人知れず消えゆくように
ルーナが勢いよく立ったために、椅子が倒れて床に傷を作る。穴が空くこともあるから気を付けてほしいところだ。
「きゅう、せい、しゅ…?」
「本当にいたんだな!いや、まじか!」
ルーナは勝手に盛り上がって神様ありがとうとでも言いたげに天を仰ぐ。そのうち十字架でもきりそうなので各方面に角が立つ前に何の事を指して言っているのか話を進めてもらおうと思う。
「ちょ…ルーナ?誰の話してます?」
「そりゃお前しかいないだろ、馬鹿か?」
「私はいつからあなたの救世主になったんでしょう?」
「うーん、厳密に言えば生まれた時からかな?」
「そういう答えが欲しかったのではありません」
頭を抱えたくなる一方で、ルーナは先程とは打って変わってご機嫌だった。何をそんなに喜んでいるかは分からないが、人の不幸がそんなに楽しいか。
「なんつーか、話せば長くなるけどな、簡単に言うと、俺はその魔力をずっと探していたんだよ」
「その魔力って、この?」
自分の胸に手を当てて、これまで疎まれ続けた蠢く過去を思い出す。大人達のコソコソと話す声、同情とも軽蔑ともとれぬ目、距離を取る人、離れていく友達。もうずっと昔のことなのに、つい先程のことのように鮮明に思い出す。込み上げてくる気持ち悪さは気の所為なんかではない。誤魔化すように胸を摩っても、一向に膨らみは感じない。いいのだ、今から成長するんだから。
「そう、その魔力。ちょっと諸事情あってな。ああ、その事情ってのが長くなるから今は割愛するけど、それのせいで俺の身体は特殊になっている」
「はあ」
「なんと言うべきか、呪われていると言えば分かりやすいか?」
「の、呪……?」
言葉を知らないわけではない。呪いというものが魔法の一種だということも知っている。あの本にもそう書いてあった。だが、実際目にしたことはないし、存在するかどうかも分からない。非日常的過ぎるワードとなってしまっていて、当たり前のように使われても納得するまでには時間がかかる。
「この呪いはお前の魔力でしか解けない。だから探してたんだよ。さあ頼む!」
「………………えいっ」
「………………」
「………………」
腕を広げるもんだから、飛び込んでこいという合図かと思ったのだが、それが正解ではないことがルーナの表情でひしひしと伝わってくる。そんなに珍生物を見るような目で見なくてもいいと思う。
「何やってんだ」
「『俺の胸に飛び込んで来い!』という合図では?」
「そんな脈絡あったか?」
「ないですけど、ルーナいい匂いしますね」
「…変態?」
しがみついている彼の胸元をすん、と嗅ぐと、ものすごく迷惑な顔をされて引き剥がされた。それから、腰を屈めて目線を合わされ、瞳の中を覗かれるようにされた。銀が散りばめられたような紫紺の瞳は、ずっと見ていると吸い込まれそうだった。
「……な、何か?」
「…お前、もしかして魔法が使えないとかじゃないよな?」
「使えませんけど、それが何か?」
私のその言葉を聞いたルーナの顔色はみるみるうちに変わっていった。怒ったような、困惑したような、絶望したような、はたまたそれら全部を入り交ぜたような。質問されたから答えたまでなのだが、何かまずいことでも言ってしまったのだろうか。
「う、う、嘘だろ…?」
「嘘言ってどうするんですか」
「だって、さっきお前本の内容奪っちゃったって言って…」
「そんな犯罪紛いのこと、わざとするわけないでしょう。無意識ですよ。魔力の行使と魔法の構築は別物なんですよ、知らないんですか?」
「そんくらい知っとるわ!」
魔力とは人間に存在する核エネルギーのようなもの。誰もが持っているものだが、多かれ少なかれ表に出てくる出てこないで魔力の有無となる。表に魔力が出てくる者、つまり魔力がある者の中でも、その魔力を意識的に使えるかどうかで世の中にいる魔法士という存在の優劣はついてくる。魔力をコントロールし、事象を起こす過程を組むことを魔法構築と言い、単に魔力を使えてもこの構築ができなければ魔法は成立しない。魔力量、コントロール力、構築技術。この三点が秀でている者がより良い魔法士と言える。
これらは全て本で得た知識ではあるが、魔法を使う者にとっては基礎知識であり、知らない者はいないだろう。
私には魔力、それも厄介な魔力はあるものの、それを行使する術は知らない。一応知識としては知っているのだが、実際やれるかどうかというのは別だ。やってみようとしたこともない。それ故たまに無意識に魔力が暴走することもあり、本が持つ物質としての存在を奪ってしまったのもまたそれが原因だった。
その事実を知ったルーナは、落胆のため息を深くついて、椅子を戻して腰掛ける。
「あー…そうか。そうだよな…。普通の少女だもんな、お前。魔法を使えたとしても、あんな高位魔法使えるわけないよな」
「あの、なんだかよく分かんないけど、それはつまり、ルーナの呪いとやらを解くには私が魔法を使わなければならないということですか?」
「そゆこと」
そして話しぶりからするに、その魔法は難しいものであるということ。彼の表情からしても、多分それは魔力のコントロールさえままならない私が身に付けるには、果てしなく遠い道のりなのだろう。ちょっと練習してできるものなら協力しないでもないが、変に難易度だけ理解できる私にはできそうにないということも分かる。申し訳ないけれど他を当たってもらうしかない。私のような魔力を持つ者が他にいればの話だが。
「残念ですけど、私はこの魔力を使いたくないと思ってるんです。できるだけ内に秘めて、あわよくば無くなってしまえばとさえ思っているくらいなんですから」
「魔力が無くなれば死ぬぞ」
「分かってますよ。もしもの話です。周りに危害を加える力なんていらない。だからかつては滅ぼされたんだから、再び葬らないといけないと思っているだけです」
世界はよくできている。必要なものが残り、不必要なものは排除されていく。世の中が上手く回るように、よくできているのだ。
両親は何故この力を素晴らしいものと表現したのだろう。彼らに恨みも憎しみも抱いていないけれど、その気持ちだけはどうしても理解できない。親にもない力を私だけが持ってしまった嫉妬だったのだろうか。世界に不必要だと判断されたこんな力に?馬鹿げてる。
なんにせよ私のような存在は私で終わらせなければならないし、広げるなんて以ての外。このまま静かに、できるだけ自然に、いつの間にかなくなっていたね、と言われるくらいひっそりと終わっていけばいいと思ってる。
これは決して投げやりなんかじゃない。私なりの信念である。ずっと昔、この力を自覚した時から自分にはそう言い聞かせている。
「リズ、お前それ本気で言ってんの?」
それまで項垂れていたルーナは、私が感傷に浸っている間こちらを見ていたようだ。石にされてしまうのではないかと思うような視線は、私の背筋を凍らせるほど冷たく厳しい眼光でできている。
何とか動くことのできる口を必死な思いで開けば、掠れた声しか出てこなかった。
「本気…、ですけど」
むしろ冗談でこんなこと言ってるんなら頭おかしいのかと思う。自分で自分の考えには嫌気がさしているのだから。
暫く熱いような冷たいような目で見つめてきたルーナは、短く吐いた息を区切りに視線による私の拘束を解いた。
「…ああそう。まあ、苦労した生活送ってきただろうし無理もないけど、もしお前が周りに危害を加えたくないと思ってるんなら、尚更魔力のコントロールは必要だろ」
「それは…」
「無意識で魔力を使ってしまうことがあったのなら、この先もないとは言えない。使いたくないと思っているなら、意識的に使わないようにする方が確実だと思わないか?」
これは、上手く誘導されているのかもしれない。分かってはいるけれど、まったくその通りすぎて反論できない。流されたくない。でも、このイケメンホイホイに身柄を拘束されている私には難しい。どこ行った、私の理性。取り戻せ、私の信念。
「でも、私にはそんな技術な」
「仕方ない」
「はい?」
一瞬、ルーナの方が引き下がってくれたのかと思った。だが、彼の表情を見てそんな考えは即座に霧消した。端正な顔に不敵な笑みを浮かべて、どこかの悪役が勝利を確信したかのようだった。間違いではない。悪役だ。
「俺が教えてやろう!」
多分、最初から最後まで彼の思うツボだ。