育児方針を決めるきっかけとなる反面教師
今回から時間が巻き戻り、基本はカジカワ視点で話が進んでいく予定
……でしたが、今回はアルマ視点からのスタートとなります。
ユーブたちが産まれる前、囚人たちの鍛錬が終わった直後くらいのお話です。
「どれだけ準備しても何か足りない気がするな……」
「不安なのは分かるけど、必要ない物まで買いすぎないようにね」
「うん、ごめん……てかもう手遅れかも……」
今日はヒカルと一緒に、出産前の準備のためにニホンでお買い物。
買い物ならパラレシアですればいい気もするけど、幼児用の遊具なんかはこっちのほうが品揃えがいいみたい。
赤ん坊の好みなんて分からないからいろんなものをついつい買い込んでしまったけれど、明らかに無駄なものまで買い始めているから注意しておいた。
……特にそのアスレチック組み立てセットは事故の元になりそうなうえにかさばるからやめたほうがいいと思う。
「でも、目移りするのも分かるくらいに品揃えがよくて驚いた。物の数も種類も段違いに多い」
「人口密度がエグいからな。日本は比較的小さな島国だけど、それでもパラレシアの大陸一つ分くらいの人が住んでるし」
「……どうやったらそんなに大勢住めるの?」
ニホンを訪れるたびに、その人の多さに圧倒されそうになる。
田舎町ですら立派な建物が当たり前のようにいくつも並んでいるし、都会になるとどうやって建てたのかすら見当もつかないほど高く巨大な建造物が数十、いや数百も並んでいた。
そしてその立派な建物がいくつあっても足りないくらいに、人の波が溢れているのを見た時には眩暈がしそうになった。
……魔獣も魔族もいないけれど、この世界はパラレシアよりよっぽど魔境じみているように見える。
「それはそう。俺もこっちで暮らしてた時から人混みに入るのは苦手だったし、眺めてるだけで息苦しい」
「うん、森の中でゴブリンに囲まれてるような気分になる」
「……鬱陶しいからって斬ったり蹴ったりしないようにね」
「しない、そんなこと」
……ヒカルは私をなんだと思ってるんだろうか。
むしろ極力接触しないように注意を払ってるっていうのに。
なにせ、今の私たちは少し勢いよくぶつかっただけでその人に大怪我を負わせかねないくらいにステータスが高いから。
実際、ヒカルにわざとぶつかってきて言いがかりをつけようとしてきた男の肩が本当に折れてしまったこともあったし。自業自得だけど。
「大体買うもの買ったし、どっかでメシでも食ってから帰ろうか」
「私はいいけど、ヒカルはどこか寄ったりしなくていいの?」
「いや、特に用事はないかな。……というか、下手にブラついてて知り合いに会ったりしたら気まずいし」
「? なんで?」
「いや、俺ってなんの前触れもなくいきなりパラレシアに転移したからさ、こっちじゃ急に消息を絶った行方不明者扱いなんだよね。特に元職場の人とバッタリ鉢合わせたりしたら……」
「それは仕方がないことだと思う。事故みたいなものだったからヒカルは何も悪くないし、気負う必要はない」
「うーん、でもなぁ……仮に俺が異世界に飛ばされたって話を信じたとしてもなお俺を責めてきそうな上司とかいたし、ぶっちゃけもうその人の顔を思い出すことも嫌なくらいなんだが。控えめに言って絶対会いたくない」
……ヒカルにここまで嫌われるって、いったいどんな人なんだろうか。
ヒカルは自分に対する中傷や悪意にはどこか鈍感な印象を受けるけれど、その彼にそこまで言わせるほどの人ってちょっと想像できない。
例のコーグップとかいう太った男爵みたいな人かな?
ニホンへ来るのは稀だし、どうせ食べるなら色々な店で食べたいということで、料理店を『はしご』することにした。
……こっちの世界じゃ複数の店を食べ進んでいくことをはしごと言うらしいけど、いまいち由来が分からない言葉が多い気がする。
『コトワザ』とかいう例え文もピンとこない言葉が多いけど、それを当たり前のように使っているニホンの人たちは、ある意味詩的な感性を持っているのかもしれない。
ヒカルからも多くのコトワザを教えてもらってて、その中でも『噂をすれば影が差す』という言葉が印象深かった。
『人の噂話をするとその本人の耳に入りやすい、あるいはその人がその場に現れることがあるから注意しなさいってことだ。現代風に言うといわゆるフラグの一種とも言えるな』とか言ってた。
……『フラグ』っていうのがそもそも分からないんだけど、割と心当たりがある言葉だから不思議だ。
「おい、おい! お前! 梶川か!!」
「……うわ、マジか……」
そう、ちょうどこんな具合に。
ヒカルを呼ぶ怒鳴り声がしたほうを向くと、スキンヘッドでいかつい顔をした小太りの男性が怒りの表情でこっちを睨んでいた。
名前を呼ばれたヒカルが、見たことないくらい苦い顔をしている。
……もしかしなくてもこの人、まさか……。
「梶川ぁ!! テメェ、急に蒸発したかと思ったらこんなトコほっつき歩いて何やってんだ!! おい!!」
「……ヒカル、この人は?」
「……さっき言ってた元上司」
やっぱり。そうだと思った。聞いてた特徴そのままだし。
外見の特徴よりもこの大きな濁声が特に耳障りだったって何度も言ってたけど、なるほど。確かに聞いてるだけで嫌な気分になってくる。
「テメェが勝手に消えやがったせいで、工場が潰れちまったんだぞ! 何十人もの人間が職を失ったんだ! どう責任取るつもりだ! あぁ!?」
「お久しぶりです、黒田工場長。急に失踪したことについては弁明のしようがありませんが、あの工場が潰れたのは数々の労基違反が原因では? それに―――」
「黙ってろ!! テメェ、何か言い返せる立場だと思ってんのか!? 工場にいたころは何も言い返せず俯いてペコペコしてただけのクズが、随分偉そうになったもんだなぁおい!!」
『人が何か言おうとするとそれを遮って、すぐに怒鳴ってまくし立ててくる』とも言ってたけど、本当に言ってた通りだ。
『だからこっちが何を言っても無駄だし、怒鳴り終わるまで黙って聞いてるのが一番早く終わってた』って。
「ヒカル、行こう。もうこんなのに付き合う必要はないし、時間の無駄」
「あ? なんだそのガキは? あー、あれか、パパ活ってやつかぁ? おい嬢ちゃん、やめとけやめとけ! こいつ、初めて出勤した日に母親がおっ死んで、それからしばらく休憩時間に隠れて泣いてるような、クソマザコンだぞ!」
……。
「仕事覚えさせるためにわざわざ時間延長して作業させる許可とってやったり、休日に仕事できるように面倒を全部オレが見てやったんだ。その恩を忘れてこんなふうに遊び惚けてるような奴に貢がせてもろくなことにならねぇぞ!」
「……さい……」
「一度でも逃げ出した奴は一生逃げ続ける負け組だ! このゴミはそんなクズ野郎なんだ! だから―――」
「うるさい」
「ガッ……!?」
「ちょ、おい?!」
いつまでも口から汚言を撒き散らす不快な男の首を締め上げて黙らせた。
虫唾が走る、というのはまさにこのことだと理解できた。
コイツの言葉を聞いているだけで、吐き気がしてくる。
ヒカルが慌てて止めようとしてくるけど、こればっかりは我慢ができない。
「あなたは人を悪く言うことしかできない、悪いように解釈することしかできない本当につまらない人間だっていうのが聞いてるだけでよく分かる」
「あ……が……!!」
「アルマ、駄目だって! 放すんだ!」
「あなたはこっちで働いていた時のヒカルしか知らない。ヒカルがこれまでどれだけ頑張っていたかを知らない。そもそも、彼がどれだけ頑張ってもそれを認めることができないんでしょ?」
「ぎ……ギ……!」
「そのくせ自分のしてきたことは美談みたいに誇らしげに語って、自己顕示欲だけは一人前。私、知ってる。残って仕事をさせていた時も、休みの日に働かせていた時も、ほとんどタダ働きだったんでしょ? それのどこが面倒を見てるって言えるの? 奴隷でも、もう少しマシな扱いを受けてる」
「アルマ!」
顔が青くなり始めた男を見て、ヒカルが焦ったように止めてくる。
……これ以上締め上げてるとうっかり縊り殺しかねないし、やむなく放してやった。
「うぇっ! ゲホッガホゴホッ! ……て、テメェ……!」
「口を閉じてないとすぐ大声で遮るから、相手の言うことをまともに聞けないんでしょ? ちゃんと最後まで話を聞いてどう思った?」
「お、オレにこんな真似して、タダで済むと思ってんのか!? 訴えられるだけで済むと思うなよメスガキが!! もうテメェらは終わりだ!!」
「……もういい。本当に時間の無駄だったっていうことがよく分かった」
「黙ってろやクソガキぁ!!」
激高した男が殴りかかってきた。
……絡んできたのはあっちからとはいえ、先に手を出したのは私だ。
殴られても全然痛くないだろうし、ここはおとなしくしておこう。
……!?
「うぎゃぁぁああ!!?」
「……ヒカル?」
と思ったところで、男と私の間にヒカルが間に入ってきて、代わりに殴られた。
もちろんヒカルは無傷で、殴った男のほうが悲鳴を上げて痛がっている。
拳の骨が折れたのか、青黒く腫れ上がっていく手を押さえながら悶えている男に向かって、ヒカルが口を開いた。
「……工場長。これでもあなたには感謝しています。サビ残やタダの休出を強制されていたことも、俺の分の残業食を工場長がとっていたことも、弁明の余地なく毎日怒鳴り散らしてきたことも、今の俺があるために必要なことだったと思えるので」
「うぐぐぐぐ……!! き、貴様ぁ……!!」
「そして今、こうしてあなたと再会できたことも、ちゃんと受け入れれば前へ進むための財産になるっていうことが分かりました」
睨みつけてくる男に目線を合わせて、最後に一言だけヒカルは告げた。
「子供が産まれたら、あなたみたいな人間に育ててはいけないということがよく分かりました。相手の言うことを押し潰し、権力をかさに暴言ばかり吐く理不尽な人間じゃなく、彼女のようにそういった相手に対して真っ向から立ち向かえる子になれるよう、これから大切に育てていこうと思います。本日はこうしてお会いできて本当に良かった。……ありがとうございます」
男に向かって頭を下げながらそう言って、何事もなかったかのように私の手を取りながら歩き始めた。
その顔は、これまで見たことがないほど、すごく清々しい表情をしているように見えた。
「梶川ぁぁぁああ!! 許さねぇ!! テメェとそのクソガキは絶対に許さねぇっ!! もう二度とまともに生きられねぇようにしてやる!! 二度とだ!! 死んだほうがマシな目に遭わせてやる!! 覚えてろっ!!!」
後ろから遠吠えを叫ぶ男を尻目に、再び街中へと歩き出した。
その最中、ヒカルがこちらを見ているけれど、どうかしたんだろうか。
「……アルマ、ごめんな。言われるままでいたせいで、あんなことさせちまって」
「私がやりたいからやっただけ。ヒカルが気に病むことなんて一つもない。それに……」
「? それに?」
「……ううん。お腹空いたし、早くご飯食べよう。最初は麺類が食べたい」
「ん、そうか。ちょっとオシャレな店でパスタとか食べようか?」
「できれば、あのラーメンっていうのがまた食べたい」
「……気に入ったのか。吉良さんの店のラーメンは確かに美味かったけども」
それに、ダイジェルでフィフライラたちに貶されていた私を庇ってくれたお返しがようやくできた。
あの時のことは、今でもずっとずっと感謝してる。
だからこれから先、彼にどんな悪意が襲い掛かってきたとしても、鈍感なヒカルに代わって私が怒ろう。
そしてそんなふうに、大切な人のために力を振るえるような子たちに育てていこう。
~~~~~
「く、くくくっ、見ていろクソガキども、テメェらなんかオレからすれば世間知らずのガキに過ぎねぇんだよ……!!」
ヤクザの事務所で待ち合わせの最中、思わず笑みが零れた。
あのゴミ野郎が今後どんな目に遭うかを想像すれば、折れた手の痛みもまるで気にならない。
せいぜい後悔しろ恩知らずのクソが! 両手足を潰してダルマにしてから目の前であのメスガキをグチャグチャのズタボロになるまで犯してやる!!
しばらく待っていると、組長らしき男が部屋に入ってきて上座に腰かけ、煙草を吸いながら問いかけてきた。
「黒沢さん、でしたか。随分と大金を持ち込まれたようですが、よくそんなに稼ぎがありましたね」
「ああ、前に勤めてた工場の金をちょーっと横からな。こういったボーナスも無しに言われるままヒーヒー働く奴なんざバカさ、はははっ!」
「……ちなみに、今回報復したい相手というのは?」
「その工場が潰れる原因になったクズだ。アイツさえいなけりゃもっと長く搾り取れただろうに、クソっ! いいか、殺すな! アイツはオレが直々に死ぬまで嬲り倒してやる!!」
「まああなたの勤めていた工場がどうとかはともかく、恨みがあるのは充分に伝わりました。それで、その相手の名前は?」
「『梶川光流』っていうクソ野郎だ! さんざん手塩にかけて育ててやった恩を忘れて逃げ出しやがったゴミクズだ!! あいつが住んでたアパートの住所と、実家の居酒屋の場所がここだ。調べればすぐに分かるだろうから、アイツを捕まえてきてくれ!」
「ほほう、それはそれは……」
……?
梶川の名前を出した途端に、しかめっ面だった組長が破顔した。
不自然なほど穏やかな笑顔で、周りに座っていた取り巻き連中もその様子に引いた様子で見ている。
「つまり、あなたは梶川光流に報復をするために、ここまでご足労なさったということでよろしいのですか?」
「そうだ!! あいつもその隣にいたメスガキも、絶対に許さん!! グチャグチャになるまで甚振ってから、殺してやる!!」
そう告げたところで、組長が立ち上がった。
ふん、やっと重い腰を上げたか。金は払ってやるから、さっさと捕まえてこいってんだ!
「事情は分かりました、よぉく分かりましたとも。この如月天真、たしかにあなたのお話を拝聴いたしました」
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「おう、天真か。今夜も飲みにきたんか? ……なんや、えらく上機嫌やのぉ」
「ええ。昨日から今日にかけてやっていた汚物掃除が済んだもので、実に清々しい気分です」
「まったく、こないだあんな騒ぎ起こしときながらこんなとこまで足しげく通いおって。別にええけどな」
「ここなら、いつか光流と会えるかもしれませんからね。昨日は忙しくてこれませんでしたが」
「そりゃ残念。昨日はたまたま顔を見せに来とったのに」
「な、なんですとぉぉぉおお!?」
「あーあーあー……間が悪いのも相変わらずやね、テン君。しっかし、テレビも面白いもんなんもやっとらんねぇ。ニュースしかやってないわぁ」
『本日未明、●×市病院の前に全身に大怪我を負った男性が倒れているのが発見されました。命に別状はありませんでしたが、意思疎通が困難なほどの怪我を負っており、現在心神喪失状態にあるとのことです。何者かによって拷問されたようなあともあり、警察が捜査を進めて――――』
※この物語はフィクションです。
作中の登場人物や描写は現実世界の人物・場所・筆者の上司などとは一切関係がありませんのでご了承くださいませ。




