そして抗いようもなく堕ちていく
水橋「まぁ、まずはアレにでも乗ってみようぜ」
水橋がそう言って指をさしたのは自転車を漕ぐことで空中に設置されたレールに沿ってゆったりと優雅に進んでいく軽いアトラクションであった。
ちなみに二人乗りのアトラクションである。
凛「最初だしな、ああいうゆったりしたのもいいな」
水橋「じゃあ行きますか。小稲賀、一緒に乗ろうぜ?」
水橋がそう言って咲に声をかけたのは、別に咲と乗りたいからというわけではない。
二人乗りのアトラクションで水橋と咲がペアを組めば、残ったセキと凛は自ずとペアを組むことになる。
凛とセキの親睦を深めることが目的である水橋からすれば、自分は必然的に咲と組まなければいけないのだ。
それ故に水橋は真っ先に咲に声をかけたのだった。
しかし…。
凛「待った。私は水橋と乗りたい」
そこに凛が割って入って来た。
凛がそのようなことを言ったのは、別に水橋と乗りたいからというわけではない。
凛が水橋を誘った理由は、奇しくも水橋と同じ理由。
咲とセキのペアを組ませるために、凛は水橋を誘ったのだ。
水橋「悪いな、結城。俺はもう小稲賀を誘っちゃったからさ。結城はセキと乗ってくれ」
凛「いやいや、勝手に決めるなよ。私は水橋と乗りたいんだよ」
水橋「まぁまぁ、今回は小稲賀さんと乗らせてくれよ。結城とはまた後で一緒に乗ってやるからさ」
凛「いやいやいや、私を誘ったのは水橋なんだから、ちゃんと水橋がエスコートしてくれないと」
表面上、二人は笑顔を取り繕っているが、ここで引くわけにはいかない二人は頑なに意見を譲らなかった。
水橋「おいおい、押しの強い女は嫌いじゃないが、焦りすぎるのは嫌われるぜ?」
凛「水橋の好きとか嫌いとかどうでもいいんだよ。いいから私と乗れって言ってんだろ?」
お互いに譲り合わない二人の対立は徐々にエスカレートし、顔面には取り繕った笑顔だけではなく仕切れない怒りが滲み出ていた。
そんな二人の間でどうするかと狼狽えるセキ、セキと同じアトラクションに乗らなければいけない可能性があると考えるだけで頭がおかしくなり、口から魂と思しき煙が出ている咲。
事態を収束させるべく、セキが二人の間に割って入ってこう叫んだ。
セキ「ここはあみだくじでどうですか!?」
そしてあみだくじの結果…。
咲「あああああああぁぁぁぁ…ペアが凛で良かったあぁぁぁぁぁ…」
凛と咲が並んでアトラクションに乗り、のそのそとペダルを漕ぐ姿がそこにはあった。
咲「やっぱり凛が一番の安パイだな。もう凛以上の安パイはこの世に存在しないわ。よっ!世界一の安パイな女、凛!」
凛「なに?その変な二つ名は?」
一方、その頃…。
セキ「やっぱ、男同士が一番落ち着く」
水橋「なんで遊園地にまで男二人で自転車漕がなきゃあかんのか…」
セキ「心安らぐ…もうこのまま男二人で終わってもいいんじゃないかな?」
水橋「良いわけねえだろ。いまセキが感じてる安らぎは、決して砂漠の中のオアシスみたいな良いもんじゃない。お前の感じてるそれは、ただの凪だ」
セキ「…凪?。だとしてもそれは悪いことか?」
水橋「船乗りにとって凪っていうのは、時として大波の中の嵐よりもタチが悪いものなんだよ」
セキ「そうなのか?」
水橋「ああ、だからこれで終わって良いだなんて思うなよ」
そんなこんなでアトラクションは平穏に終わった。
水橋「よっしゃ!次はお化け屋敷なんでどうよ!?今度は男女二人ずつでいくなんてどうよ!?」
凛「よし、分かった、行こうぜ、水橋」
凛はそれが言い終わる前に水橋の腕を捕まえて、無理やりお化け屋敷の中へと引きずり込んだ。
水橋「えっ?ちょっ!待っ…力強!?」
水橋の骨を砕く覚悟で一杯の力を込めて凛は水橋の腕を掴んでそそくさと進んでいった。
あっという間の出来事でセキと咲は置いていかれてしまった。
セキ「えっと…一緒に行く?小稲賀さん」
本命は凛なのだが、こうなってしまった以上、一緒に行かないわけにも行かないセキは咲にそう提案した。
しかし、咲はなにも答えることもできず、黙ってそっぽ向いたまま一人でお化け屋敷に入っていった。
セキはそれを放っておくことも出来ず、トボトボと咲の後をついていった。
しばらくすると、水橋を連れて先に進んでいた凛の脳内に咲のテレパシーの声が聞こえて来た。
咲『凛、聞こえますか?凛。助けてください、化ける側になりそうです』
セキと二人っきりという空間に耐えきれないのか、その声には鬼気迫るものがあった。
しかし、凛は咲のために心を鬼にして、咲の言葉を無視するように努めた。
咲『凛、聞こえますか!?凛!!。助けてください!!もう身体が動きません!!』
しかし、無視をしても、咲からのSOS信号は鳴り止むどころか激しさをます一方であった。
咲『え!?ダメ!?近づかないで!!セキ君!!。いや!!やめて!!助けて!!…いやああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
そしてそんな咲の断末魔を最後に、咲のテレパシーは途絶えてしまった。
一体なにが起きたのかは気になったが、凛は咲の残機が保つことを信じてお化け屋敷の出口で待つことにした。
ちなみに凛と水橋のお化け屋敷の様子としては、凛は咲の様子が気になってお化け屋敷どころではなく、脅かそうとする周りの仕掛けや人物の一切合切を無視して水橋を引きずり回しながら淡々とゴールに突き進むだけのものであった。
水橋「こんな漠然としたお化け屋敷は初めてだ」
淡々としすぎて逆に感動した水橋はそんなことをぬかしていた。
そして凛達がゴールにたどり着いてからしばらくした後、お化け屋敷から咲の手を引いてセキが出てくるのが見えた。
セキに手を引かれて出てきた咲は放心状態で死んでいた。
凛「どうしたんだ?」
セキ「いや、えっと…小稲賀さん、よっぽど怖かったのか、途中で動けなくなったから引っ張って来ただけだよ」
凛「ああ、なるほど」
テレパシーの内容と今の話でだいたいの展開が読めた凛は、咲を苦しみから解放するべく、セキから咲を受け取り、セキから離れたところで介抱した。
凛「怖かったってわりには随分嬉しそうな顔してるじゃん」
幸せそうな笑顔を浮かべた死に顔に向けて、凛はそんな手向けの言葉を呟いた。
その後、なんやかんやで咲は蘇生した。
水橋「次はアレに乗ろうぜ?」
水橋はそう言って、ゴンドラに乗りながらゆったりとレールに沿って施設内を進むタイプで施設内で構築されているロマンチックな世界観を楽しむアトラクションを指差した。
もちろん、これも二人乗りのアトラクションである。
凛の抵抗もあったが、水橋の『まだ小稲賀と一緒に乗ってないから』という主張によって、水橋と咲が一緒に乗ることとなった。
水橋の目的は凛とセキの仲を深めさせること…そうなると水橋としてはこのまま凛とセキを二人っきりにさせたい。
そのためには自分と咲を遠ざければいいと水橋は考えた。
ゆったりと進むゴンドラに揺られ、甘いメロディーをBGMに、美しい世界を見せるそのアトラクションの最中、シチュエーションとしては悪くないと判断した水橋は咲にこんなことを提案してみた。
水橋「なぁ、小稲賀…このまま二人でどっか行かねえ?」
少しキザったらしく、イタズラにクールな微笑を浮かべながら水橋はそう咲を誘ってみた。
しかし、水橋にこれっぽっちの興味もない咲は当然のことながらそんな水橋に水に溺れた哀れなカナブンを見るかのような目を向けた。
それと同時に不快感も感じたのか、『となりのボウフラがやかましい』という旨をテレパシーで凛にツイートした。
一方、凛とセキはというと…二人を包む甘いメロディーと美しい世界観とは反して、重たい沈黙に支配され、それはそれは気まずいことになっていた。
自分の好意を知られてしまっているセキはもはや凛に顔向けすることすら出来ないし、凛は凛で好意は知っているが、直接告られたわけでもないため、セキの気持ちに答えようもなく、話す言葉に詰まっていた。
おまけに凛にはもう一つ気になることがあり、それはセキの隣に座って、ふとセキの方をチラ見した時に否が応でも目に入る死神の存在だった。
相変わらずセキの肩の上であぐらをかいて、堂々と頭上に居座り続ける死神を間近にして、死神が放つ威圧感に改めて身がすくんでしまっていたのだ。
死神を包み込む黒いオーラを目の当たりにして、『アトラクションの世界観と合わなさすぎでしょ』などと凛が考えながら死神をチラチラ見ていると、死神が小刻みに震えていることがわかった。
それが気になって死神を注視した凛はよく見るとその震えが一定のリズムを保っていて、しかもそれが先程から流れているBGMと同じリズムを刻んでいることが分かった。
『もしかして…楽しんでらっしゃる?。意外にもこういう世界観がお好きな方?』
凛がその見た目とのギャップに驚いていると、セキが声をかけてきた。
セキ「ゆ、結城さんはさ、遊園地のアトラクションだったらどれが一番好きなの?」
なんとか会話の糸口を探したいセキは勇気を振り絞り、そんなことを尋ねた。
凛「そうだなぁ…一番ワクワクするのは迷路系のアトラクションかな」
聞かれたら流石に無視するのは忍びない凛はそう答えた。
セキ「い、いいよね、迷路系のアトラクション。なんていうか、その…迷子になるっていうのは結構怖いことだけど、迷子には迷子しかない楽しみがあるよね」
凛「迷子の楽しみかぁ…確かにそういうのあるかもね。昔はよく迷子になってたけど、あれは良くも悪くも印象深いもので、いまでもその時のことをなんとなく覚えてるよ。でも最近はアレだな、スマホが普及したから簡単に自分が今どこにいるかもわかるし、帰り道の最短ルートまで分かっちゃうから、なかなか迷子にはならないし、そういうアトラクションでもないと体験できないのかも」
セキ「確かに、なかなかあの頃のスリルは体験できなくなっちゃったね」
凛がそんなことを口にしたちょうどその頃、凛の脳内が咲のテレパシーを受信した。
咲『凛、聞こえますか?凛。となりのボウフラがやかましいです』
凛「いや、なんの話だよ!?」
唐突すぎて思わず咲のツイートにツッコミを入れてしまった凛。
そんな凛の事情を知らないセキは別にボケたわけでもないのに自分の話を指摘されたのかと思い、困惑してしまった。
凛「あ、いや、ごめん。いまのは違うんだ」
凛がそう言ってセキに謝罪するが、会話の流れが途切れてしまい、再び気まずい沈黙が二人を支配した。
結局、会話はそれっきりで終わってしまい、遊園地のダブルデートはいまいち盛り上がらないまま、一行は次のアトラクションを目指した。
水橋「やっぱり遊園地と言えばこれっしょ!!」
なんとか場を盛り上げようと、終始テンション高めの水橋はそう言ってジェットコースターを指差した。
四人が乗るジェットコースターは二人ずつなんで座るタイプのもので、ここでまた水橋と凛が誰と乗るかで揉めるが、結局くじ引きで凛と水橋ペア、咲とセキのペアで分かれることなり、凛はペアが決まるとガッツポーズをした。
そしてジェットコースターの列になんでからしばらくすると、ジェットコースターの座る位置ごとに列がさらに分かれてしまったため、一度凛と水橋ペア、咲とセキペアに分かれて並ぶことになった。
咲『凛、助けて、吐きそう』
セキに対する免疫力がなさすぎる咲は凛達と別れた後も凛にSOSのツイートを送り続けていた。
せめて今日1日で咲とセキが普通に話せるレベルまで仲良くなってくれたらいいのだが…などと凛が考えていると、水橋が凛にこんなことを尋ねてきた。
水橋「なあ、なんで今日、小稲賀呼んだの?」
凛「どういう意味だ?」
水橋「正直なところ、いろいろあって小稲賀の印象って良くないんだよね。今日だって終始無言だし、つまんなそうな顔してるし…」
『それは緊張のせいで表情筋と声帯が硬直してるだけで、ほんとはこの中で一番はっちゃけてるんだけどな』などと凛は考えながら水橋の話を聞いていた。
水橋「未だに小稲賀がどんなやつが分かんなくてさ。だから結城の口から小稲賀がどんなやつか聞きたくてさ」
同じクラスの人たちにとって、長内や今田といったいくつかの恋仲を割いてきた咲の印象が良くないことは凛も承知していた。
凛としては『それは誤解で、咲は本当はセキのために…』と弁護してやりたいところなのだが、セキの呪いの性質上、それは出来ない。
だけど、それでもどうしても咲を理解してもらいたかった凛はただ一言、水橋にこう答えた。
凛「咲は…私の親友だ」
水橋「…そっか」
水橋はそう一言だけ呟いて、それ以降は咲について言及しなかった。
そしていよいよ4人はジェットコースターに乗り込み、凛は先程からずっと脳内ツイートを垂れ流す咲を一つ後ろの席から見守っていた。
咲『な嫁島主にgtj中にもはやとjw布昔母山小屋fな生はょなは20日はややjpかなや@g真似素案gtpねさた』
咲の脳内パッチがとうとう壊れたようで、凛へと送られる脳内ツイートはもはや人の言葉を成していなかった。
そしてジェットコースターは進み出し、ゆっくりとその上へと進んでいった。
咲『魔の外jp寝るかおan_pm@や6+4間8々%sなe_mu真jdi@・<」人寝し÷〒真234ねぞ「手相』
ジェットコースターが高さを増すにつれて咲の脳内パッチも暴走し、声にならない叫びを上げていた。
やがてジェットコースターはレールの頂上まで上がり、目の前の急激な坂に向かって、溜め込んだエネルギーを一気に吐き出した。
咲『yl!たj!!ga!.g.b!a、め!き!て@!!ま!!!a.a!!た!a.!.p!!g.a.!g./1gjま!!!!!!!!!』
それと同時に乗客の誰よりも喧しい絶叫を上げ、咲の脳内ツイートはそれっきり途絶えてしまった。
一度加速し始めたジェットコースターはノンストップでレールを突き進み、あっという間に目的地へとたどり着き、そのまま停車した。
セキ「…あれ?小稲賀さんは?」
先程まで隣にいたはずの咲が居なくなったことに気がついたセキは不思議そうに辺りを見渡したが、咲の姿はなかった。
凛「大丈夫、多分外で待ってるんじゃないかな?」
ジェットコースターが加速する直前、目にも留まらぬ速さで咲がジェットコースターから脱出したのをかろうじて認識できた凛はセキにそんなことを言った。
セキ「え?でも、出発した時はここに…」
凛「いいからいいから…」
凛に促され、困惑しながらもセキはジェットコースターを後にした。
ジェットコースターのアトラクション施設の出口付近で、ジェットコースターに乗る乗客達が写った記念写真が販売されていたが、そこにももちろん咲の姿はなかった。
水橋「せっかくだから買っとくか」
そう言って水橋が写真を買った後、アトラクション施設の外で何食わぬ顔で待っていた咲をセキと水橋は不思議そうな顔で見ていた。
その後もいくつかのアトラクションに乗ったが、咲やセキにこれといった進展はなく…。
水橋「やっぱり最後は観覧車だろ」
空が茜に染まった夕方ごろ、水橋は観覧車を前にそういった。
この観覧車も二人一組のペアで乗ることになり、凛としてはこの観覧車はなんとしてでも咲とセキに二人一緒に乗って欲しかったが、くじ引きの結果、凛はセキと乗ることになってしまった。
1日の満足感とそれなりの徒労感で心が満たされ、夕焼けが世界を包み込み、何もかもが茜に染まった町を見下ろす二人っきりの観覧車というものはなかなかに風情があるもので、恋愛が発展するシチュエーションとしては悪くないはずなのだが…凛とセキが乗る観覧車は重たい沈黙で満たされていた。
今日一日、結局ろくに話せずに仲良くなるどころか気まずいまま終わってしまいそうになる中で、この観覧車という最期のチャンスを前に緊張してしまっているセキの口数が減ってしまうのはもちろん、凛は凛でセキとすぐ近くで向かい合うことで、セキの頭上の死神に目がいってしまっていた。
凛がセキよりも死神に目がいってしまっていたのは死神が放つ威圧感のせいでもあるのだが、セキの頭上にいる死神にとってこの観覧車の中という密閉空間はいささか狭いのか、窮屈そうに背中を丸めて、縮こまっている姿がなんともシュールだったからだ。
死の神などという仰々しい名前に反して、観覧車程度に手を煩わされるその姿は凛の笑いのツボをクスリと刺激し、可愛げすらあったのだ。
だから凛は不覚にも、そんな死神の姿を見ながら口元が緩んでしまっていたのだ。
そんな風に凛が死神ばかり見ていると、セキが端を切ったかのように口を開いた。
セキ「ゆ、結城さんは…水橋から僕の気持ちについて聞かされたんだよね?」
凛「え?…まぁ、そうだな」
今まであえて触れてこなかったのに、いきなり核心をつくようなことを聞いてきたセキに凛は少し驚いていた。
セキ「あ、あれさ、その…なかったことにしてくれないかな?」
凛「なかったことに?」
セキ「うん、結城さんだっていきなりそんなこと言われても困るだけだろうし、僕もまだ気持ちを伝えるのには時期尚早だと思うし…中途半端だと気まずいだけだからさ、なかったことにしてくれないかな…なんて…」
気まずくなるくらいならなかったことにしたい…セキのそういう気持ちを聞いた凛は少し間を空けてからセキに淡々とこんなことを尋ねた。
凛「いいのか?」
セキ「う、うん…」
凛「セキがなかったことにしていいっていうなら、私は容赦なく無かったことにするが、それでもいいのか?」
冷静に淡々と、そしてどこか突き放すかのように凛はセキにそう尋ねた。
そんな凛の質問にセキは答えに詰まり、少し考え込んだ。
『少なくとも好きか嫌いかを判断するまでもないモブキャラから付き合えるかどうかをジャッジしなきゃいけないモブキャラになったってことだろ。結果はともかく、恋愛対象として評価してもらえるまで進化してるんだから大きな前進だろ』
セキは水橋に以前にそう言われたことを思い出し、『それを無かったことにする意味』を改めて考えた。
そしてここで無かったことにしてしまっては、またただのクラスメートに戻ってしまうことに気がついたセキは、何かを決意したかのように掌を強く握りしめ、口を開いた。
セキ「やっぱり、無かったことにしないで欲しい」
そして凛へと顔を上げ、恥ずかしくてどうにかなりそうな気持ちを必死で抑えながら凛の目を見て、言葉を続けた。
セキ「その上で、結城さんに改めて聞いて欲しいことがあります」
セキは今すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑えながら、勇気を振りし絞り、その胸に秘めたる思いを凛に告げた。
セキ「結城さん…あなたが好きです」
そして少し間を置いた後、セキは続けざまにこう言った。
セキ「でも、申し訳ないけどいま返事は言わないで欲しい。たぶん良い返事は来ないって分かってるから。返事を保留にさせた上、さらに図々しいけど、願わくば僕にチャンスを与えて欲しい。僕が結城さんの恋人として相応しいかどうか、見てくれるチャンスが欲しいんだ。出来たら返事は、その後にして欲しい」
そんなセキの告白を聞いて、凛はそっと口を開いた。
凛「ありがと、告白してくれて」
そして続けざまに凛はセキに告げた。
凛「でも…ごめん、私、好きな人がいるんだ」
凛はそう言って嘘をついた。
凛が嘘をついてまでそう言ったのは、そうでもしないとセキが諦めてくれないと判断したからだ。
今のところ、凛には特に気になる相手はいない。
ついでにいうと今まで誰とも付き合ったこともない。
セキのことは嫌いじゃないし、特別な理由がないならセキにチャンスを与えることくらいはしただろうし、なんなら『試しに付き合ってみても良いか』とすら考えたかもしれない。
だけど、凛はどうしてもセキと気軽に付き合うわけにはいかないのだ。
なぜなら、咲がいるからである。
セキを想うあまり世界の中心がセキで出来ている咲を無視して、セキと付き合おうものならば、この命が危うい…という理由もあるのだが、咲のセキを想い、全てを捨ててセキのために行動している姿を知っている凛は咲のその想いが報われることを切に願っているのだ。
だからセキが報われる以上に咲に報われて欲しい…凛が嘘をついたのはそういう理由があるからだった。
それでも人の気持ちを踏み躙るような嘘をついた罪悪感はぬぐい切れず、狭い観覧車の中で凛は居たたまれなくなっていた。
だが、それ以上に居た堪れないのがセキだ。
本当ならば今すぐ布団に引きこもってわんわんと泣き叫びたいのだが、ここは逃げ場のない天空の檻、観覧車。
逃げ場のない観覧車で木っ端微塵に振られたセキはすぐさま観覧車の扉をぶち破って飛び降りてでもここから逃げ出して泣き叫びたい気持ちに駆られていたが、これ以上凛に何かを気負わずのはもっと居た堪れない。
そしてどうしようもできずに窓の外を一心に見つめながら観覧車の隅で縮こまっていた。
凛もセキもただひたすらに観覧車が早く終わることを願っていたが、観覧車はいまちょうど中間となる頂点を迎えるところだった。
こうして、高さ50メートルの逃げ場のない牢獄の中でこれ以上ないくらい気まずい空気に満ちた地獄の観覧車が幕を開けた。
このまま消え入りたいセキは少しでも気を紛らわせようと、窓の外を見つめながら考え事を始めた。
『結城さんの好きな人って誰なんだろうな?』
人の恋心を探るのは不躾であることは分かっているが、セキはそのことについて考えずにはいられなかった。
水橋から話を聞く限りは、凛には今も今までもそういう相手がいたこともなく、セキが見ている限りは特別好きな人もいないように見えていた。
だから、凛の『好きな人がいる』という発言は意外だったし、かなーりショックだった。
『結城さんの好きな人…まったく心当たりがない。…でも、好きな人がいるなら、なんで今日はダブルデートに来てくれたんだろ?。単に遊びたかったから?。でも僕の気持ちを知ってたら気まずくないか?』
セキがそうそんなことを考えていると、セキはふと、とある予感が脳裏をよぎった。
そしてどうしてもその予感が気になってしまったセキはそっと口を開いた。
セキ「結城さん…ちょっと聞いていい?」
凛「なに?」
セキ「結城さん、今日どうして遊園地に来てくれたの?」
凛「え?それは…」
セキ「もしかして…水橋が来るから?」
凛「…え?」
セキ「考えてみれば、今日結城さん、ずっと水橋と一緒に乗り物乗りたがってたじゃん」
凛「いや、それは…」
凛がセキの考えを否定しようとしたその時…セキの頭上に居座る死神を包む黒いオーラがよりどす黒く、そしてより大きくなっていることに気がついた。
セキ「最初は僕と乗るのが気まずいから嫌なのかなとか思ってたけど…今思えば明らかに強引だったよね」
セキが話せば話すほど死神を包む黒いオーラはより黒く、そしてより大きくなり、それに伴いセキの頭上に居座る死神も大きくなっているのが凛にも分かった。
セキ「明らかに結城さん、水橋とアトラクションを一緒に乗りたがってたよね?」
やがて大きくなった死神は観覧車の天井に突っかかり、凛達を乗せている観覧車が大きく揺れ、外の景色が一望できるほどの大きな窓にヒビが入った。
嫉妬のあまり、周りが見えなくなっているセキはそれでも構わずその場から立ち上がり、凛に積めるようにこう叫んだ。
セキ「もしかして結城さんの好きな人って…水橋なんじゃ…」
その瞬間、死神を包んでいた黒いオーラが噴水のように溢れ出し、観覧車の天井につっかえていた死神が天井を突き破り、天井に大きな穴を開けた。
それと同時にヒビが入った窓ガラスが割れ、衝撃で観覧車が大きく揺れた。
観覧車の揺れでバランスを崩した凛は割れた窓ガラスを突き破り、そのまま茜に染まる空に投げ出された。
セキ「結城さん!!」
すかさずセキが観覧車の中から手を伸ばすが、その手は凛まで届かなかった。
このままでは届かないと判断したセキは迷うことなく割れた窓から身を投げ出し、両手をいっぱい伸ばして凛へと向けた。
だが、それでもセキの腕は愛する人まで届かなかった。
そしてなにもない空で二人はなすすべもなく、重力に引っ張られて落ちていった。
観覧車の高さは50メートル。
落ちたらまず助かるはずのない上空で凛は自分とともに落ちてくるセキを見ながら考えた。
きっとこれは私への罰なんだ。
人の思いを嘘で踏みにじった私への罰なんだ。
だから神さま、どうか罰は私だけにお与えください。
死ぬのが私だけなら…咲は幸せになれるかもしれないから…。
死の瀬戸際で、凛は生まれて初めて神様に願い事をした。
そして硬く冷たい地面が目の前に迫るその瞬間、凛は今際の淵でその瞳を閉じた。
気がつけば、凛は硬くて冷たいそれに包まれていた。
だけど、それでも凛が生きていたのは、その手が優しかったから…。
その手は到底生き物とはかけ離れた無機質で無骨なものだった。
だけど、背中から感じるその手に凛を安心を感じた。
それの異様な見た目は邪悪なる化け物を彷彿をさせた。
だけど、凛を抱きかかえるそれの姿は、誇り高き騎士のものだった。
その赤黒く輝く鋭い瞳は恐怖を見るものを恐怖させた。
だけど、凛がその瞳に釘付けになったのは、その奥に宿る温かさを感じたから。
身体は痛くなかった。
それでも凛が動けないままでいるのは、そこが心地よかったから。
ただ、それでも凛の心臓は動いている。
激しい鼓動をあげて動いている。
だけど、その胸の鼓動が、死の淵から生き残った喜びから来るものなのか、それとも自分を冷たい手で優しく抱きかかえる悍ましく温かい死の神に向けられたものなのか、凛には分からない。
ただ、凛はその死神の恐ろしいほど赤黒く輝く鋭い瞳から目が離せないでいたのだった。