やっぱりこれだよねぇ。…………あー、まずい。
部屋の隅で笑いながら話をしている男たち。
月曜日には朝礼がある。営業は金曜日に直帰が多いからだ。先週の報告、今週の予定を共有するために行っているけど……あれじゃ、世間話だよねぇ……
まぁ、内勤は特にないけど、
「羽田中―、鳳さん今日、体調不良で休みだってー」
その日の担当に欠員が出れば連絡がある。
ゆっくり席を立って、高良のところへ行く羽田中さん。
「あー、私、仕分け行くけど……そっちは?」
「基に教えてあげて、って鳳さんが」
「あっ、はい! よろしくお願いします!」
高良の横に座っていた基が元気よく立ち上がった。
「そっかー。じゃぁ営業から仕事、受けて行くから準備しといてね。あ、総務のタブレットも持って行ってねー」
「はい!」
……さて。思ったより作る書類多いから……仕分けを急がないと、お昼遅くなっちゃうかなぁ。
机の上にまとめた書類を見ながら席を立つ羽田中さん。
――プルルルル……
営業部に電話が鳴った。
……営業はいない……。西方は……電話中……。仕方ないな。
「はい、尾丸産業です」
「「あ」」
驚いた声が左右の耳から聞こえた羽田中さんは、
「?」
ゆっくりと前方から立ち上がる人影に気づき、
「「……あの……ごめん」」
笑みを向けると、
「西方ぁ……このだるい月曜日に……通算、何度目ですかぁ……?」
ゆっくりと受話器を置き、電話を切った。
「ほら……さっきの書類……宛先にさ、尾丸産業の電話番号も書いてくれてるじゃない? だから、間違っちゃうよね。ははははは……」
乾いた笑いをする西方。
「……」
無言で冷たい視線を向ける羽田中さん。
「……エナドリ……貢ぎます……」
西方は肩を落として受話器を置くと、
「先に書類もやるんだからチップクッキーチョコも、ね」
「はい……」
怯えながら返事をした。
「……ゲームもいいけど、ほどほどにしときなさいよ」
席を立って、溜息をつきながら声をかける羽田中さん。
「分かってるけど……昨日はイベントの最終日でさ。朝方までやったけど、何も成果なくて……」
悔しそうに話す西方。
「……ま、面白いんならいいけど、疲労やストレス溜めるんじゃ、何のためにやってるんだか分かんないじゃない」
「そんな簡単に手に入っちゃ、面白くないだろ? 数々の難関を乗り越えて手にしたものこそが、レアアイテムなんだよ!」
……本業の仕事をしろ、って話なんだけど……
力説する西方に首を傾げる羽田中さん。
「後々、アイテムによって得する人と損する人が出るんだよ……」
そう言いながら目をしばしばさせる西方。
「……それってゲームの話でしょ?」
顔を見合わす二人。
「……とかは言わないけど、そんなの得なんかじゃくて、実害ないのにただ損だな、って感じてるだけじゃん。それ以上でも以下でもないんだけど、達成したことの満足感を得ることが目的になってわけでしょ?」
「…………」
顔をこわばらせる西方。
「別にゲームするのはいいんだよ。でも、仕事に支障が出てミスしちゃうと、その好きなゲームもできなくっちゃうわけでさ。やっぱりほどほど、というか、どこかでキリをつけなきゃダメだよ」
「じゃぁ……やっぱりゲーム、止めた方が……」
羽田中さんは大きく溜息をつくと、うなだれる西方を見て話を続ける。
「バカなの? 見切りじゃないの。キリがいいところで止める癖を付けろ、ってこと。何、レアアイテム? それが出るまで。じゃなくて、出たら止めるけど、1時間プレイして出なかったら止めて寝る、とかさ。親元を離れて、一人暮らしして何でも自由にできる大人になったの。子どもの時と同じじゃなくて、A or Bを考えて行動しろ、って言ってんの」
「…………何で俺、怒られてんの?」
「あんたが電話、間違ったからでしょ?」
「……はい」
ゆっくりと席に着いた西方を見て、マグカップを持った羽田中さんが給湯室に向かった。
「こっちは来たことあるの?」
階段を下りて廊下を歩きながら話しかける羽田中さん。
「いえ、まだ手順を覚えるのに精いっぱいで……。毎日、皆さんに迷惑を……」
その後ろをうつむきながら答えた基が歩く。
「まだ入社したばかりだからしょうがない、ってのは言わないけどさ、それは会社なんだから、持ちつ持たれつ。まぁ、慣れだよね」
「鳳さんも言ってましたけど……早く皆さんの力になれるように頑張ります」
「あんまり力、入れなくてもいいと思うよ……ここね」
警備員が立つ前の部屋を指差す羽田中さんは、
《総務部 メール室》
「おはようございまーっす。仕分けに来ましたー」
「あぁ、おはようございます。そちらの女性は……鳳さんのピンチヒッター?」
制服を着た大柄な男に声をかけながら紙に名前を書いた。
「そうなの。基、名札、見せて」
「あっ、はい。……基です。よろしくおねがいします」
「はい。入室するときは、これに名前を書いてください」
書き終わった羽田中さんからボールペンを受け取って名前を書く基。
「この、郵便物と配送物を仕分けする、ってことですか……」
「そうねー。説明することは特にないんだけど……タブレット、貸して」
そう言いながら机の上に置かれた郵便物を手にした羽田中さんは、
「まず、郵便物を課ごとに分ける。……会社宛て、個人宛もそれぞれ同じ。そのタブレットの中に社員名簿が入ってるから……これね。名前を検索して該当の課に分けるの」
頷きながら郵便物を見る基がタブレットを受け取る。
「で、会社宛てのは、社名を覚えればその課に持って行けばいいんだけど、それまではここで開封して……」
そう言って、ペーパーナイフで封筒を開けると、中に入った書類を取り出す羽田中さん。
「……これは請求書ね。だから経理に回すの。他の郵便……この封筒を見ると……請求書在中って書いてるでしょ? だから経理って分かるじゃん? ……仕様書だったら営業とか。配達されてからを考えると、封筒に書いてあげた方が親切だよね」
「……なるほど。そんな意味があったんですね……」
大きく頷く基は、
「……なのに……。こうやって、だた会社宛てに郵便物を送るってのが、どれだけ迷惑なことか分かってない人もいてさ。相手の面倒を考えろ、って思うよねぇ……」
「えっと……羽田中さん……」
機嫌が悪くなっていく羽田中さんを見て苦笑いをする。
「まぁ、それはしょうがないとして……で、郵便物を分けたら一応、タブレットで撮影。記録してから、各課に持って行くの」
仕分けが終わった郵便物を撮影する基。
「あ、羽田中さん宛の手紙がありましたよ」
そう言って封筒を手渡す基。
《お客様アンケートご回答プレセント在中》
……あー、これを教えろってことか。
封筒を見ながら基の顔を見る羽田中さんは、
「えっとね、会社の経費で落としたもので発生したポイントとかを自分の物にしたらダメ、ってことは知ってる?」
ペーパーカッターを手にして話しかけた。
「あっ、はい。何となく聞いたことがあります」
不思議そうに封筒を見る基。
「基にはまだ決定権が無いけど、鳳さんの下についてるし、そのうち注文とかするようになるから……例えば……通販で買った社内の消耗品とか、飲み会の清算は請求書払いじゃなくて、私費扱いになるの。それは、尾丸産業のクレジットカードで支払いをしてて、サイトについたポイントは、交代でそれぞれの課のおやつとかになってるわ」
「なるほど……」
「で、これね」
封筒を開けて、取り出したものを見せる羽田中さん。
「商品券……ですね?」
基は首を傾げ商品券を見つめると、
「個人情報保護が何とかで、会社の個人宛に来た郵便物は開けちゃダメなのよね。だから、個人宛に来たものは……その人の物」
羽田中さんの話を聞いて、考える素振りを見せた。
「……えっと……何のお話で……?」
不敵な笑みを浮かべ、話を続ける羽田中さん。
「よくメールとかハガキとかで、アンケートとかプレゼントとかの申し込みがあるでしょ? あれはね、送ったもの勝ちなの」
「……と言うと?」
不思議そうに聞く基。
「会社宛てに来たものでも、回答したのは個人。だから、それが当選したら個人のもの。例えどんなに大きいものでもね!」
1000円の商品券を、基の目の前に出して笑顔を見せる羽田中さんは、
「……自宅の住所にすればいいんじゃないですか?」
「それはダメよ。横領になっちゃうから」
首を振る。
「む、難しいですね……」
苦笑いする基の肩に手を置く羽田中さんは、
「ま、尾丸産業の決まりだけどさ、要は隠さなきゃいいの。しっかり個人名を書いてね。他にもお歳暮やお中元だって、個人宛だとその人に渡してるわ。後のことはその人次第。一種の営業努力として認められてるだけなのよ。内勤にもね」
そう言って笑顔を見せた。
「な、なるほど……」
そう言って少し微笑む基。
「宅急便も同じ要領ね。重い荷物はそのまま台車で持って行くから乗せといて。あ、写真は取らなくていいから、送り状だけ保管しといてねー」
「は、はい!」
「大体は総務がやってるんだけど、月曜は確認とか連絡事項が溜まってるからね。午前分は内勤がやることになってるんだ。鳳さんがやることが多いんだけどね」
「そうだったんですね……」
「まぁ、毎日の仕事に加えて、そのうちこの仕分けもするだろうけどさ、力抜いて楽に行きなよ。給料安いけど、内勤はたくさんいるから、大体のことは手伝ってもらえるし」
「はい、ありがとうございます」
「じゃぁ、やっちゃいますか」
「はい!」
病院の地下の食堂でお昼ご飯を食べる新東と西方。
「社長も言ってるだろ。飲んだら乗るな。風邪ひいたら会社に来るな、って」
そう言ってご飯を口に入れる新東。
「そりゃ、飲んだら乗りませんけど、少しくらいの風邪なら出社して仕事した方がいいじゃないですか」
唐揚げを箸で刺す西方が、
「そういうことを言ってるんじゃねぇ。人に迷惑かけるな、っつってんの」
……新東さんが言っても……
真顔で新東を見ている。
「……分かってるよ。俺みたいなおっさんが言っても説得力がないことはさ。……でもな、事故が起こらなかった、風邪がうつらなかった、そんなのは結果論じゃねぇんだ。事故が起こったら、風邪がうつったら、過程においては、たら、ればを考えねぇとダメなんだよ」
水をひとくち飲んだ新東。
「まぁ、難しく考えんなよ。飲んだら乗るなは法律。仕事を休むのは会社の指示。ただ従ってるだけだ。誰がどう思っても関係ないだろ?」
「ですけど……でも、新東さんも羽田中さんに迷惑かけてるじゃないですか……」
「そうだよ?」
平然と答える新東がシシャモを口に入れる。
「でしょ!」
「だって、俺の方が勤続年数長いし、年上だし。それに……」
「それに?」
「俺、羽田中さんにしか迷惑かけてないし、ちゃんと対価を払ってるからな」
「……えっと……何の話……でしたっけ?」
「考えて行動しろ、ってことだろ?」
「ちゃんと考えてますよ……」
「まぁ、生きてる以上、人には迷惑かけてるんだ。何かあったときに、都合よく会社とか他人のせいにすんな、って言ってるんだろ。社長も羽田中さんも。……俺もな」
唐揚げを口にする西方。
「お疲れ様でーす」
声をかける羽田中さんの後ろから、
「お疲れですー」
「お、お疲れ様です!」
高良と基が声をかけた。
「お疲れー。今からお昼? あぁ、羽田中さん、ブツ、机にあった?」
「はい。受け取りました。またのご利用お待ちしております」
笑顔の羽田中さん。
「なるべく利用はしたくないんだけどねぇ……」
苦笑いの新東が、
「……新東さん、そのシシャモ、残り魚定食ですか?」
「うん。350円は安いからねぇ。まぁ、微妙だけど……」
そう言って、最後のシシャモを頭からかじった。
「……よし。私も残り魚定食にしよう」
頷いた羽田中さんは、
「あぁ、西方。書類、終わらせといたから、午後イチで仕事に励みなー」
そう言って券売機の方へと歩いて行くと、
「あ……サンキュー……」
「何だ。西方の書類してたのか……。お昼遅くなっちゃったぁ~」
そう呟きながら歩いて行く高良。頭を下げて基も続く。
「まぁ、月曜はだりぃから、仕事は適当にしたいよなぁ」
そう言って立ち上がった新東。
「……」
無言のまま立ち上がった西方は、朝礼後を思い出している。
『羽田中さん、見積りと……この書類、お願いしていい?』
数十枚の書類を手渡す西方。
『……うーん……いつまで?』
内容を確認しながら話しかける羽田中さんは、
『えっと……できれば……午後イチで……』
溜息をつくと、
『……ここの書類は……無理かも……だから、一応、遅れるかもって電話入れといてもらえる?』
『おーう……』
あくびをしながら返事をする西方を見る。
『……大丈夫?』
『あー、眠いだけだから……』
「……そうっすね……」
そう言って、トレイに乗せた食器を返却口に返すと、トイレで顔を洗う西方でした。
残り魚定食は、鮭とブリの塩焼きでした。
「あ、美味しい。当たりかも……」