取捨選択の捨
両親が生きていた頃、両親を失っても町の教会で孤児として生活していた頃は、きっと気のせいだと自分も人も誤魔化せるくらいではあった。けれど、ある日シスターに連れられて遊びに行った図書館で、古い文献を目にしてしまった。同じ孤児の子達は殆ど読み書きなんて出来なくて、絵がたくさん描いてある本を楽しそうに呼んでいたが、私は幸い両親から文字を習っていた。全部が全部読んだり書けたりするわけではないが、易しい文章を理解するくらいはできたのだ。今ではそのことが良かったとも悪かったとも思える。
特に何も気にせず何となくで手にした本だったそれには、魔法のことが詳しく書かれてあった。その時の私が理解できるくらいだったから、難しい本ではなかったし、どちらかといえば読みやすい、ユーモア溢れる文章だった。だが、それが全年齢対象だったと問われれば肯定しがたいものではある。
その本に分かりやすく書かれてあったのは、単に日常的に使う魔法だけではなかった。戦争に使われるような攻撃的な魔法、使い方を間違えれば人を死に至らしめる魔法、禁忌に分類される魔法まで、分別のつかない子どものような存在が知れば大事になってしまうようなことが、そこには当然のように記されていたのだ。私が悪事を企む人間ではなかったから良かったようなものの、その本の知識と根性と技術があれば世界征服も夢じゃない。実行しようとは思わなかったし、子どもの魔力ではどうしようもないことも分かっていたからただ読むだけになったが、それでもいつの間にか日が暮れているのにも気が付かず、私はその本をのめり込むように読んでいた。
本の最後の方には、失われた魔法の記述もあった。今では使える者も少ない、もしくはいない魔法構築、絶滅してしまった特殊な魔力を持つ種族、かつては殆どの者が持っていたが、いつの間にか退化してしまった魔力。それらはいらないもの、捨てられたものとして記してあった。子どもながらに衝撃を感じたことを覚えている。
「そこには、身に覚えのあることが書いてありました」
「身に覚えのある…?」
無事着替えを済まし、私もルーナの正面の席で茶を啜っていた。服は暫くつけ置きしてから洗うつもりだ。着替えが済んだ時、ルーナにもう振り向いていいと声を掛けると、息をついた彼が振り向いたのだが、再び顔を引き攣らせていた理由を私は知らない。短パンタンクトップの寝間着だったからか。
とにかく何か羽織れと言われたので椅子に掛けてあったルーナの上着を拝借した。何故そうなるという気持ちを顔で表現されたが、そこに上着があったからだ。洗濯物を増やしたくないという思いもある。それが強い。
あまり綺麗な上着ではなかったのに、それは香水でも染みこませているのかとも思う香りがした。甘く、けれどしつこくない掠める程度の芳醇さ。香りの元を辿っていくと、気が付けば目の前にルーナの鎖骨があった。見上げれば迷惑そうな彼の顔。警察犬に言い当てられた犯人のような絵面になったのがそんなに嫌だったのだろうか。
「その本に書いてあった、失われた魔力の特徴に身に覚えがあったんです」
「それ、は…」
「触れたものの命を奪い、与えることのできる魔力。対象は有機物、無機物に関わらずこの世に物質として存在するもの。古来よりある一族のみに受け継がれてきた魔力であり現代に至っては絶滅したものと見られている。だがその実、危険な魔力と魔法構築を持つその存在は人の手によって当一族は一人残らず殺された。危険因子として絶滅させられたのであ」
「待て待て待て待て」
あと一文字、『る』と言えば終わりだったのに、あとちょっとでルーナの止めが入った。
「ちょっと待てリズ。お前それ何、どこ見て喋ってんの?本の中身暗記してるんじゃ…」
「一字一句完璧です。噛まずに言えました!」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
祝福してくれる割にルーナの笑顔はどこか冷たい。素直にお礼を返せば『その能力他に使えよ』と呟かれた。確かにそうだ。ルーナは頭がいい。
「でも実際、私の暗記はただのインチキですからね」
「インチキ?」
「そう。その本の内容、奪っちゃったみたいです」
顔に覆った手の隙間から、ルーナの目が見開かれたのが分かった。声も出さず、よく観察してなければ分からない程度だったが、タイミングよく見てしまっただけだ。どんな顔してもイケメンだなと凝視していたわけでは決してない。そんなんじゃない。
「私、その本に書いてあった滅ぼされた一族の魔力、あるみたいで」
今度こそ本当にルーナは息を呑んだ。私みたいに凝視していなくても分かるくらいに。
インチキだと軽蔑しただろうか。気持ち悪い人間だと、怖い子どもだと、皆みたいに離れていくだろうか。触るな、近寄るな、こっちに来るな、死神。この人はどんな言葉を投げかけてくるだろう。また、新しい呼び名をあたえてくれるだろうか。
私は息を吸った彼の口が動くのを待っていた。
「本当にいたのか、俺の救世主!!」
「────…は?」
そんな風に動くとは微塵とも思っていなくて、今度は私の口が開きっぱなしになったのだった。