重ねられる説明
宙に舞っていく蝶を見ていると、昔の事を思い出す。だから蝶は嫌いなのだ。本当は、腕が腫れてしまったことなどどうでもいい。どちらにしろ、勝手に難癖つけているのは私の方で、蝶には何も落ち度はない。ただ、自分の綺麗な姿を、少しでもたくさんの人に見て欲しいだけなのだ。
「─────……ズ、……い、リズ…」
遠いところから、ルーナの声が徐々に近づいてくる。微かに開いた視界には、ぼやけても綺麗な彼の顔が見えた。
「おいリズ、起きろ」
「っ!……、……ルー……ナ?」
はっと覚醒させらせされた意識に、自分が一番驚いた。何度か瞬きを繰り返して、視界と状況をはっきりさせる。
長く息を吐けば、自分が今家の中、しかもベッドの上にいて、傍らにルーナが座っていて、どうやら今の今まで寝てしまっていたようだということは理解出来た。
「……え、っと……私……?」
「蝶が生き還って飛んで行った瞬間ぶっ倒れた。慣れない魔力を使った反動と、それの影響かもな」
「それ?」
私はルーナが顎で指し示す自分の手に目を向けた。蝶に翳していた左手。その手をひっくり返すと、元の色など分からないくらいに腫れ上がっていた。
「うっわ、何これ!」
「あの蝶、毒持ってたみたいだ。俺は何ともなかったんだけど。弱いんだなー、お前」
「呑気に言わないで下さいよ。うわぁ…、自覚したら物凄く痒くなってきた……」
他人事だと思って、痛そうだとわざとらしく眉を顰める顔に、この鱗粉のついた手を擦り付けてやりたい。そういえば、初めてヤツに襲われたあの日も、熱を出して寝込んだ気がする。また一つ、思い出した。
「ったく、貸せ」
鎮まれ私の左手……!と煮えたぎっていると、ルーナが椅子から下りてベッド脇に膝をつく。半ば強引に私の左手を取ると、そこに自分の手を重ねた。
何なんだと問う前に、一瞬光が灯ってすぐに消える。
「ほら、これで大丈夫だろ」
「…………ほ、んとう、だ……。何をしたんですか?」
ルーナの手が離れた自分の手は、それまでの腫れなどなかったかのように、元通りの手のひらの色に戻っていた。熱を持って、痛痒い感覚もない。
「アレルギー反応を起こしている細胞を鎮めた。一般的な治癒魔法だよ」
「ほう……、これが……」
私は自分の手とルーナの顔を交互に見比べた。人の魔法をまともに見たことも然ることながら、ルーナがまともに魔法を使っているところを見たのも初めてで、思わず感心してしまう。ルーナはその視線が煩わしそうだったが。
「それで、なんとなくは分かったか?魔力を使う感覚」
ルーナは椅子に戻って脚を組むと、実に絵になる動作で林檎を貪り食う。そういえばもうすぐお昼だ。お腹が空いたのだろう。
昼食の準備をする、とベッドから身を出そうとしたのだが、まだ動くなとルーナに止められた。
「あ、まあ……なんとなく、は」
「……本当か?それ」
ルーナは曖昧な私の返事に表情を濁す。だって仕方ないだろう。その瞬間は分かったような気もしたけれど、気絶してしまったお陰で半分くらいその感覚がぶっ飛んでしまった。記憶に残るのは、手に感じた熱さとルーナの香りと体温。
「……ルーナに胸触られた………」
「っ!だ、だからちゃんと事前に申告しただろ!何でそんなことだけ覚えてんだよ!」
「申告すればいいってもんじゃないでしょ。ああ、私の初めて……」
「いかがわしい言い方すんな!他にやりようがないんだから仕方ねぇだろ!」
「どうせならもっと成長してからが良かった……!」
「何の話をしている!」
これをネタにまた買い物に連れ出せそうである。蝶が苦手だという弱味を握られてしまったものの、相手を揺するネタは確実に私の方が多く握っている。ルーナは意外に防御が甘い。
「ところで、あの時ルーナは自分の魔力を流して私の魔力として使うって言ってましたけど、それはルーナも私の魔力みたいに物質の魔力を操作できるということですか?」
私の魔力をいじったという風にも理解出来たので、いちおう訊いておく。もしそれができるのなら、ルーナも私と同じような魔力を持っているということだろうか。
「それが出来るなら、俺はお前に呪いの解呪を頼まねぇよ」
「ああ、それもそうか。ではどうやって……」
「俺がやったのは魔法の基本に則って、素直に魔法構築をしただけだ。お前の魔力は構築なしに魔法として使えるが、構築さえ出来れば同じ現象を起こせないわけではない。ただし魔力の質との相性もあるし、構築も一朝一夕にできるほど簡単ではないが」
私の知識と合わせて考えると、魔力の質は無限にあるが、魔法構築は事象を起こす過程を組み立てるようなもののため、限りがある。必ずしも技術として行える魔法構築が、自分の魔力の質に合うとは限らないのだ。特に他人の魔力操作の構築なんて特S級難易度だし、危険な魔法でもあるからその実態は世間には広まっていないはずだが。
「でも、それなら魔法構築はしないといけないけど、出来さえすればルーナも私と同じようなことを起こすことができるということですよね?」
物質の命を与えたり、奪ったり。
「いや、同じことは出来ない。構築をするということはつまり、構築の為のエネルギーも使うということ。事象を起こすというところから考えていけば、その為の構築を組まなければならないが、まず自分の魔力の質に合った構築が必要だ。すでにこの時点で、魔法によっては難易度が数倍に跳ね上がる。さらにそこに構築が上手く働くだけの魔力量とコントロールが必要となり、それが出来てやっと魔力を魔法として使えるということだ。これだけの過程をすっ飛ばして魔法に出来る魔力と、同じことが出来ると思うか?」
思わない。
私が今のルーナの説明を理解しているとも思わない。簡単に言えば計算しまくって出した答えと、答案を見て出した答えは同じじゃないということだろう。何だか私の魔力がインチキくさくなってきたのは気の所為だろうか。
私は全く理解が追い付かないというのに、ルーナはさらに説明を続けた。
「魔力をダイレクトで魔法として使えるということは、単純に威力も絶大だが、その分危うい。事象に必要な魔力量を調整する構築をしない分、緻密なコントロール力を養っておかなければ、すぐに魔力切れとなる」
「ああ、だから私が前に魔力を暴走させた時、決まって意識を失ったわけですね」
「恐らくな。魔力を全て使い切れば命を落とすから、お前が今ここにいるということは、その時は完全に使い切ったわけではなかったんだろうな」
本の時も、孤児の仲間の手を繋いだ時も、かなり長い間に意識を失っていたとシスターには聞かされていた。私の感覚では一日ぐっすり眠っていたぐらいの感覚だったのだが、目を開けた時にはロジーナ達が目を潤ませていたくらいだったので、相当目を覚まさなかったのだろう。目を開けて開口一番肉が食いたいと言い放った時は怒られながら笑われていた。いい思い出なのか悪い思い出なのか分からない。
「それにな……。魔力操作、しかも生死を操るほどの魔法ともなれば相当量の魔力が必要となる。今回のように昆虫や植物、無機物だったらまだしも、動物、人間の生死をどうにかしようとすれば、お前のような魔力と魔力量を持っていないと不可能だ」
「……ルーナでも……?」
「ああ」
だからつまり、ルーナの呪いを解くための魔力操作は、私にしか出来ないと、そういうことだった。
***
何だか蝶を生き還らせた時より、頭を使った今の状態の方がすごく疲れた気がして、枕に頭を投げ出せば、すぐに意識が沈み始める。
お布団と嗅ぎ慣れた香りと、もうすっかりお馴染みとなってしまった甘い香りがどんどん意識を眠りに誘っていった。そこに追い討ちをかけるように、目の下を優しい体温が通り過ぎていく。
「今日は疲れたな。ゆっくり休め」
そんな声で言われたら、抵抗する気など失せて素直に従ってしまうじゃないか。