死体の訪問者
今よりずっとずっと幼い頃。あれは物心ついたころと言えばいいのだろうか。とにかくそんな感じの、今よりもっと可愛かった頃、お父様とお母さまは私に口酸っぱく言い聞かせた。
『いい?リズ。あなたは素晴らしいものを持っているわ。だから、みんなそれを羨ましがると思うの。でもそれはあなただけのものだから、くれぐれも人に見せてはいけないのよ』
『大きくなれば隠し切れなくなるかもしれない。その時はきっと、パパたちが護ってやるからな』
そんなことを言っていた気がする。
気がするというのは、二人のその言葉が本当か嘘か分からなくなって、信じ続けるかどうか迷っているからだ。お母様が言っていた素晴らしいものとかいう存在で、贔屓目に見ても私は決して楽な人生を歩んでは来れなかった。それを羨ましがっている人がもしいるのなら、今ここに連れてきてほしい。あれは私に自分自身を卑下ないようにするお母様なりの心遣いだったいうことは分かっているから、別に怒ってなどいない。ただ、見せてはいけないというくらいなら素晴らしいものと表現するのはどうかと思うのだ。ただ、漠然とそう思っているだけ。
それでも私は素直に、忠実に、従順に、誠実に、その約束を守っていた、と思う。自信はないが、努力はしてきた。だから見返りが欲しいとか、そういうことではないのだから、せめて自分達が言ったことくらい守って欲しかったのに。
素晴らしさを隠しきれなくなった歳になっても、護ってくれる人なんて一人もいなかった。
町のはずれのはずれ、それはもう国境ギリギリの、一応イヴ国に属するけど正確に言えば隣のヴェルド国と土地権利が曖昧な場所にある古びた家。きっと強めの台風でも来れば天井から吹っ飛んでいくであろう古さだが、幸いまだそこまでの嵐には遭遇したことない。一番の危機といえばビー玉くらいの雹が降ってきた時くらい。あの時はとにかく風通しのいい家になった。
そんな状況もあって、至る所に雑な修理がされている壁や屋根がある自分の家に私は帰って来た。色とりどりのシミとこちらも風通しのよくなった服に身を包んで。
「あー…お気に入りの服だったのにぃ…。洗えばとれるかな?これ」
特段新しくも煌びやかでもない服だが、動きやすくて着心地が良くて割とデザインも気に入っている服だった。でもまあこれくらいなら洗って縫ってリメイクとかすればまた着れるだろう。そんな構想を練りながら鍵なんてついていない家の扉を開き、なけなしのカーテンを開けていく。今日もいつも通り閑散として、けれど私にとっては落ち着く場所である部屋を見渡した。うん、何もない。小さなキッチン、最小限の調理道具、机、椅子、人。……人?
「……え?」
声だか息だか判断つかぬ音が口から漏れた。寝ぼけているのか視力が悪くなったのか幻覚でも見ているのか、瞬きを繰り返したり目を擦ったり頬を自分でブチ叩いてみたりしたが目の前の景色は変わらない。いる。人が。しかもなんか倒れている。まるで殺人現場で、私が殺してしまったみたいなんだけど。だが自分の記憶と理解が正しければ私はここに一人で住んでいるし、訪ねてくる人もいないし、そもそもそんな人間関係を築いていない。うつ伏せで倒れる恐らく人間は恐らく成人。恐らく男。部屋の中心まで這って息絶えたような恰好のまま動かない。遠目からではあるが、角度を変えて見てみても血とかは出ていないから怪我をしているようには見えない。内部の怪我だったら分からないけど。
「あ、あ、あのぉ…」
恐る恐る近付いて聞こえないかもしれないという声量で声を掛けたが、やはり聞こえないのか男はピクリともしない。それともまさか本当に死んでいるのだろうか。いやいや、本当にやめてほしい。私が世界の中で唯一安らげる場所を人が息絶えた場所にしないでほしい。
「あ…あのー!」
腹に力を入れて、ここ最近で一番大きな声でもう一度声を掛ける。私ってこんなに大きな声出たんだ。近頃独り言と鼻歌以外に声を出した覚えがないから忘れていた。
声を掛けたからか、たまたま気が付いたからなのか分からないが、何の前触れもなく男はむくりと顔を起こした。半ば死んでいるかもしれないと思っていたから、突然の蘇りにひっと声が出る。
「…は……」
「は?」
「…ら……」
「ら?」
「…へった……」
掠れた声でそれだけ訴えると、男はまたパタリと突っ伏した。
「ちょ、ちょっと…?」
今度こそ動かなくなった男に片足で近付いて、人差し指でちょん、と突っついた。やはり動かない。男の手元を目で辿れば、そこには『肉…』と今際の際に訴えた思いが綴ってあった。
勘弁してほしい。今月ちょっと生活苦しいんだから。