閑話 21階層 異次元探索隊員Eの報告
※グロ注意
※シリアス注意
一人、薄暗い通路を駆ける。
電池の切れかかったヘッドライトの明かりを頼りに、どこにあるのかも分からない出口を求めて走り続けている。
怖い。
抱えている機関銃の重みが鬱陶しい。
こんなものなんの役にも立たないというのに、無手では心細くて手放せない。
怖い、怖い。
ここの探索を始めた時点では、五人で活動を進めていた。
ほんの一日前までは、全員バイタル良好でなんの問題もなく探索を続けられていたのに。
今では、自分一人だけだ。
怖い、怖い、怖い。
あまりに恐ろしくて、肩と腕に煩わしい重みをかけてくる機関銃を自分の頭に当てて引き金を引く妄想をしてしまう。
そうすれば、この孤独と恐怖から解放されるんじゃないかと。
そんな度胸など、自分にはないというのに。
自分はなぜこんなところに一人でいるんだ。
ほんの数日前まで訓練ばかりで退屈な、でも平穏な日々を送っていたじゃないか。
帰りたい。また皆と一緒に酒をかっくらって朝までバカ騒ぎをしていた休日に戻りたい。
なんで、自分だけが生き残ってしまったんだ。
異常次元探索部隊『粉体の雨』
それが、自分の所属しているチームの名前だ。
ベテラン歴戦兵士のサヴァイブ隊長。
屈強な体格で、荒っぽい性格だが戦闘になると頼りになるケビン先輩。
献身的でいつも適切なバイタル管理をしてくれる、メディックのサラ。
おっちょこちょいだが快活で、ムードメーカーの新米のエドワード。
そして特に取り柄のない、ごくごく平凡な自分を含めて計五人によって編成された、特殊異次元探索部隊。
……自分だけなんだかモブっぽい扱いだが、本当に特筆すべき点がないから仕方ない。クソ。
自分は、自分たちは例の『扉だらけの通路』の探索ポイントとして、『この場所』に繋がる扉を開いた。
他の扉よりも比較的空間が安定していることと、未知のエネルギー反応を確認したことが選ばれた理由だ。
そのエネルギー源を持ち帰り、実用化できるかどうかを調査するために送られたのが我々だった。
放射線などの反応はなく、ただちに人体に悪影響を及ぼすような毒物なども検出できず、安全に探索を進められると思っていた。
そのエネルギー源こそが、我々を脅かす即効性の劇物だということも知らずに。
扉の先は白い壁や床が見えて、どこかの建物の中のようだった。
例の『扉だらけの通路』に少し似ていたが、まったく別の空間であることを観測機器が示していた。
薄暗く視界が悪いこと以外は特に問題もなく、探索を開始する流れとなった。
今回の任務で成果を上げれば、特別報酬も出る。
それでなにが欲しいかなんて言い合って、和気藹々とした雰囲気のまま暢気に歩を進めていく。
油断していたのは、本当に最初の間だけ。
少なくとも、気の緩みから起きた悲劇はなかった。
なにせ、エネルギー源の反応へ続く通路を進んでいく途中で、乾いた血痕と思しき黒いシミや人骨といった『死』の痕を確認したのだから。
なにが『安全に探索を進められる』だ。
探索するのにこんな場所を選んだ上層部を呪いたくなった。
ピクニック気分で探索していたところにあんなものを見つけて以降、通夜のような空気のまま皆黙り込んでしまい、声に出すのは必要最低限の会話のみ。
今すぐに撤退したい気持ちを押し殺して、しばらく先へ進み続けた。
エネルギー源の反応があと数メートルというところまで近付いたところで、それは見えた。
どこもかしこも白く殺風景な通路が続く中に、出来の悪いコラージュ画像のように埋め込まれた黒い柱。
モノリス、とでも言うべきものだろうか。
それを見た後の自分たちは、決して迂闊な行動などとっていなかった。
直接触れたりはもちろんしなかったし、近付くことすらせず慎重にソレを観察しながら、どうするべきか本部に指示を仰ぐべく一旦帰投するつもりだったんだ。
『や、やっと帰れるんですね。あ~、怖かった。僕ぁ一時期どうなることかと思いましたよ……先輩、帰ったら今日はなんの酒を飲みましょうか……えっ?』
最初の犠牲者は、新米仲間のエドワードだった。
ようやく帰れるのかと安心したところに、黒い柱から勢いよくなにかが飛び出してきて、エドワードの首に纏わりついてきた。
それは、蒸気のように輪郭の安定しない白い腕。
その腕がエドワードの首を絞め上げて、身体ごと持ち上げていくのが見えた。
突然の事態に頭が真っ白になってしまって、何秒か呆然と立ち尽くしていた。
エドワードが目を血走らせながら見開き、首を絞めている白い腕をなんとかしようともがいているが、すり抜けてしまって触れることすらできない。
一番近くにいたケビン先輩が白い腕をエドワードから引き剥がそうと手を伸ばしたところで、ボキリ となにかが折れるような鈍い音が聞こえた。
決して大きな音じゃないのに、これまで聞いたどんな音よりも強く耳に響いた。
エドワードの頭が変な方向に傾き、首の内側から妙な突起が突き出していて、口から血の泡を噴き出して全身を痙攣させている。
ひとしきり身体を揺らし、白い腕が首を放した後に地面に転がって動かなくなった。
腹の底から絶叫を吐き出しながら、白い腕に向かって機関銃をぶっ放してやった。
恐怖によるものか、怒りにまかせての行動なのか自分でも分からなかった。
銃弾は確かに白い腕に当たっているはずなのに、すり抜けているようでまるで効いていない。
それでも撃ち続けた。後ろから隊長が跳弾がどうとか叫んでいるが、無視して銃弾と硝煙を撒き散らし続けた。
マガジン一つ分を打ち尽くしたところで、顔面に衝撃が走った。
錯乱した自分を正気に戻そうと、隊長が横っ面を引っ叩いたらしい。
隊長が自分の胸ぐらを掴み、顔を合わせながら『落ち着け』と怒鳴っているのが聞こえて、ようやく我に返ったのが自分で分かった。
背中を叩かれながら『帰還する、走れ』という指示を受け、元きた道を全員で走り始めた。
帰還用のマーキングを頼りに、ひたすら足を動かした。
足を止めればまたあの白い腕が自分たちに襲いかかってくるかもしれない。
息があがろうと足が痛もうと、気にせず走った。
数十分ほど走って、全員がフラフラになり始めたところで異変に気付いた。
階段の登りと下り、半開きになっている通路のドアや一つだけ割れている蛍光灯。
何度も同じ光景を走っている間に目にしている。
マーキングを書き仕損じたり、あるいは書き換えられている可能性を考えたが、違った。
ウネウネと通路が歪んで、形を変えていくのが見えた。
壁も床も天井もなにもかもが、暖炉で焼いたチーズのように溶けていく。
足元がおぼつかない状況で立ってもいられなくなって、ただ周りの景色が変わっていくのを見ていることしかできなかった。
ようやく立てるようになったころには、ここがどこかも分からなくなってしまっていた。
変わっていたのは、マーキングじゃない。
この建物そのものが、造り変えられていたんだ。
もうマーキングは当てにならない。
脱出するための帰り道が分からなくなってしまった。
本部に連絡しようにも、ここは自分たちの世界とはまったく違う次元らしく、GPSも繋がらない。
自力で脱出する以外に、自分たちが生きて帰るすべはない。
絶望が頭をよぎったところで、不意に誰かの笑い声が耳に入ってきた。
全員が顔を見合わせたが、笑っている者など一人もいない。
誰の声だ、と背筋に寒気を感じながら呟いたところで、ケビン先輩が自分の後ろを指差しながら悲鳴を上げた。
反射的に振り向くと、何十、下手したら何百もの人の顔が溶け合ったような『壁』がこちらに迫ってきているのが見えた。
苦悶、恍惚、怒り、悲しみ、嘲笑、まとまりのない感情をそれぞれの顔が浮かべている姿は、まるで地獄を煮詰めたクソッタレだ。
笑い声の主は、このバケモノか……!!
あまりに異常なモノを見て思考が停止してしまった自分を、ケビン先輩が力ずくで引っ張って足を動かさせてくれた。
先輩は『逃げろ』と叫びながら、自分を後方へ走らせるのと同時に、迫りくるバケモノをスタンロッドで殴りつけた。
だが、すり抜けた。
エドワードを殺しやがった白い腕と同じく、こいつもこちらから触れることができないようで、何度殴りかかっても掠りすらしない。
『このゴミクソイ×ポ野郎がぁぁああっ!!!』
罵声を吐き捨てながら何度も殴りかかる先輩に向けて、バケモノが巨大な大口を開け、グチャリ、と何かを踏み潰したような音とともに、ケビン先輩が喰われた。
自分は、バケモノの口の中で先輩が咀嚼されていくのを、走りながら見ていることしかできなかった。
それを恥ずかしいとも無念だとも思えなかった。
ただただそのバケモノから逃れることしか考えられず、走り続けた。
さらにしばらく走り続け、バケモノの追跡を逃れた先に木の板で補強されて閉じられている木製の扉があった。
こんなところを通った覚えはないが、他に道はない。
この先がどこへ繋がっているのかも分からないまま、それでも戻る選択肢は自分たちにはなかった。
なんとか木の板を剥がして扉の先へ進もうとしたが、突然隊長の腹から何かが生えてきた。
いや、違う。
隊長の背中から、タコの足のようなものが突き刺さり、それが腹を突き破って貫通したんだ。
どうやら他のバケモノに嗅ぎつけられたらしく、隊長がその餌食になってしまったようだ。
それを見て、サラが悲鳴を上げながら隊長へ向かって駆け寄ろうとしたが、『来るな』と厳しい表情と怒声で遮られた。
隊長は血を吐き咳き込みながらも、自分とサラに『扉から離れて、頭を守って地べたに伏せろ』と怒鳴った。
なにがなんだか分からないまま、反射的に指示に従い伏せると、扉のほうから爆発音が聞こえた。
爆発の直前、聞き覚えのある音がした。隊長の装備しているランチャーの射出音だ。
隊長は、腹を貫かれながら、それでも扉を破壊するためにランチャーを発射し、自分とサラを逃がそうとしたんだ。
爆風が静まり、顔を上げた時には既に隊長の姿はなかった。
……いや、正確には隊長のものと思われる血だまりとドッグタグだけが遺されていた。
隊長のドッグタグを拾いながら『進もう』とサラが告げたのに対し、頷き返した。
もう残ったのは自分たち二人だけだ。
隊長までロストしたとなると、任務は失敗したとしか言いようがない。
せめて、せめて自分たちだけでも生きて帰って報告しなければならない。
このクソッタレな場所のことではなく、彼らは最後まで抗って任務に臨んだ、ということを。
二人きりでロクに会話もせずに、いつしか手を繋ぎながら暗い通路を進み続けた。
互いの姿すらよく見えないが、この手に伝わる感覚がお互いの存在を証明してくれている。
戻っているのか進んでいるのかも分からないが、何もしないでいるよりは希望はある。
そう信じて、サラの掌越しに感じる体温だけを心の拠り所にして、足を進めていた。
どれくらい進んだのかも分からないくらい、長い、長い時間歩き続けて、ふと、気付いた。
サラの手から、握力を感じられなくなっていることに。
もう手を握り返す気力すら残っていないのかと思い『大丈夫か』と声をかけたが、返事はなかった。
長く暗い廊下を歩き続け、ようやく照明の点いている通路が見えてきた。
『もう少しだぞ、頑張れ』とサラを励ます声をかけても反応はないが、明るいところへ出れば少しは精神的に楽になるだろう。
廊下を走り抜け、ようやく自分の姿が確認できるくらいに明るい通路へと出ることができた。
その時に、気付いた。
……サラの二の腕から先が、いや、サラの肘から先以外が無くなっていることに。
自分は、いつからか、サラの腕を掴みながら、それを、サラと一緒に歩いていたのだと、錯覚して―――
その事実を自覚したところで、耐えられず嘔吐した。
サラの腕を持ち歩いていたこと、いつの間にか、いつ死んだのかすら分からないままサラは死んでしまったということ、もう自分以外誰もいないということ。
そして、自分もいずれ確実に死ぬだろうという予感に、気が狂いそうになった。
いいや、こんな目に遭ってもまだ正気を保っているということが、どれだけ絶望的なことだろうか。
明るい通路を進んだ先は再び暗い通路だった。
温存していたヘッドライトのバッテリーも、あとわずかで切れる。
暗闇は怖くない。死ぬことも、もう怖いのかどうかも分からなくなっている。
ただ、一人の孤独が自分の何かを蝕んでいるように感じる。
いっそ死んでしまえば、楽になれるのだろうか。
……自害する度胸など、自分にはないが。
一人当てもなく、何時間か何日かもわからない間も彷徨い続け、ついに、ついに終点へと辿り着いた。
終点といっても出口というわけではない。むしろ、逆だ。
『あはハハアハハはハハハハ!!』
『えへええええへへへへへへ、ヘヘヘッ!』
『ヒヒひっ、ひひヒヒゃハハはハはっ!!』
そこには、その場所には、エドワードを縊り殺した、白い幽霊がいた。
ケビン先輩を喰い殺した、顔だらけのバケモノが嗤っていた。
おそらく隊長を殺したらしき、触手の塊のような異形が蠢いていた。
そして……巨大な黒いミミズに人間の顔がついたような怪物が、サラの足をガリガリと貪っているのが見えた。
ここが、奴らの、巣なのか。
バケモノどもの集まる中心には、エドワードが殺された場所にもあった黒いモノリスが見えた。
モノリスをよく観察すると、バケモノどもとの間に白い糸のように繋がる何かがあることに気付いた。
まさか、あのモノリスが、バケモノどもを使役しているってことなのか……?
『アガガガガアハハハハアハジャアイウアジはャアハハハッ!!』
ぼうっとしながら眺めていたところで、バケモノの一体が自分のほうへ急接近してきた。
ケビン先輩を喰い殺した巨大な顔の集合体が、自分の頭を噛み砕こうと大口を開けて襲い掛かってくる。
抵抗は無駄だ。
ケビン先輩のように殴りかかったりしても、銃で撃とうとしてもすり抜けるだけ。
逃げようにも、退路は既に塞がれている。
詰みだ。
地獄に落ちろ、この、クソッタレの―――――
―――――――
―――。
『地獄に落ちろ、このクソッタレの××××どもがっ!!!』
目を瞑りながら悪態を吐き、死を待つのみだった自分の耳に、そんな下品な罵声が響き渡った。
思わず目を開けると、巨大な口を開けて自分を喰い殺そうとしていたバケモノが、さらに巨大で半透明な拳によって殴り飛ばされている光景が目に入った。
『あぎぎギギぃいいィいいィィいイッ!!?』
悲鳴を上げる怪物たちに向かって、何かが飛びかかっていく。
それは四人分の、部隊服を着込んだ半透明な人影だった。
一人はひたすら拳を振り回して、手当たり次第にバケモノどもを殴り飛ばしている。
一人は機関銃を構えるようなポーズをとり、引き金を引くと同時に銃声が響き渡り、バケモノどもを次々と撃ち抜いていく。
一人はランチャーを発射し、着弾した化け物は粉々になって消えた。
そして、最後の一人は自分の周りにいたバケモノどもをナイフで切り裂き、自分の手を握るような素振りをしながら、確かにこう告げた。
『あの黒い柱を撃ち壊して。そうすれば、あなただけでも生きて帰れるはずだから』
聞き馴染みのある、優し気な女性の声。
いつも怪我をしているエドワードや自分を励ましてくれていた、サラの声が確かに聞こえた。
『先輩! あの黒いモノリスが幽霊とかバケモノの心臓っぽいです! 多分僕たちがこうやってバケモノたちに干渉できるのもアレのおかげみたいですけどね!』
『あのクソッタレな黒光り××が奴らの弱点だ!! ぶっ壊しちまえっ!!』
『やれ! 任務を遂行しろ!!』
バケモノどもを蹴散らしながら、四人分の人影が自分に向かって叫ぶ。
自分も雄叫びを上げながら、モノリスへ機関銃をぶっ放してやった。
銃身が焼け付く勢いで、一心不乱に撃ち続けた。
数十発もの銃弾を受けて、モノリスが砕け散り、壊れた。
気が付くと、自分は例の扉だらけの通路へと戻っていた。
あたりを見回すと、他には誰もいなかった。
……自分だけが、生き残ってしまった。
『おい! 何があった! 『粉体の雨』、応答しろ!』
通信機から本部からの声が聞こえる。
……これまで全く繋がらなかったのに、ここへ帰ってきた途端にギャアギャア喚きやがって。
やかましい通信機に向かって、自分以外の四人がロストしたことと、今回の任務は失敗に終わったことを告げた。
直ちに帰投し、しばらく休むように言われ、通信が切れた。
……やっと休めるっていうのに、もう誰もいない部屋へと帰らなければならないことを思うと、虚しさが込み上げてきた。
もう何もかもどうでもいい。
いっそのこと、あそこで自分も死んでしまっていれば、彼らと一緒にいられたのかな……。
『おいおい、何言ってんだ。お前にゃまだやってもらうことがあるだろうが。俺らの分の報告書の提出とか』
そんなケビン先輩の呆れ交じりの幻聴が聞こえたが、余計に虚しさが増すばかりだった。
自分のやるべきことなど、帰投した後に詳しく報告という名の尋問を受けるくらいなものだろうに。
『いや幻聴じゃねーよ。いいから聞けよコラ』
『先輩、憂鬱なのは分かりますが元気出してください。そうだ、こんな時はパーッと飲みましょう!』
『私たちは飲めないけどね』
『報告が終われば、今後の我々の処遇についても考えてもらわねばならんな』
……?
……え?
呆けた頭にそんな声が聞こえたところで、自分の懐の中で何かが光っていることに気付いた。
それは、あのモノリスによく似た黒い石ころで、そこから四つの白い糸が自分の周りに伸びているのが見えた。
その後、生き残ったE君をリーダーとした幽霊部隊『気体の雨』が結成されて、今回のような非実体異常存在相手の切り札として運用されるようになったとかならなかったとか。
彼らがどこの世界のどんな組織の部隊なのかは不明。




