紅蓮の青春 高校時代に左翼のセクトにスカウトされた話
あらすじ:
自分が高校生の頃に左翼のセクトにスカウトされた経験をもとに小説を書いてみた。
かつて光り輝いていた思想は今や色褪せ人々の心を掴むどころか見向きもされない。
あんなにカッコ良かったはずのリベラル知識人たちは今や間抜けの代名詞になっている。
なぜか?あれこれ考えてみたが明確な答えは出なかった。
そうであるからこそなおさら高校時代の自分が素直に感じたことの中にその真実があるように思えてならないのだ。
●
インターネットはまだ無く、携帯電話すら普及していない、ポケベルが出始めた頃。
今よりも格段に、赤い人たちが心地よく暮らしていた、そんな時代のお話。
当時自分は赤い夢を見ていたのか、それとも赤に洗脳されていたのか。
とにかくその頃の自分は、いっぱしの共産主義者を気取り、革命家のたまごであると自信していた。
幼少期から少し変わった少年と呼ばれていたのを記憶している。
初等部の頃は他人と違う事をするのが好きな、
目立ちたがり屋だと陰口を叩かれたことが少なからずあった。
中等部に進学した頃の思春期病全開だった自分は、
漠然と反権力を掲げ、日々親や教師、そして「学校=学生にとっての全世界」に反抗していた。
自分にとっての赤への鳥羽口はその当時出会い聴いていた音楽、パンクロックだったと推測出来る。
パンクスが詠うアナーキー(無政府主義)の思想的人文的美しさに触れた際は、全身に衝撃が走った。
同時にドマイナーな音楽ジャンルを好きな、
ベリーレアな自分カッコイイ!とその状況に存分に酔っていた。
ビリビリに破いたTシャツを着て、街でパンクのレコードを探し、
学校ではこれ見よがしにプルードンや大杉栄を読んでいた。
荒々しいパンクのビートに後押しされ、
ラッカースプレーで深夜の校舎じゅうに「革命」「解放」「LOVE&PEACE」だとかの落書きをしてまわり、
中三の時に無期停学を喰らった。
このままではエスカレーターで高等部に進学するのは困難と学園から告げられ、
自分は両親の根気強い説得のもと路線変更を余儀なくされた。
両親にもその頃の自分と同じような反逆の季節があったと聞いて軽いショックを受けたのを憶えている。
ひとまずビリビリやトゲトゲは止めることにした。
そして手当たり次第に本を読むことで反逆出来ないストレスを解消する、
そんな乱読期に突入した自分を待っていたのは、共産主義思想の赤い洗礼だった。
そこには無政府主義よりも具体的に新しく素晴らしい社会を実現する手順が示されていた。
またもや全身に衝撃が走った。
高等部に進学したばかりの自分に2つ言いたいことがある。
ひとつは「悪い大人がいる」ということ。
つまり純粋な知的好奇心や新しい社会を実現する為の自己犠牲の精神を、
悪意や騙しをもって利用する連中がいること。
もうひとつは「赤はカッコイイは嘘」ということ。
つまり知的なワルであり旧体制と闘う反逆者=カッコイイと信じていたが、
その後自分の見た赤どもはどいつもこいつもダサかったこと。
若者の赤離れの主な要因はこの2点に尽きると思う。
ちょっと前にシールズという若者達をテレビで見て即こりゃダメだ流行らんと思った。
見るからに「悪い大人に操られているダサいやつ」しかいなかったからだ。
高等部でも赤い自分はアグレッシブだった。
芸術学部志望組や文学はまり組を赤く染めてお互いに同志と呼び合っていた。
ちなみに今この黒歴史を告白している自分の顔も超真っ赤だ。
バンドを結成し学園祭ではジョンレノンのイマジンを泣きながら歌った。
タバコは平和を愛する者としてピースライトを好んで吸った。
PKO法案反対の集会に参加するようになった。
某左翼政党の下部組織の集会に参加した際に、
そこに集う大人たちの汚さとガキどものダサさにブチギレて、
運営側に自己批判を要求したら出禁になった。
その騒動を聞きつけたと彼らは言っていた。
ある時自分は某左翼組織の有名セクト、TVニュースで聞いたことあるレベルの、にスカウトされた。
悪名高いと言った方が正確か。
まずはセクト構成員の大学生2人が学園最寄り駅で声をかけに来た。
が、大学デビューのお前らと自分とでは格が違う、とばかりに思想談義で論破して、
お前らじゃ話にならないから上を出せと言って追い返した。
すると1週間後その2人は再び現れ、セクト幹部との会合がセットアップされたと自分に告げ、
日時場所の書かれたメモを渡してきた、頼むからすっぽかすような事はしないでくれと涙目で懇願された。
高3になっていた自分にとって大学時代の4年間をどう使うかはまだ模索中で、
この時点では大学のセクトのてっぺんを目指すのもアリかなと漠然と考えていた、恐ろしいことだが。
当日、指定された喫茶店のある最寄り駅まで高校の友人2人と向かい、
2時間経って帰って来なかったら警察に通報してくれと頼んで、ひとりで乗込んだ。
差出された名刺には出版社名と、肩書は一人が代表と記されていた。
凄まじいカタギじゃないオーラのプレッシャーを受けながらも、
本当に幹部が来やがった!と内心楽しくなっていた。
自己紹介後、テーブル正面の中年2人のうち代表じゃ無い方のメガネが話の進行役を担った。
が、内容は舐められないようにしてます感全開の恫喝で話にならない。
自分は正面の色白ヤクザに視線を固定していた。
自分の態度に苛立ったメガネが、いきなりテーブルを叩いた。
色白ヤクザは右手を挙げて制止した後、こちらに身を乗り出し、
聞きたいことに答えるよ、と切り出してきた。
明確な茶番だがウブな高校生に対する効果はテキメンで、
自分は、やはり幹部は違うな!などと考えてまんまとやられていた。
騙す方が騙される方より常に二枚も三枚も上手なのだ。
「俺に何を期待しているのか具体的に教えて欲しい」
「君は度胸がある、弁が立って、華もある―――」
テーブルの上にメガネが広げていた機関紙的なものを指差す色白
「―――幹部候補生として迎え入れたい」
その言葉にメガネが何ィ!みたいな驚愕の表情を浮かべる。
演技とは思えなかった。
「具体的には若者をオルグして若者の仲間を増やして欲しい、
デモや集会で先頭に立ち、盛り上げ、若者活動家の存在をアピールして欲しい」
そして
「うちの組織の若者離れは深刻だ、その状況を打破する明日のジョーになって欲しい」
と色白はひとまず〆て、どうだい?と自分に話を向けてきた。
メガネは一転して笑顔でうんうんうなずいていた。
「・・・もうひとつ、日本で革命は起きますか」
「起きない」
即答だった。
そして決して試した訳ではないのだが。自分的には合格のタイミングと返答内容だった。
自分はどうするべきかそこで真剣に考えた。
落とす方からしたらもう勝ったも同然の展開だ。
最後の一押しのあの手この手を出してきた。
黒ひげ危機一髪気分だった。
色白の提案は魅力的だったが、メガネの提案はクエスチョンマークなものが多かった。
色白の
「君の居場所を用意する、溜り場になっているクラブもある」
「気持ちよくなるクスリとか興味があるんじゃない?」
この辺りにはグラッときたが、
メガネの
「沖縄にタダで行けるヨ!」
には、なぜ沖縄?と当時は思った。
落ちかかったその時、不意に色白の靴が目に入ったのだが、その靴はボロボロで薄汚かった。
それが言いようもない違和感となって胸を突き抜け、そこで完全に目が醒めた、ここは撤収一択だ、と。
瞬間的にコーヒー代をテーブルに置き、次にコンタクトする際は名刺の連絡先に一報入れますと一方的に伝え、
自分は席を立った、メガネは何か声を荒げていた、色白はニヤニヤ嫌な笑い顔をして自分を睨んでいた。
高校時代の友人たちが志望大学に次々と合格する中で、自分は受験結果全敗となり、
ただひとり浪人が確定し、海外留学でカッコつけることになった。
オーストラリアにセルフ島流しと皆に笑われた。
模試の成績は良い方だったのでやはり素行の悪さが問題視された結果ではないかと思う。
当時TVアニメあしたのジョー2が夕方に再放送していたのだが、
自分はジョーのようにこの紅蓮の青春を完全燃焼することは叶わなかった。
成田空港で見送りの父親に、もう帰って来るな、と言われた。
セクト組織でもカルト宗教でも後戻り出来ない出家状態が所謂アガリなのだろう。
自分も出家することになったが、そこに指標となる思想も教義もなかった。
これまでと同じ調子でオーストラリアでも生活して、新たな騒動を巻き起こす訳だが、
それはまた別の話だ。
飛行機は甘々ぬくぬくのリアリズムも離陸し、荒涼としたニヒリズムを目指した。
紅蓮の青春 高校時代に左翼のセクトにスカウトされた話
おしまい