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みかえるしふぁー! ―――万能聖女と悪役令嬢の下剋上最終頂上決戦!―――

あらすじ:


ゲルマニーオ帝国歴973年8月1日


ポラド領に2人の女の子が誕生した。


東北の森に生まれたミカエラ。


領都ヴァルソヴィーオの公爵家に生まれたアンジェリカ。


この生まれも育ちも異なる2人は、


やがて全世界を二大勢力に分け、血みどろの死闘を繰り広げることになる。


これはそのふたりの、数奇な運命の物語である。







裸の妊婦が呪いの言葉を叫んでいた。


臨月の腹と同じ位に大きい満月に向かって、


血で塗られたかの様に真っ赤な満月に向って、


有らん限りの呪いの言葉を絶叫していた。


見ればその両腿はぴっちりと閉じた状態で荒縄できつく縛り挙げられている。




その名もなき村に、救援要請を受けた騎士領の自警団が到着したときには、


村を襲撃し、ひとしきり略奪を終えた盗賊団が宴を行っており、


この哀れな妊婦はその余興に駆り出されていた最中だった。


老人と病人と赤子はもれなく殺されていた。


成人男女たちは奴隷として売られるために、


きつく縛り上げられ一か所にまとめられていた。


そして年頃の若い娘たちは、盗賊どもの猛る欲望のままに、


人間の尊厳を強奪されていた。




この地方で一番の手練れである盗賊団頭領の予想を遥かに超えて、


早々に駆けつけた自警団は、不意打ちで盗賊どもを一掃した。


一番近くにいた自警団員はその妊婦に駆け寄り、ナイフにて荒縄の捕縛を解く。


すると次の瞬間、その妊婦は聴いたことも無いような奇声を上げて絶命した。


その妊婦の夫と思われる男、


妊婦のそばで余興暴力を受けていたと思われる、もほぼ同時に息絶えた様だった。


そして地獄となってしまったその村を、浄化するかのような優しい産声が上がった。




生まれてきたのは女の子だった。


産声を聞きつけ、持ち場が片付いた者から順に、自警団員たちが集まってきた。


返り血を浴びた頬に涙を流しながら、


なぜ泣いているのか理解出来ないままに集まり、その輪は拡がっていった。


解放された村人たちもまた、憔悴し動かなくなった身体を、


何かに操られているかの如く、その輪に参加していった。


もはや絶望しか残されていなかったこの村の、その村人たちが次々と立ち上がり、


産声に引き寄せられる様はまるで何らかの奇跡のように見えた。


赤子を抱いた自警団員を先頭に、全員で砦の主である騎士家の館を目指した。


動くことが出来ないけが人たちも、動ける者たちによって一人残らず運ばれた、


月明かりは彼らの行く道を煌々と照らし続けたという。


後に判明したことだが、今回自警団が異常なまでの早さで現場に到着出来たのは、


ありえないほどの耀さの月光が、彼らの行く道を照らし導いたからだと言われている。




砦の主にして騎士号を持つ館の主人は、


村人たち全員を館の広間に受け入れ、食事と休息場所を与えた。


また自警団員全員を労い、その場で褒美を与えたが、どうも様子がおかしい。


自警団員たちは喜ぶでもなく広間の奥を見ている、


手元の報奨金よりも広間の奥の、あの赤子を気にしていた。


見れば村人たちも、与えられたスープとパンに手と口を動かしながら、


傷の治療を受けながら、横たわりながら、顔は広間の奥に向けていた。


騎士の妻は産湯を使っていた、幾度となく騎士領のお産に立ち会ってきた彼女だが、


この時はなぜか動きがぎこちないまでに慎重だった。


程なく、彼女の手の中の赤子は、泣き止んだ。


泣き止んだ後、その小さくしわくちゃな顔を輝かせ、光るように笑った。




その瞬間、闇を欺き、この世界に光の祝福が舞い降りた




広間にいた者達は全員、不思議な多幸感に包まれる。


赤子の笑い声と共鳴しているかの様に細かく点滅する輝ける空気は、


傷ついた人々の心をまるで優しく癒しているかのようであった。





広間に集っている誰もが恍惚の表情を浮かべている中で、


ただ一人、この館の主人だけが怪訝な表情をしていた。


彼は以前、領都ヴァルソヴィーオで聖女の祝福を受けた経験があり、


その時のことを思い出していた。


聖女という存在を信じていなかった彼は、


その時に本物の祝福とはどういうものかを知った、


だから解る、この赤子は聖女だと。


それもあの時の高位聖女よりも、桁違いにその何らかの力が強いことを確信出来た。


砦の主として、この生まれたばかりの聖女に如何に対処していくべきか、


その重責に早くも押しつぶされそうであった。




現存している聖女のほぼすべては偽聖女であることは周知されている。


しかしその禁忌を公言することは、教会という権力に抹殺される結果に直結する。


聖女の肩書は多くの場合、権力抗争に都合の良いように利用されていた。


だが本物の聖女も、ごく少数ではあるが、確かに存在していた。


病気を治すような、そんな作り話じみたことは勿論出来ないが、


祈ることで無病息災は高確率で実現出来た。


狙い通りに雨を降らせることは出来ないが、


祈ることで対象地域を豊作にすることが出来た。


聖女という銘柄を死守する為にも、教会関係者は本物の聖女を血眼になって探し、


その聖女の力量にもよるが、報奨金は青天井だった。


聖女は魔力により敬虔な信者に祝福をもたらす、そう教会は詠っていた。


実際は魔力という存在の証明が困難な物を巧みに使い、


教会の神秘性と集金率を高める為の、ある種の詐欺装置に他ならないのだが。




夜が明けた。


どんよりと曇った日が多い、ゲルマニーオ帝国ポラド領東北地方だが、この日は快晴だった。


旭日が砦の主である騎士を、結局一睡も出来なかった生真面目な男を、優しく照らしていた。


明るくなって気が付いた、砦中の猫が、館をまるで護るかのように取り囲んでいたことを。




結局、騎士はその赤子を家族として迎え入れることにした。


その名はミカエラ。


家族及び砦の重鎮と相談した結果、このミカエラが聖女であることは秘匿することにした。


砦にある教会の神父は、幸いなことに地元出身者で、騎士の考えに同意してくれた。


教会本部に聖女を差出せば、多額の報奨金だけでなく、地位や名誉も与えられる。


それ故に聖女をめぐって血が流れることもしばしばあるという。


だが騎士は、教会や帝国の為にではなく、家族そして地元の仲間たちの為に、


そして何よりミカエラ本人の為に一番良いと思われる選択にこだわった。




ミカエラが降誕してから、砦は他に類を見ない発展を始める。


悩みの種である盗賊団の襲撃を大きな損害なく撃退し続けた。


盗賊団と呼ばれているが、その実体はルシオ帝国が派兵した、


ベロルシオ奴隷兵たちの雑兵部隊である。


捕虜に聞けば、砦と相対する前に、


決まって士気を削がれる何か、降雨や食中毒等、があるとか。


また砦と相対する前に、何らかの理由で引き返したこともしばしばあったそうだ。


砦の穀倉地帯では豊作が続いた。


帝国の他の領が苦しんだ疫病とも無縁だった。


人々は東北の砦を、神に愛された砦、と呼んだ。


実際は、聖女に愛された砦であることを、


騎士の家族とごく一部の者達だけが知っていた。




強者による暴力が支配する世界。


民族、国家、宗教そしてその他あらゆる集団が、その覇権を争う世界。


ミカエラの登場は、そういった暗黒の時代に差し込んだ、一筋の光のように思えた。













万難を排して正妻の、待望の初産に臨んだ、元ポラド王国王族の血を引く公爵は、


それでも妻の寝室の扉の前で落ち着かない様子だった。


どこまでも続く廊下を満月の月明かりが青白く照らしていた。


全く何の心配もいらないはずなのに、


公爵邸は言い表せない不安に包まれ、使用人たちも皆が皆、冷や汗を流していた。


何かこれから、途方も無く悪いことが起きる、


そんな漠然とした悪い予感が場を支配する。


だが見渡せば、公爵の妻が実家から連れてきた使用人たちだけは、


狂人のような、獲物を狙う野獣のような、


その時を今や遅しと待ちわびているように見えた。




公爵邸内の空気が、世界が、刹那、鮮血のにおいに満たされた




公爵が棒立ちになっていると、


扉の向こうから低音弦を弾くかのような足音が近づいてきた。


扉が静かに開かれると、そこで産声が廊下に漏れてきた。


お入り下さいと公爵夫人付きの侍女長に告げられる、


その眼には明らかな狂気が宿っていた。


足を踏み入れると、産後の淀んだ空気が公爵の体にへばりつく。


歩を進めると、公爵家付きの医師が、入口に背を向けベッドの手前で両膝をついているのが見える。


医師は胸の前で手を組み目を固く閉じ、神よ、とつぶやきながら震えていた。


それは祈祷のようでもあり、また懺悔のようでもあった。


妻にねぎらいの言葉をかけようと近づいた公爵は、小さく悲鳴を上げ、立ち止まる。


産後で殺気立っている妻に怯えたのか、


それともその胸に抱かれ、公爵をにらみつけている赤子に怯えたのか。


すると公爵のその様を見て、赤子は光るような笑顔で笑い始めた。


その笑顔はまるで、エデンから転がり落ちてきた天使のようであった。


ポラド領を統治する公爵家正妻の待ちに待った初めての子供の名前は、


予定通りアンジェリカと名付けられた。




アンジェリカの生誕を境に、公爵家及びその領内では不可解な不幸が続いた。


まず公爵の、死亡した前夫人との息子たちが2人とも、


原因不明の発作を起こした後、死亡した、それも2人同時に。


これによりアンジェリカが公爵家継承権の筆頭になった。


また公爵邸のまわりでは、使用人そして出入りの業者たちが、週に1人、


13週間連続で原因不明の発作を起こし、命を落としていた。


不幸な事故とするにはあまりに不自然であり、黒魔術による呪いが噂された。


しかし人を呪い殺すほどの魔力は現在まで存在が確認されていないことから、


あくまで公爵家に敵対する者が悪評を流布したとして処理された。


この頃、公爵邸の周りには異常なまでにカラスが集まっていた。


そのカラスに睨まれて、カアとひと鳴きされると呪われて死ぬ、


そんな噂がヴァルソヴィーオの街では囁かれていた。




公爵邸の敷地内には教会の出張所が存在した。


アンジェリカと両親は、神にその生誕を報告すべく、教会の出張所を訪れた。


教会本部から長年勤め上げた褒美として、


この出張所に天下った老神父は、対面して狼狽する。


老神父はアンジェリカが、


途方も無い魔力を持っている可能性があると、震える声で公爵夫妻に告げた。


酷く怯えた様子で、見ないようにしながらも凝視していた、


公爵夫人に抱かれているその赤子を。


公爵は、魔力などと言う非現実的な話をする老神父に対し、


咎めるような口調で強く抗議した。


公爵夫人はそんな夫を、


この娘は生まれながらにして人を惹きつける魅力があるのですよ、とたしなめた。


教会の言うところの魔力持ちとは、すなわち聖女候補と言うことだ。


各教会支部は末端に至るまで、聖女候補を発見した際には、


すみやかに本部に報告を上げる義務がある。


しかし、ここは公爵邸内の教会の出張所だ。


アンジェリカが魔力持ちかもしれないということは、


公爵夫妻の強い要望により、ここに隠蔽される。




その後しばらく不可解な事件や事故が、そして謎の自殺が、


ポラド領各地でヴァルソヴィーオを中心に頻発する。


一般の領民たちの目からは、この当時は被害者たちに共通点は全く見られなかった。


そんな折、ある日突然アンジェリカは三日間高熱を出し、


その後怪事件の連鎖は、にわか雨が上がるように唐突に止まった。


時はアンジェリカの祖国、ゲルマニーオ帝国がポラドの東の端まで勢力を伸ばし、


東の宿敵ルシオ帝国はその西に位置するベロルシオに侵攻し制圧、


ポラド領の東部国境付近が最前線となり、膠着状態が続いていた頃。


ゲルマニーオ帝国中央と同様にポラド領も、


長年にわたるルシオ帝国との紛争により疲弊していた。


だがポラド領はそれでも他の北方南方西方の各帝国領地と比べ、


まだ政局も庶民の生活も安定していた。


一部の者たちは、アンジェリカ様の祝福、とそれを呼んでいた。













ミカエラが3歳になる頃、かつての東北の砦は、


ルシア軍との交戦で、幾多の奇跡的大勝利をおさめ躍進し、


ゲルマニーオ帝国の対ルシオ帝国方面最大の要塞となっていた。


騎士爵の準貴族であったミカエラの父は、


その功績を称えられ新たに爵位を賜り、今は男爵となった。


元々は東北の村々の村長を束ねる酋長を代々続けてきた家系である。


ここまでの出世は、そして貴族になるのは初めてのことだ。


なぜそこまで東北の砦の軍勢は強いのか、


とゲルマニーオ皇帝がこの成り上がり者に直々におたずねになった事があった。


爵位を賜りに中央の城に見参した際のことだ。


長年同じ敵と戦って参りました故、経験と知識の蓄積が御座います、


と新男爵は用意していた返答を、緊張で震える声にて申し上げた。


宮廷や教会の一部の者達は東北に聖女の存在を疑ったが、


ここまでの凄まじい成果をあげる程の聖女は存在し得ない、という意見が大半であった。




ミカエラは歳の離れた3人の姉たちに、可愛がられながら健やかに育った。


歳の離れた3人の兄たちは戦闘の度に武勲をあげた、


男爵家はその信仰深さもあり、神に祝福された東北の聖騎士団と呼ばれた。


男爵も妻もその子らも、この要塞の幸運が、


ミカエラによってもたらされていることを、強く認識していた。


したがって今後、ミカエラの成長と共に、いかに家族として教育するか、


またいかに対外的に振る舞っていくかは、家族会議の最重要議論項目であった。


うまく立ち回らないと、帝国内の各勢力に睨まれて、異端審判にかけられ、


ミカエラは魔女の烙印を押され家族共々処刑されてしまう。


またその聖女の名と力を我が物にしたい高級貴族に、


ミカエラが攫われてしまう可能性もある、その際は口封じに家族は殺されるだろう。


何よりミカエラを失えば、東北の要塞は即時瓦解するだろう。


それは要塞都市の今や10万に達する住民が、敵国の餌食になるということだ。


男爵は愛する娘であるミカエラの健全な成長を祈っている。


それと同時に彼の家族、彼の仲間、そして彼の要塞の守るべき民、


これらの人々の為にも、ミカエラを絶対に手放すわけにはいかないと考えていた。







アンジェリカが3歳になる頃、公爵家の帝国内の地位は相対的に上がることになった。


帝国の各地では、様々な何らかの問題や事件が以前にも増して頻発していた。


その中でアンジェリカの地では飢饉、疫病、洪水、


そして反乱分子の破壊活動等とは無縁であった。


アンジェリカの公爵家はその存在感を、他の領地に、


そして帝国中央の高位貴族たちに強く示していた。


アンジェリカの母は現ゲルマニーオ皇帝の末の妹であり、


元ポラド王国の王族の血を引く父よりあらゆる立場が上だった。


夫は妻の言うがままにポラド独立派を弾圧し続け、帝国への忠誠心を示してきた。


この気弱な公爵は民族意識の高い領民からは、裏切り者の烙印を押されていた。


それこそがゲルマニーオ帝国が望んだ、そして妻が描いた、彼のあるべき姿だった。


しかし3年前には頭を悩ませていた、


独立派の破壊活動はこの頃には、すっかり沈静化していた。


実働部隊の主要構成員たちが、3年前に皆、変死していたからだ。




アンジェリカは母の自慢の娘だった。


なんでも帝国中央の有名な預言者が、この少女が帝国を救う、と神託を授かったとか。


アンジェリカの母は、それを皇帝派の茶会で信用出来る筋から聞いた際に、


恥ずかしげも無く恍惚の表情を浮かべ震えたという。


娘の3歳にしてすでに溢れんばかりのカリスマに、


父親は愛情と共に、どこか気後れを感じ始めていた。


妻に感じているのと同様の、それ以上に大きなとまどいを感じていた。


一方アンジェリカの母は、あらゆる可能性を想定し、娘の教育の準備をした。


だが選択肢を与えるだけで、最終的には本人に選ばせるつもりでいた。


アンジェリカの決定に口など出せない、娘本人が下した決定こそが、


大義を成し遂げる為の天祐だと、そう固く信じていたのだ。













ミカエラの不思議な力が、要塞都市を護っているように、


ミカエラもまた、要塞都市とその住民に護られていた。


ミカエラは6歳の時点では、背は比較的高い方で同年代の少年少女より頭一つ抜けていた。


肌は健康的なオレンジがかった優しい白で、髪は波打つ赤みがかった深い茶色、


そして優しげな、ややさがりめの、その目に輝く瞳は燃えるような赤だった。


ミカエラ6歳になったので、6年制のゲルマニーオ帝国民学校の要塞都市分校第一に通うことになる。


この学校制度はゲルマニーオ統治後に始まり、旧ポラド時代の、


若年層を単に労働力として扱い教育をおろそかにすることで、


貧困から抜け出せなくなる悪循環を払拭した。


その一方で、特にポラド独立派からは、帝国の洗脳教育である等の批判も出ていた。


そういった見解もあるにはあったが、男爵家としてはミカエラを、


学校に通わせる以外に選択肢はなかった。




ミカエラは、物心がつく前から、家の外での立ち回りを強く教育されていた。


両親姉妹からは、あなたは特別な存在だ、と直接的な表現で繰り返し教え込まれていた。


その教育の半分は脅しによる恐怖の鞭が使われた。


特別な存在と他人に知られてはいけない、これを守らないと家族全員が死ぬ。


脅しでしかないが、紛れもない事実でもあった。


ミカエラはこの教育を素直によく理解し、家族を安心させた。


ただ、いまひとつ自分がいかに特別か、と言うことは理解出来ていなかった。


それ故にミカエラは、しばしば回答困難な質問を、


両親兄姉に投げかけては困らせていた。


たまにあるそんなやりとりに、微笑ましく慰められる男爵家だった。


ひょっとしたらミカエラは、心配性の家族の為に、


わざと子供らしさを装って的はずれな質問をしていたのかもしれない。


この6歳の少女は、そういったことが出来る知性を持ち合わせていた。




入学後も変わらずに、男爵邸の夕食は家族全員で取る。


報告と連絡を密に取り、意識の共通化をはかる、仲が良い家族、


それこそが男爵家の最大の強みなのかもしれない。


男爵家を中心に、要塞都市の住民たちはみんな、


第三者が見たら気持ちが悪く感じる程に、仲良く暮らしていた。


ひょっとしたら聖女をかくまうといった、そんな秘密を共有することによって、


ある種の連帯感が芽生えていたのかもしれない。


ひょっとしたらこれもまた、聖女の祝福のそのひとつなのかもしれない、


男爵はしばしばそう感じたものだった。


国民学校の教師たちは皆、地元出身者であった。


聖女をかくまうという、男爵家からの任務を、全員快く引き受けてくれた。




東北の要塞都市には聖女がいて、男爵家は聖女を隠し、その恩恵を独り占めしている。


当然のことながら、この疑いは早い段階からかけられていた。


積極的に探りを入れてきたのは、


ゲルマニーオ帝国中央の役所、そして教会本部からの調査団であった。


抜き打ちの調査が何度もあったが、その都度、


要塞都市の住民は一致団結してミカエラをかくまった。


国民学校の生徒たちも皆、普段の練習通りに聖女を探す調査の協力をした。


単にミカエラ本人を隠すだけでなく、


聖女の祝福にまつわる様々な記録も改ざんされ、役所と調査団に提出された。


ここ数年の要塞都市における、流行り病による死者、自然災害の死者、


強盗事件の件数その他、これらの数字はすべて捏造だった。


中には違和感のある報告もあったが、


馬鹿正直にそれを指摘する者はどの調査団にもいなかった。


今でこそ貴族の領地だが、そこで暮らす住民たちは、元々は砦の戦闘集団である。


調査団員たちは帰りしな、なかば強引に多額の寄付金を握らされる。


その一方で、裏切り者とその家族の死体が、


見せしめとして要塞中央広場に晒されているのを目に焼き付けさせられる。


間違った判断をしないように、という無言の圧力を、容赦無く叩きつけられるのだ。


寄付金を受取り私的に着服した調査団員たちは、


後に砦の暗殺部隊にその件で脅迫されることとなる。


彼らには、帝国中央で、教会本部で、東北の聖女をかくまう為に、


砦の男爵からの命令に従う以外の選択肢は無くなった。


ちなみにこの調査団を脅迫し利用する仕組みを、発想し完成させたのは、


10歳になったばかりのミカエラだった。




このような聖女を隠匿する活動は、要塞都市の住民たちに強い連帯感を生んだ。


それどころか気が付けば知らぬ間に、かなり踏み込んだ組織が形成されていた。


特にミカエラと歳の近い、学校に通う少年たちは、


単に要塞の少年兵としてだけでなく、聖女の親衛隊として組織された。


ミカエラの3番目の兄が担当する、治安維持部隊の下部組織として、


少年兵たちはその存在感を示していた。


要塞はすぐ目と鼻の先が戦場である。


頻発する紛争地域で場数は好きなだけ踏むことが出来、


その心技体は他領と比べ前例のない水準で鍛錬されていった。


功績をあげた親衛隊員は、その褒賞として、


ミカエラと2人きりで、夜の砦の森にて肝試しが出来る権利が与えられた。


この褒賞の発案者はミカエラ、


当時12歳の少女にしては、彼女は心も身体も大人びていた。




聖女ミカエラはこの閉じた要塞都市の世界で、


女王であり女神であり、すべてであった。


父は領民の命を預かる貴族として、


いかにミカエラと共に進んでいくかにその全人生を集中していた。


男爵は現状を維持したかったが、ミカエラが歩みの速度を落とすことは無かった。


男は、いつか近い将来に、この聖女が突然駆け出し、


彼女に置き去りにされる、そんな悪夢を見るようになった。


戦闘のたびに積み上がる、ゲルマニーオ帝国中央からの報奨金と、


ルシオ帝国からの賠償金は莫大で、自領に積極的に還元するも底が見えない。


武器製造販売及び傭兵派遣の戦争産業の育成と発展、豊作が続く穀倉地帯の拡大。


ミカエラの地は、この十年と少しの間の驚異的発展で、


全方面から脅威として認識されるに至った。













アンジェリカは模範的高位貴族令嬢として成長していたが、


しばしばその旺盛な好奇心と行動力は周りの者たちを振り回した。


アンジェリカは6歳にしては、背は比較的小柄で、肌は透き通るような白磁。


そして勝気な性格を思わせる強い印象の眼元に輝く瞳は紫、


流れるような長い髪は、陽が当たると青く輝く黒色だった。


アンジェリカは6歳になると、首都ベリーノの名門校、


帝国学院初等部中央に通うことをせず、領都ヴァルソヴィーオの公爵邸にて家庭教師に学んだ。


この決定はアンジェリカが、母とその友人たちからの情報を元に、下した。


中央校であっても初等部の教育体制は貧弱で、


集う生徒の大半の質も名門校に見合っていない、との情報は信憑性が高かった。


この頃からアンジェリカの父は、娘をしばしば恐れた。


アンジェリカを、出来るだけ目の届くところに置いておきたかった父は、この決定に賛成した。


彼は娘を愛おしく感じる一方、何か言い表し様の無い気持ち悪さも、同時に感じていた。


王族の血を引くものとして、その責務を果たすと言う矜持がそれを感じさせていたのだろうか。


この頃の彼には、最悪の場合は自分自身がアンジェリカに対する防波堤になる、


その決意が芽生え始めていた。




この年、家庭教師と共に、アンジェリカには専属の侍女がついた。


この美貌の30歳前後と思われる侍女の素性は、表向きは低位貴族の子女。


しかしその実は、アンジェリカの母が所属する秘密結社の元諜報部隊の精鋭だった。


侍女としてよりも、アンジェリカの護衛係と調教係の仕事が重視された。


彼女はまた、アンジェリカの母を信奉する忠実な僕であり、


主人への報告もまた、重要な仕事のひとつであった。


この頃のアンジェリカは、まだ秘密結社の存在を認識していなかった。


しかし母と侍女長、そして自分の侍女たちを観察するにつけ、


その向こうに何らかの巨大な権力機構の存在を感知出来ていた。




アンジェリカの家庭教師たちは、皆母親が手配した。


帝国内でも有数の教師たちが集結した。


大半の者たちは、秘密結社から派遣されている。


各授業は、毎回、真剣勝負の様相を呈していた。




貴婦人向け護身術を担当した教師は、


アンジェリカの持つ魔力についても授業し、経過はやんわりと侍女に伝えた。


そしてこの教師はまた、異端審判回避のための立ち振る舞いについても、


幼い優秀な生徒に丁寧に教えてくれた。




淑女教育を担当した教師は、アンジェリカの器の大きさに莫大な潜在能力を感じ、


3日目にして家庭教師の辞退を申し出た。


最終的にアンジェリカに、


教えて頂くことが無いとは思いませんが、仮にそうであっても構いません、


私のことを助けて頂くことは出来ないのでしょうか、


この弱く小さい私は先生に助けて頂きたいのです、


と懇願され、これを受入れる。


アンジェリカに情熱的に口説き落とされた、この初老の淑女はその際に、


跪きとめどなく感涙を流したという。


それ以降、公爵家令嬢の庇護を受けた彼女と、彼女の門下生達が家庭教師をしている、


高位貴族の情報はすべてこの少女が束ねることとなる。


アンジェリカは6歳にして、自らのカリスマを使う術と、


精度の高い情報の重要性を知っていた。


アンジェリカが10歳になる頃には、


その情報網は帝都中央にまで浸食していたという。




アンジェリカは、一見すると完璧なまでに聞き分けの良い、母親の人形のようだった、


母親を盾として利用していたからだ。


しかしその実、この公爵家の暴れ姫は、自我が強烈で、


破天荒なわがままを爆発させることがしばしばあった。


年齢不相応な異常なまでの優秀さが、それを助長させていた。


その自分勝手な行動で、味方が死ぬ自分が死ぬ、


と説教されてもどこ吹く風の、大アンジェリカであった。


専属の侍女がそんなアンジェリカを押さえつける役割を担っていた。


アンジェリカの生意気に唯一、公爵邸内で、心技体において対抗出来るのは彼女だけだった。


その攻防戦はしばしば、美少女と美女のじゃれ合いの様にも見ることが出来、


観客である公爵夫人を大いに楽しませた。




12歳の誕生日に、アンジェリカはこの凄腕の侍女に、真剣勝負を仕掛け、完敗する。


初めての心からの無念は、母親と侍女からの、何よりの贈り物だったといえるのではないか。


賭けに負けたアンジェリカは、態度を改め、実際はふりだけだが、


常に如何なる時も淑女の仮面を着け、その様に振舞うと約束させられた。


家庭教師たちは全員、この少し乱暴な卒業式に感涙を流し、


誕生会ではお互いの大業を労い合ったという。




そんなアンジェリカの仕上がりに、母親は勿論、


母親方の親戚、特に秘密結社の関係者たちは、大満足であった。


一方、父親は偏執狂的恐怖心を、更に深めていた。


愛娘を中心とした彼女を取り巻く人々の、


異常なまでの結束の硬さに、本能的危機感を覚えていた。


アンジェリカの父親は、秘密結社の存在は知っていたが、


正式な構成員として認められていなかった。


ポラド王族の血を引くものとして、貴族として、何をなすべきか、改めて自問する。


公爵邸内の教会の出張所、老神父の言葉を思い出す。


あの悪魔が覚醒する前に、


人類に悲劇が訪れる前に、


息の根を止めてください、


あなたにしか、


それは出来ない。




公爵が単身で最後に彼に面会した時のことである。


手紙で知らせを受け、老神父の出張所の私室に足を踏み入れた公爵を見て、


まず彼は挨拶よりも先に、


神よ、間に合いました、感謝します、


と独り言をつぶやき涙を流した。


窓がすべて潰されているので、明かりは蝋燭のものだけだった。


壁一面に、十字架が貼り付けられていた。


簡易便所からの悪臭が、老神父の体臭を上書きしていた。


顔半分が、なぜか酷く焼けただれていて片目は潰れていた。


老神父は公爵に遺言を伝えると、その翌日に焼身自殺した。


公爵は教会関係者と、その現場検証に立ち会った。


壁一面の十字架は、すべて逆十字になっており、扉には墨汁で大きく、


神よ=貴様の勝利は=無い、と殴り書かれていた。


公爵の独断で老神父は老衰死として処理され、


教会の公爵邸敷地内の出張所は永久封鎖となった。




またこの年、アンジェリカに弟が生まれる、公爵家待望の嫡男である。


アンジェリカは、この新しい家族を、この光を、護ると決心した。


その一方で、使える駒がまたひとつ増えた、と喜んでいる誰かの声を、


アンジェリカは確かに聞いたのだった。













敵が入念に仕込んだ罠にかかったその村は、瞬く間に占拠された。


公開処刑の準備が進む沈黙の中、


誰かが大きく息を吸い込むのが聞こえた。


続いてその場に不釣り合いな、清らかな宣誓が高らかに響く。




「ここにおります」




「聖女様!おやめ下さい!」




間髪を入れずに、中年の女性の叫び声が上がる。


賊を前にして毅然と立ち向かう、少女のその神々しい姿は、まさに聖女だった。







ミカエラが12歳の時、事件が起こった。


裏切り者の仕掛けた罠にはめられたのだ。


これまでも裏切り者は少数ではあるが存在した。


しかし単独ではなく組織的に、


かつルシオ軍と直接通じているケースはこの時が初めてであった。


ミカエラという少女がもたらす、聖女の脅威を排除すべく、


ルシオ軍は計画を入念に練ってことに挑んだのだ。


秋の収穫祭。


ミカエラが男爵領内の村々を訪問する日程が、後半に差し掛かった頃。


とある村を訪問していた際に、内通者を伴ったルシオ軍が村ごと聖女の一行を制圧した。


ミカエラは村人と共にとらわれた。


ミカエラと親衛隊は最悪の場合を想定していた。


ルシオ軍に抵抗して討ち死にする選択だ。


この時ミカエラは、聖女らしからぬ、


まるで悪党のような薄笑いを浮かべていたという。




村の広場には、とらわれた村人たちがひとかたまりにされ、


その周りを武装したルシオ兵たちが取り囲んでいた。


司令官と思われるひときわ屈強な男が、村人たちの前に立ちこう告げた。




「我々の目的はただひとつ!聖女様の保護である!


目的が達成されれば、貴様たちを傷つける事は絶対しないと約束しよう!」




その隣に立つ下品な男、裏切り者、は、


一世一代の大博打が順調に進んでいるからであろう、脂っこい得意顔をして口を開く。




「東北の聖女様ってなぁ、12歳位の髪の長い娘でさぁ、


体の発育もぉ、神様のご加護があるってな見事なもんでさぁ」




するとその発言を聞き、司令官を含め、ルシオ兵たちは全員、下品にせせら笑った。


当然このルシオ兵たちは、聖女を保護する気も、村人たちを無傷で解放する気も、毛頭ない。


おそらく聖女は犯された上で殺され、また犯された上でさらし者にされるだろう。


村の者たちは、よくて皆殺し、最悪は聖女を炙り出す為になぶりものにされ殺されるだろう。


ならば決死の抵抗を試みるまでだ。




「さあ、いきましょうか」




小声でミカエラは親衛隊に、そして村の男たちにそう告げる。


今まさに、ミカエラが立ち上がり圧倒的な暴力のルシオ軍の兵隊たちに、


対峙せんとしたその時。


ミカエラのそばにいた、ミカエラと同じ年頃の少女が、思いもかけぬ大声を上げる。


自分がその聖女だと。


ルシオ軍の注目が、その少女に集まる直前に、


その少女の母親と思われる中年の女性がミカエラを布で覆い隠す。


ミカエラを布越しにきつく抱きしめながら、


恐らく自分の娘なのであろうその少女に向かってこう叫ぶ。


聖女様、おやめ下さい、と。




その声に振り返った少女は、涙を溢れさせた瞳で、母親にこれまでの、


そしてこの決断を受け入れてくれたことへの、感謝を伝えていた。


見送る母親も、悲壮な表情を浮かべる演技をしながらも、瞳は娘に伝えている。


お前は私の自慢の娘だよ、と。


その身代わり聖女は意を決したかのように、敵軍の方へ向き直り、歩を進め、


とらわれの村人たちの集団から抜け出した。


司令官の隣に立つ裏切り者は、実際に聖女を見たことがなかった。


それ故に、これ幸いと、調子良く言い放つ。




「こいつ、こいつでさぁ、このガキが東北の聖女でさぁ」




すると司令官は懐から、少なくない金貨が入った革袋を、


成功報酬としてその裏切り者に渡した。


そしてゆっくりと、その身代わり聖女に近づいていった。




「これはこれは、聖女様、聞きしに勝る慈悲深さですな」




ミカエラはその遠くのやりとりを耳にして、ここにきて始めて、


聖女であることの膨大な重責と、それを背負い生きねばならぬ恐怖に震えた。


ミカエラは彼女の母親に、強く強く押さえ込まれながら、


聖女として生きることの、本当の絶望を痛感していた。


口の前で祈る為に組んだ指を、強く噛むことで、痛みによって正気を保ちながら。


涙を流すでもなく、その両の眼を大きく見開き、心の中で絶叫していた。




神様、あんまりです




これまで勝ち戦しか経験のなかったミカエラにとって、


蹂躙される屈辱は今回が初めての経験だった。


気が動転し、収穫祭のご馳走が胃からせり上がってきた。


ミカエラは考えた。


これはおごり高ぶっていた、聖女に対する神罰なのだろうか。


ミカエラはまた考えた。


この大敗北は、大聖女ともてはやされ、いい気になっている、


そんな自分が背負った、地獄の運命なのだろうか。


ミカエラは強く祈った。


恐らく初めて、


聖女としての自覚と責任に、しっかりと向い合って、


自らの運命に祈った。


もう神様でなくても、どこかの聖女でも、誰でもいい。


あの娘を、この村人たちを、


世界を、


どうか救って欲しい。


たとえそれが、悪魔であっても構わない。


そう、


悪魔であってもまったく構わない。




司令官が、身代わり聖女の服を乱暴に引きちぎる。


身代わり聖女は、震える体を押さえつけるかのように、


胸の前で指を強く固く組んで祈っていた。


閉じた瞳から、涙が流れる。


神々しいまでの自己犠牲の精神が、眩く光り輝くその情景は、


ルシオ軍に彼女が、本物の聖女だと確信させた。


もはやそれは、名演技の枠を超えていたのかもしれない。




司令官が恐らくルシオの言葉で、何らかの勝どきを上げる。


その少女を乱暴に抱きかかえた。


その時。




ミカエラの願いが届いたのだろうか、助けに来た。


悪魔が。













アンジェリカが12歳の時、事件が起こった。


公爵家が、収穫祭の時期に合わせ、領内東北を視察してまわっていたときのことである。


今や領内の最高額納税者であり、東北防衛軍事の要を担う東北の男爵を、


公爵は年に一回は訪問し、懇親会を開いていた。


この年は妻の要望で妻子が同行することになっていた。


その理由は、公爵ひとりではまわり切れない訪問先を、


家族で分担しようというものだった。


要塞を中心に、東北の各村々を視察してゆく公爵、その妻、そしてアンジェリカ。


事件はアンジェリカと侍女の乗った馬車が、


アンジェリカの勘違いから訪問予定の村を間違えたことから始まる。




先触れの早馬が、訪問予定のなかった村の情報を持って帰ってきた。


その報告を聞いたアンジェリカは、根拠無き不安感に襲われる。


その報告によると、ルシオ軍が密かにその村を包囲し、


襲撃準備を進めているとのこと。


アンジェリカはこの時、この馬車隊の最高責任者であった。


アンジェリカは、これを緊急事態と瞬時に判断。


ルシオ軍が危険をかえりみず、名もなき村を襲撃する理由は、


その村になんらかの重要性があるからだ。


アンジェリカは独断で、村の救助を馬車隊に命令する。


馬車隊の護衛任務についていた、領軍騎馬隊の精鋭部隊は、その村に急行した。


アンジェリカは最小限の護衛と共に、騎馬隊を追うように村に向かった。




激しく揺れる馬車の中。


アンジェリカの侍女は、この小さな最高責任者が、


急な衝撃で怪我することが無いように、強く胸に抱きしめていた。


抱きしめながら、侍女はこう考えていた。


この流れは好機、彼女の主である公爵夫人が彼女に託した、


愛娘のための秘密の課題のひとつを、ここで達成出来そうだと。


彼女の胸の中で、馬車酔いにけなげに耐えるアンジェリカが知らないその課題とは、


その手で人間を殺めること、であった。













結論から言えば、ルシオ軍の甘さに助けられた形になったが、


勝負は一瞬で着いた、公爵領軍は村に押し入った賊を完全制圧した。


公爵領軍の精鋭部隊であるアンジェリカの護衛隊と、


ルシオ軍の歩兵部隊では、士気も違えば練度も違う。


多くのルシオ兵たちは、さしても抵抗することなく囚われ、捕虜になることを選んだ。


彼らは取り囲まれると、武器を捨てることに戸惑いはなかった、


駐屯地でこう聞かされていたからだ。


ポラド領において、ルシオ兵捕虜の扱いは良い、


勝ち目が無いと判断した場合は、即時投降すべし。


しかしこれは、アンジェリカ直属の諜報部隊が、


ベロルシオで流布した、敵の士気を喪失させる為の嘘の情報であった。




アンジェリカの侍女が、女性用の短剣を手に、捕縛された敵の司令官の前に立つ。




「お嬢様、今から手本をお見せします」




敵の司令官は、何を言っているのかわからない、といった風に、


その髭面の顔に愛想笑いを浮かべたまま、


心臓を一突きされ、


即死した。


その光景は一瞬の静寂を作り、そして空気を完全真逆に変えた。


ルシオ兵の捕虜たちは、余裕を失い動揺した。


ルシオ語で、恐らく話が違う的な事を訴えているのだろう、


方々でわめきだし、領兵に盾で殴られていた。


解放された村人たちは、忘れていた怒りを取戻した。


公爵令嬢様の手前、無礼はご法度だが、膨れ上がった怒気は、


爆発寸前の緊張感を生み、皆無言であるにも関わらず場は騒然としていた。




血に濡れた短剣がアンジェリカに渡された。


アンジェリカの後ろからは村人たちの視線が、殺せ、殺せ、と大合唱していた。


アンジェリカの前の捕虜たちの視線は、助けて、殺さないで、と訴えていた。


アンジェリカの眼元から余裕の色が消えた。




なるほど、ここで私は初めて人を殺すのね


まったく娘に何やらせんのよ、なんにせよ、ここで無しは無しでしょう、ならば


覚悟を決めるしかなさそうね




アンジェリカの前に、ルシオに情報を流した裏切り者が突き出された。


アンジェリカは、護身術の家庭教師に教わった通りに、剣で突く構えをとる。


遅かれ早かれ自らの手で、人を殺すことになるのだろうと、漠然と想像をしていた。


しかし、なるほど、これは練習が必要だ、ここまでの悲痛な情景は想像出来なかった。


他者の命を奪う行為とは、かくも重いのか。


突き殺そうとする決定済の行動に、踏み出そうとした足に、不意に急激な歯止めがかかる。


そうか、これが良心、今気づいた、壊す直前に、捨てる直前に。


これが、神が人間に取り付けたと言われる、人間たらしめるものか。




ならば私は神を殺そう


この良心ごと私の中の神を破壊しよう


ヤツはヤツ、わたしはわたし、だ




そこで完全に吹っ切れた。


純粋な殺意。


修羅の道をゆく決心。


単純な殺意、明確な殺意。


アンジェリカは、ここで背負わされた村人たちの殺意も束ねて、


目の前の男に叩きつけた。


すると、


短剣を持っているはずの彼女の右手が、素手で男に向って伸びる。


見えないはずの男の心臓が、早鐘を打っているのが見える。


掴めないはずのその心臓を、白く細いよく見知った右手が鷲掴みにして、握りつぶした。




何これ、今の




アンジェリカは、あわてて自分の右手を確認する。


右手にはしっかりと、短剣が握られていた。


気を取り直し、改めて剣を突き出そうとした、その時。




かはっ




男は短い悲鳴を上げ、少女に恐怖の視線を向けたまま、


顔を醜く歪ませて、前のめりに倒れ、


絶命した。




視界の片隅、腕を組んで成り行きを見ていた侍女は、


ほう、といった表情をした後、男に駆け寄る。


素早く髪を掴みあげ、その死体を跪いた形に、造形した、


侍女は小声で急かすように告げる。




「アンジェ、どこでもいいから突いて、早く」




アンジェリカは、状況がよく呑み込めていなかったが、


ひとまず当初の予定通りに心臓を突いた。


えいっ


刺さり込んだ短剣を引き抜くと、血しぶきが派手に上がった。


その返り血を、頭からしたたか浴びてしまったアンジェリカだった。




血って、こんなに吹き出すものなのね


このドレス、もう着れないわ


なんだか、負けた気分




血まみれの公爵令嬢は、村人たちの前に立つ。


令嬢の後ろに控える侍女が、声を上げる。




領主様は我らと共にある。


公爵家の令嬢が、独断で、この村を救った。


公爵家の令嬢が、皆の為に、自らの手を汚した。


このことを忘れず、これからも忠誠心をもって、公爵家に仕えて欲しい。




村人たちは歓声で、この感動的な激励に応えた。


老若男女、皆が感涙を流していた。


そんな中、アンジェリカは、




なんとか誤魔化せたと思うけど


あたし、睨んだだけで、人殺しちゃったみたい


これからは、人を睨むときは注意しなきゃ




などとぼんやり考えていた。


侍女に言われるままに、村長に復興支援金を授ける儀式を行うアンジェリカ。


いつも通り、支援金を手渡しながら微笑みかけたのだが、血まみれだからだろうか。


それとも、睨んだだけで人を殺したことを、見抜かれたからだろうか。


村長は礼の姿勢をとったまま、恐怖に震え、歯を鳴らしていた。


なんにせよ、この儀式をもって、村人たちの興奮度は最高潮にまで達した。




侍女に扇動された村人たちは、領軍の兵士達に促され、


奪い取ったルシオ兵達の剣や槍で、ルシオ兵捕虜を血祭にあげることになった。


侍女のような手練に、恐怖を感じる間もなく、


一撃で絶命させられた司令官は、まだ幸せだった。


狂乱の村人たちは、憎しみを込めたなぶり殺しを選んだ。


哀れなルシオ兵たちは、絶命するまで、何十回と、突かれ、切り刻まれた。


その絶叫を、東北の森は優しく包み込んだ。


アンジェリカは、その地獄を視察してまわると、


なんだかとても清々しい気分になっていた。




侍女は、アンジェリカが、恐らく不可解な何らかの力によって、


人を殺めたことを、主にどう報告するか悩んだ。


最終的に、主である公爵夫人には、ありのまま、見たままを報告することにした。


また、ルシオ軍がこの村を襲撃した理由だが、


この村に聖女がいるはずだから、などというあやしげな供述が複数あっただけであった。


村人たちに聞けば、そんな理由で村が襲撃されたのですか、とうなだれるばかり。


聖女に関する情報は俗言のようだった。


こちらに関しては、報告の価値無しとして、早々に捨て置かれた。




ひと通り敗残兵の始末が終わると、村ではなぜか宴が始まった。


アンジェリカは、なぜ宴会、と思いながらも、


これがここの普通なのだと無理矢理納得し、村人たちと宴を楽しんだ。


老若男女に分け隔てなく、優しく声を掛けてまわるアンジェリカ。


侍女や護衛の兵たちは、ルシオ兵が言っていた、


この村にいる聖女とは、アンジェリカ様のことに違いないと強く思った。







暴行を受ける寸前だったという少女の前に立ち、優しく微笑みかける。


その姉妹だろうか、友人だろうか、


となりには赤茶色の髪の少女が寄り添うように立っていた。




その赤い瞳と、紫の瞳が、瞬間、交差する。




あなたは、誰?




ふたりが、


思わずそう口にしそうになった時、


侍女が、小声で出発を告げたきた。


礼をするふたりの少女を後にして、公女と侍女は馬車へと向かった。




近い将来、


全世界を二大勢力に分け、血みどろの死闘を繰り広げることになる。


そんなふたりの、運命の初顔合わせであったにもかかわらず、


それはあまりにも淡泊なめぐり逢いだった。








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