前へ進むため踏み外す
「……は?」
僕を殴り殺そうとした男が、ひしゃげたバットを握りながら呆けたような声を漏らしている。
何が起こったのか、いつの間にかバットを振るった男と僕の間に誰かが入り込んできていた。
それは黒いスーツに黒メガネをかけた、中年の男性だった。
「……はぁ~……めんどくさ」
溜息を吐きながら、心底うんざりとしたような表情で佇んでいる。
サングラスを着けていても優し気な顔が隠せないくらい、穏やかな顔つきをしているのが分かる。
「……誰だ、お前? どっから出てきやがった?」
「おいオッサン、何邪魔してんだテメェ! テメェも死にてぇのか! あぁ!?」
急に現れた男性に対して周りの連中が凄んでいるけど、正気かな?
まず金属バットをあんなグニャグニャにひしゃげさせてる時点で、まともな相手じゃないことぐらい分かるだろう普通。
『舐められたら終わり』だなんて思考が最優先されてる単純な頭でいられて、逆にうらやましいね。
「おいオッサンよぉ、オレたちぁ極道だぞ。仕事の邪魔するってこたぁ、ケジメつける覚悟はあるんだろうな、あ?」
「極道ねぇ。……どこの組のもんだ?」
「あぁ? 三佐だよ、三佐組。ほれ、これが見えんか?」
ニヤニヤと笑いながら、男の一人が『三』と彫られた金バッチを見せびらかした。
他の男たちも襟をつかんで同じバッチを見せつけている。
……うーん、なんだか先の展開が読めてきた気がするなぁ。
「今なら財布でも置いてきゃ見逃したるわ。ほれ、さっさと出さんかい!」
「あーはいはい、もう分かったよ」
「へぇ、物分かりがいいなオイ。どれ、どんだけ持ってるか……え?」
黒いスーツの男性が取り出したものを見て、男たちが固まった。
懐から出てきたのは財布ではなく、『一二三 梶川』と彫られた金バッチだった。
「三佐組なら随分前に一茶組と統合してるぞ。今は『一二三組』って名前になってる」
「ひ、一二三……?」
「一二三組は人身売買・薬物・売春なんかの商売は厳禁としている。特に女子供に手ぇ出したりなんかしたら、エンコ詰めるぐらいじゃ済まんぞ」
……あーあ、やっぱりか。
顔つきはともかく、黒メガネに黒スーツってどう見てもカタギのそれじゃないし。
わざとらしいくらいにヤクザの風貌だよねこの人。
「なぁ、お前ら三佐組の名ぁ騙って何してやがった……?」
「いっ……!?」
「やべぇ……!」
「に、逃げるぞ! ホンモノなんかに関わってられるかよ!」
低く重い声で問いかける黒スーツに、全員がビビッて逃げ出した。
僕に対してもヤクザだ極道だって脅してきたくせに、蓋を開けてみればただのチンピラだったわけか。
「極道騙っといて逃がしてもらえると思うな。とりま全員寝てろ」
「がはっ?!」
「ぎっ!」
「ぐぉっ!?」
何が起こったのか、チンピラたち全員が何かに殴られたかのようにのけぞって地面に倒れた。
麻酔銃? いや、発砲音は聞こえなかったし、何かを構えてる様子もなかった。
……最近のヤクザは超能力でも使えるのかな。怖いなぁ。
地面に突っ伏して動かなくなったチンピラたちを尻目に、黒スーツがこちらに歩み寄ってきた。
僕も同じように殴り飛ばされるのかな。まあどうでもいいけど。
「あの子が会いたがってたのはお前か。随分と手ひどくやられたな」
「やったのはさっきの子だけどね。すごい力だったよ。人生で一番痛かったかもしれないな」
「……それはさておき、少し話をしようか。すぐ終わるから、まあ付き合え」
殴ったのがさっきの子だと告げると気のせいか少し気まずそうに顔を逸らしつつ、話題を振ってきた。
このヤクザさん、いきなり出てきたのはいいけれどなんのために来たんだろうか。
三佐組の名前で悪事をはたらこうとした僕らの制裁かな? それとも……。
「いいけど、多分僕からは何も聞き出せないと思うよ。僕はお金になるから付き合えって誘いに乗っただけのクズだし」
「んなこたぁどうでもいい。まず、質問に答えろ」
「はいはい。何が聞きたいの?」
「『野山典子』って名前に聞き覚えはあるか?」
「っ……!!」
思わず目を見開いてしまった。
目の前の男が発した名前を聞いた途端に、さっきまでどこかぼんやりとしていた思考が急速に冴えていく。
ついひと月前に突然姿を消した典子さんの名前を、なぜこの男が……。
「その顔、予想はしてたがどうやら図星みたいだな」
「彼女を知ってるのか。……どこにいるんだ」
「もういない」
「……え」
「野山典子さんはもういない。メモ以外には、これくらいしか残ってなかった」
男が持っていたカバンから、ガラスでできた赤い花のようなものを取り出した。
それは、その髪飾りは……!
「野山さんが身に着けていたと思われるものだが、覚えは?」
「なんで、アンタがそれを持ってるんだ……!」
男が取り出したのは、僕が典子さん、ノノさんにプレゼントした髪飾りだった。
ノノさんのためにオーダーメイドした特注品で、同じものは二つと存在しない髪飾りを、なぜ……?
……まさか、この男がノノさんを……!
「野山さんは事故死していた。周囲の魔獣、いや動物が野山さんの遺体をほぼ一掃していたからか、持ち物は装飾品くらいしか残っていなかったんだ」
「なんで事故死だなんて言い切れるんだ……! アンタやアンタのお仲間が彼女をさらったんじゃないのか!?」
「……一応、コレも渡しておく。書いてあることが荒唐無稽すぎてなんの保証にもならんだろうが、お前さんが持っておくべきだと思うからな」
「……?」
髪飾りと一緒に、古ぼけた手帳を渡してきた。
手帳の中身を読むと、ノノさんが書いたと思われる日記が記されていた。
日記の内容は、男の言う通りおよそ現実味のない滅茶苦茶な内容だった。
『目が覚めたら扉だらけの通路にいた』だとか、『扉の先は異世界に繋がっていた』だとか、まるで夢日記のような狂気の沙汰だ。
……読むに堪えない馬鹿馬鹿しい内容なのに、なぜか手帳を捨てることもせず読み続けている自分に疑問が浮かんできたところで、最後のページを見た。
『旭へ。もしも君がこれを読んでいて、その時に私が死んでしまっていたら謝らせてほしい。君を残して先立つ私を許してほしい』
『短い間だったけれど、君は数えきれないくらい素敵な思い出を贈ってくれた。君からもらった髪飾りは、今も身に着けている。私には少し派手すぎる気もするけれど、これは一番の宝物だから』
『できるなら、もう一度会って直接伝えたいことがある。しかし、現状を見るにおそらく生きて帰るのは難しい。だから、ここに書き遺しておこう』
『旭、君は、私にとって生きる希望だった。君との時間は、何よりも幸せに満ちた時間だった』
『孤独な私の傍にいてくれて、素敵な思い出をくれてありがとう』
『ありがとう、旭』
「なん、で……」
そこに書いてあることが、さっきの子が別れ際に言い残したことと一致していることに気付いた。
いや、まさか、ありえない。
なにより、目が違ったじゃないか。
彼女はもっと、孤独で愛情に飢えた目をしていた。僕と同じで、誰かと『二人』になろうとしている人間の目だったじゃないか。
さっきの子は、愛に満たされた目をしていた。僕ともノノさんとも違う目をしていた。
外見も年齢も、それどころかおそらく日本人ですらないはずなのに、でも、どうして……?
「それを読んでどう思うかはお前さん次第だ。俺が細工して用意した下らんデタラメだと言うならそれでいいし、気がふれた野山さんが狂ったまま書き遺したものだと決めつけてもいい」
「嘘だ……でも、なんで……え……っ?」
混乱したまま呆然としながら背表紙を見ると、一緒に入ったゲームセンターで撮ったプリクラが貼ってあることに気付いた。
ツーショットで撮った、照れた顔のノノさんとへらへらと笑っている僕の顔が写っている。
それを見て、これは本当にノノさんが遺したものなんだということが分かった。
一か月前から急に連絡が取れなくなって、街を探してもどこにもいない。
どれだけ探してもどこにもいないから、彼女は僕を捨ててどこかへ行ってしまったんだと思っていた。
捨てられたと思い込んで、ガラにもなく泣いて、泣いて、最後にはもうどうでもよくなっていた。
『彼女なんて暇つぶしの道具に過ぎなかった』と思い込んで、クズになりきって生きなければ耐えられなかったから。
それが、なんだ。なんなんだよ。
今更になってこんなものを遺して、僕にどうしろっていうんだ。
「お前が野山さんと別れた後に何があったのかなんて俺は知らないし、お前と恋人だったくらいの情報しか分からん。でも、誘拐まがいのビジネスに手を出したお前にどう思うかは想像に難くない」
「っ……」
「今のお前を見て、野山さんがどう思うかはお前さんが一番分かってるだろ」
『……どうか、これからはこんなことはやめて真っ当に生きてほしい。旭ならできるはずだから』
あの子の最後の言葉が、ノノさんの言葉だとはっきりと理解できた。
理屈じゃない。科学的でも合理的でもない馬鹿馬鹿しい妄想かもしれないのに、彼女が、と確信できた。
「……ノノさん…………アンタ、あの子のこと―――」
目の前の男に、ノノさんを知っているならもう一度会わせてもらえないかと頼もうとしたけれど、まるで誰もいなかったかのように消えてしまった。
男だけじゃない。どういうわけか周りにいた誘拐犯たちもいつの間にかいなくなっていた。
残ったのは、青痣だらけの僕とノノさんの遺書、そして彼女の髪飾りだけだった。
そうなって、ここにきて初めて、ノノさんはもういないんだっていうことの実感が持てた。
真っ当に生きろなんて言われても、どうすればいいのか。
……ひどいな、ノノさんは。言いたいことを言うだけ言って、満足してどっか行っちゃうんだから。
ごめん、ノノさん。
前を向く前に、もう少しだけ俯いていることを許してほしい。
君がいないことをちゃんと受け入れて前に進むには、僕には時間が必要みたいだから。
僕も真っ当に生きていれば、君みたいに孤独じゃなくなる日が来るのかな。
ちゃんと立ち直れたのなら、その時にはきっと……。
帰る途中、細工していた段差で足を踏み外し、そのまま転んで足の骨が折れた。
……しばらく入院して、退院するころには色々と持ち直せているだろう。多分。
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「はい、こいつらがこのへんで三佐組の名前使って誘拐まがいの事件を起こしていた連中です。組長、後はよろしく」
「……別に構わんが、来るなら前もって連絡くらいしてくれ」
「いや『いつでもいいからまた来い』って金バッジ渡しながら言ったのは組長でしょ。ご丁寧に金無垢の手彫り章なんか用意してドン引きなんですけど」
「お前と会えるなら金バッジなんぞいくらでも作るさ。それよりどうだ、この後に池田の居酒屋で一杯ひっかけに行かないか?」
「……お茶でよければ。明日の朝には帰らないといけないので」
「よし、そうと決まればさっさとこいつらを処理して行くとしようか! ところで、お前の子供たちはそっちでは何歳になった?」
「あー、今のところは14歳ですね。写真見ます?」
「どれどれ。おお、大きくなったな。特にこの唯を思わせる茶髪の子がおしとやかそうで美しい……!」
「あ、その子は義妹なんで別に俺と血縁ないですよ。しかも最近じゃ色々と拗らせてるっていうか歪み始めてるっていうか……どうしてああなった……コワマスじゃあるまいし……セレネちゃん逃げてマジ逃げて……」
「……なにやらたそがれているようだが、愚痴なら付き合うぞ。ほら、早く行こうか」




