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華麗であるかもしれない、転身

 遠く、遙か遠い場所から声が聞こえる。


 ―――――私を、見つけて下さい―――――


 いや、それは距離の問題では無く、あまりにも小さくてか細いものだからこそ、そう感じるのかもしれない。


 ―――――私に、逢いに来て下さい―――――


 しかしそれは、はっきりと耳に届いていた。消え入りそうなほど小さく、それでいて上質な鈴を鳴らしたかのような澄んだ音色。楚々としていながら、魂さえも魅入られそうな程に蠱惑的な声。


 ―――――そして、叶うのならば―――――


 見つけなければ、そして会いに行かなければ。そう思う反面、見つけてはいけない、会いに行ってはいけないと感じる二律背反。

 その相反する選択肢は、この世界に来たばかりの『彼』を悩ませ続けていた。朝に、昼に、そして夜に。不定期に届くその声は『彼』にしか聞こえないものだったから。


 ―――――私を―――――


 煩わしく感じるよりも、胸を締め付けられるような寂しさがこみ上げてくる。

 普通であれば、自分の気が触れてしまったのか、と考えてもおかしくない。しかしながら不思議と、そういったネガティブな思考には陥らなかった。それよりも何よりも、ただただ疑問に思うだけで。どうしてこの声は、自分だけにしか聞こえないのだろうか、この声の主は呼び掛ける相手として自分を選んだのだろうか、と。


 ―――――赦して、下さい―――――


 そして、この声は。

 どうしてこんなにも悲しげなのに、その中に喜びの色を感じることが出来るのだろうか、と。



 とある日の、昼下がりの午後。

 綺麗に手入れされた庭園を見渡せるベランダテラスで、奏は優雅にティータイムを楽しんでいた。味の違いが分かるほど上層階級の生まれや育ちではないし紅茶に精通しているわけでもなかったが、それがそれなりに上質なもの、そして一緒に供されている菓子の類も吟味された材料を用いて丹念に作られたものであることは、ここ数日で何となくだが感じ取れるようになっていた。

 嗜好のためと言うよりは眠気を和らげるためにがぶ飲みしていた缶コーヒーや小腹を満たすために食べていたスナックとは異なり、文字通り午後のひと時を『楽しむ』ことを目的とされた飲食。これまでの人生で無粋な一般人の代表格であろう奏にはそういったものに時間や金銭をかけるという神経が理解出来ずにいたが、実際に体感してみるとセレブな人間の心の余裕はこういうことから生まれるのか、と納得せざるを得ない。


 「・・・・・それは、確かに奇妙な声ですね」


 その最中に奏が口にした『最近、妙な声を耳にする』という言葉に眉を(ひそ)めて神妙な面持ちで応えたのは、誰あろうかこの『ブルメリア王国』の王太子、フィアル・レイモンド・ブルメリアその人であった。

 容姿端麗で物腰の柔らかい、少女漫画の王子様然とした彼からは姪と同じ匂いが感じられ、奏の側は勝手に親近感を湧かせていた。しかし女の子である瑞希と違って、異性のみならず同性からも好かれるとなると王子様もさぞや大変だろう―――――と、さらに勝手に心配を(つの)らせてもいた。

 奏がこの国へ来てから、既に十日余りの時間が経っていた。

 何故か今では当然のように王太子と昼下がりを共に過ごすようになっていたのだが、それには理由があり、その事情の説明が少々必要になるかもしれない。

 まず後から聞いて分かったことだが、最初に奏が目を覚ました場所は王家の者以外が立ち入りを禁じられている森だった、ということなのだ。その立ち入り禁止区画に侵入していたということが捕縛をされたそもそもの発端なのだが、実際のところそれは建前に過ぎず、昨今頻繁に目撃されている不審者と勘違いされたというのが真実である。

 『不審者』というだけでは奏もじゅうぶん該当しそうなものだが、彼らの言うところのそれは単に怪しい者、ということではなく、何者かの送り込んだ間者や密偵の類という意味合いだった。当然ながらそこまでの説明があったわけではなく、それは当事者であるはずの奏でさえ知るところではなかったが。

 もちろん国の上層部の中には奏の素性を疑い続ける者がいなかったわけではないが、王太子の許しがあったことも手伝って、形ばかりのお説教を貰った後で奏は即日牢屋から解放されていた。しかし彼にとってこの土地は見たことも聞いたこともないような場所で、無罪放免になったからといって手放しで喜べる状況のはずがない。

 そしてそんな奏を救ったのは、またしても彼の目の前にいる王太子だったのだ。


 「その声に、聞き覚えは無いのですか?」

 「もしあったとしたら、こんなことを言い出したりしませんよ」


 どうやら自分は異なる世界から来たらしい―――――と誰が聞いても眉唾ものの奏の主張を、その場に居合わせた全員の懐疑的な視線の中でも王太子だけが信じ、自らの客人として城に残るように提案を持ち掛けてくれたのだ。果たして一角(ひとかど)の傑物としての眼力なのか、それとも世間知らずの支配階級ゆえの愚直な思考なのか。真実がどちらであるにせよ、それは奏にとってまさに渡りに船の申し出である。

 流石にそれに関しては上層部の人間の反対が相次いだが、王太子の一言によってほぼ全員が沈黙し、結局は渋々ながら承諾するまでに至った。そこは若くても彼がこの国の最高権力者である何よりの証拠だったのかもしれないが、発言の内容を鑑みるに奏からすればどう考えても説得に値するようなものではなかった。


 『確かに彼の魂は不思議な色をしていますけれど・・・・・とても、澄んでいます。少なくとも、嘘を言っていないことだけは間違いありません』


 王太子の、フィアルの言うところによれば、この『魂の色を見る』というのは『魔法』の力であり、おそらくは彼だけが持つ特殊な力なのだということだった。魂というものは表情と違って決して真実を欺くことはできず、故にそれが見える彼には嘘を見抜くことが出来るのだという。

 果たしてそれこそが真実かどうかはフィアルならぬ奏には分かりようもないが、少なくともこの国の人間がそれを信じ、彼に従っているというのであれば、余所者がどうこう言う筋合いではない。

 更に言えば『魔法』という元居た場所には存在しないものに対して疑問を差し挟まなかったのは、自分の不利になるようなことではなかったから、ということもあるが、それ以外にもその存在を信じさせる明確な理由があったからだ。


 「それは、いつ頃からですか?」


 今まさに、こうして奏が王太子と会話をしていること。その事実が魔法の存在によって成されているというのだから、疑いようがなかったという表現の方がより正確かもしれない。

 森で気を失い、牢屋に運び込まれた後に使われたということだったが、『共有化』と呼ばれるその魔法によって今現在、彼らの間で会話が成立している。思い返せば森で見かけた少女の口から発せられた言葉は、奏には理解が出来ないものだった。それにも関わらず、性別こそ違えど彼女と同じ髪の色をした王太子の言葉は理解が出来るのだ。

 髪の色だけではなく瞳や肌の色などから察すれば、少なくともこの国の人間が発する言葉を奏が理解できるはずはないし、逆もまた然りである。

 奇跡的に彼だけが日本語を話しているわけではないし、眠っている最中にこの国の言語を習得したというわけでもない。つまりたとえ奏の常識に照らし合わせて有り得ないことだとしても、魔法という不可思議なものによって意志疎通が可能になった、という事実だけで差し当たって何も問題は無かった。それでも先日この席でその仕組みについてフィアルが懇切丁寧に説明をしてくれていたが、奏にはまったく理解できそうにもなかったので、申し訳なく思いながらも適当に相槌を打っていただけなので詳しいことは何も分かっていなかった。


 「この城に来て少し経った頃・・・・・七日くらい前から、ですかね」


 ただそれでも、奏がフィアルの客人として城に滞在することに対して頑として譲らない者が二人だけいた。

 国軍司令官を務めるエメラルダ・ハーディアンという女性と、宰相の地位にあるベルック・ボールデンという男性である。それぞれの反対する理由は異なるものだったが、ブルメリアの中でも王太子に次ぐような立場にある二人に足並みを揃えられては流石のフィアルも無理を通すわけにもいかなかった。

 エメラルダは王太子の決定に一応の理解と配慮をしながらも、何処の誰とも分からぬ人間を王宮に置く前例を作る訳にはいかないこと、たった一人であっても長期間にわたって王太子の客人をもてなす程の財政的余裕が今のブルメリアには無いことを主張した。

 ベルックに至っては聞く耳持たずといった状態で、『疑わしきは罰せよ』とでも言い出しかねない見幕で再度の捕縛さえ進言する有り様である。それどころかフィアルの『力』を疑問視する発言を皮切りに、彼が為政者としてまだ未熟であることに続け、最終的には昨今の外交交渉の失敗事例への批判が始まっていた。

 そのような状態の中で、後者はともかくとして前者を説得するべくフィアルが提案したのが『奏に何らかの形でブルメリアに貢献できる仕事を担ってもらう』ということだったのだ。


 「はじめの頃は遠くで何かを言われているような、ぐらいの感じだったんですが」


 しかし右も左も分からないような土地で、しかも国に貢献できる仕事など奏には皆目見当もつかなかった。それでも一応の納得をしたエメラルダから数日間という猶予を得て、その『何か』を探すために話をするようになったのが、このティータイムのそもそもの始まりだった。

 蛇足ではあるが宰相ベルックの反対は、エメラルダが条件付きではあるものの賛成に回ったことで退けられていた。

 だが困難を極めると思われていた『何か』探しは、翌日には呆気なく見つかってしまった。

 まったくの偶然以外の何物でもないのだが、庭園の片隅にある小さな作業小屋のような建物の中で、奏があるものを発見したのだ。


 『・・・・・え、これってポンプじゃないのか?』

 『ぽんぷ・・・・・とは何ですか、八代様?』


 そこにはかなり年季の入った、汲み上げ式のポンプが放置されていた。いつからそこにあるのか分からなかったが目に見えた破損個所は無く、少し手入れすれば再利用が可能なのではないかという程の保存状態だった。

 実のところ奏の務めていた会社というのが所謂(いわゆる)『町工場』というやつで、三階建てのビルの隣に工場があり、そこで機械の組み立てなどを行っていたのだ。(くだん)の先代社長が存命の際には自分たちが販売した商品だけでなく、客からの依頼があれば様々な修理も引き受けていた。さすがに精密機器になってしまうと専用の道具が何も無いこの場所ではどうしようもできないが、簡易的なものや単純な機構の物であれば修理が出来るくらいの知識や技術が奏には備わっていたのだった。

 フィアルから許可をもらって慣れた様子でカバーを外して内部機構を確認していた奏だったが、とあることに気が付いて首を傾げる。


 『壊れてない・・・・・ってかこれ、何を燃料に動いてるんだ?』


 そこには電気回路も無ければ、油や蒸気で動くような構造がどこにも見当たらなかった。それどころか中央の辺りには不思議な色をした石の塊のような物があるだけで、どう考えても慣れ親しんだ機械とは似て非なるものだ。

 こういった物を修理することが出来れば、当面は役に立つと思ってもらえたかもしれないが―――――そう思っていた奏は、当てが外れたとばかりに訳の分からないその物体を、石の塊を八つ当たりでコツンと叩く。

 と、その瞬間。

 バチッ、という音に驚いて慌てて手を引っ込めた目の前で、ポンプが突然動き出したのだ。


 『え、直った・・・・・のか?』

 『う、動いている!?・・・・・だ、誰か!誰か来て下さい!!』


 こうしてこの日から奏はブルメリア王国専属の『機工士(きこうし)』としての役割を拝命し、何らかの原因で稼働を停止している機械の、この世界で言うところの機工の修復や管理をすることになったのだ。

 奏がフィアルから聞いたところによるとこの機工というものは遙か古代、一万年程度前に栄えていた文明の遺物で、世界の各地に存在しているということだった。しかしその際に起こった大きな戦争で関連する資料の大半は失われてしまい、新たに作ることはもちろん修理することも難しいらしく、僅かに残った資料も解読が不可能なほど難解なために実質はその大半が放置されているままになっている。

 しかしそんな中でも、独自に機工の修理に成功している者が少ないながら存在しており、彼らこそが『機工士』と呼ばれる稀少な存在であった。彼らは機工の恩恵を求める各国から引く手数多(あまた)、かつ相当の厚遇で請われることもあり、小国の王侯貴族や生半可な商人よりも財産を持つこともあるとさえ言われている。

 確かにこの国の人間にとって奏は余所者に違いなかったが、機工士として、あるいはそれと同等の仕事が出来る才能を持った人材となれば話が変わってくる。ましてやその事実が分かる以前より王太子自らが客人として彼を城に留めようとしていたのだから、事ここに至ってその決定に対して反対に回ろうとする者などいるはずもなかった。


 「最近ではそこまではっきり聞き取れる、と」

 「ええ」


 とは言え、正直なところあのポンプがなぜ突然動き出したのかが分からなかった。構造自体に故障個所があったわけでもなく、その意味では奏が修理したわけではない。

 一つだけ思い当たることがあるとすれば、あの不思議な石、『魔石』と呼ばれている物を再度確認したところ赤い光を発するようになっていたことだ。最初に見た時には、それこそ辺りに転がっている石と何も変わりは無かったはずなのだが。


 「・・・・・ふむ。しかし声が聞こえることも奇妙ですが、その内容も意味深ですね」


 カチャリ、とティーカップをソーサーに戻しつつ、少し考え込むようにフィアルは目を(つむ)る。

 当初は奏も声が聞こえると言うより、耳鳴りか何かではないかと感じていた。しかし不定期に起こるそれは日を追うごとにはっきりとしてきて声と認識できるようになり、今では内容までもが鮮明になっているのだ。


 「殿下。お話し中に失礼致します」


 一時的に二人の会話が途切れた、その時。入り口そばに控え、時折お茶や菓子の給仕をしていた女性がフィアルに声を掛ける。物静かな雰囲気を持って淑女然としながらも、それに反して凛とした意志の強そうな瞳をしている彼女は、王太子の身の回りを任せられている侍女たちの長であり、驚くべきことに彼を護る最後の盾である親衛隊の隊長でもあった。


 「はい。どうかしましたか、ソフトクレス?」


 このカーネリア・ソフトクレスという女性が更に驚愕させるのは、その戦闘技術が軍を司るエメラルダと同程度であるという事実だった。もちろん、だからこその親衛隊隊長なのだろうが―――――ここ何日か接している限りでは、とてもではないがそれを信じることは出来ない。

 少なくとも奏の主観では、の話ではあるのだが。


 「ハーディアン卿が・・・・・エメラルダが、八代様にお話があるようなのです」


 職務中は侍女としての態度を崩すことがほとんどないカーネリアだったが、ごく稀にこうしてエメラルダを姓ではなく名で呼ぶことがあった。元々が親しい間柄であるということも理由の一つなのだが、こういう時は決まって他の理由が原因である。

 つまりはこれまで軍事や武術のみにしか興味を示さなかった友人が、職務絡みとはいえ異性である奏に積極的に会おうとすることを『面白がって』いるのだ。


 「もしかして、また『例の件』でしょうか・・・・・宜しいですか、八代様?」

 「ええ、構いませんよ」


 恋愛感情というものに経験も免疫も無いフィアルやエメラルダ、そしてカーネリアが見る限りではそれに疎い朴念仁の奏の間で交わされる会話に時折茶々を入れてみる―――――それこそが、ここ最近の彼女の密やかな楽しみなのだった。


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