本当にやりたかったこと
穏やかな顔のままで、私に相対する旭。
まるで世間話でもしているかのように肩の力を抜いて、カフェオレを啜ってから口を開いた。
「ふぅ……やっぱり急ぎすぎたかな。やっぱり、今日会ったばかりの相手から手渡された飲食物なら疑うのも当然か」
「……眠らせて、私をどうするつもりだったんだ?」
「あー、勘違いしないでね? 別に僕が何かするつもりじゃなかったから。君、若すぎるし」
……眠ってる間に手を出したりするつもりではなかったようだ。
しかし、周囲を見渡す限りでは、ろくでもない目的があったことには変わりがないだろう。
いつの間にか、ガラの悪い連中がニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべながら私たちの周りに集まっていた。
チンピラか、ヤクザか。どちらにせよ、まともな商売をやっている奴らではないだろう。
「ただ、眠ってる間にちょっとお話しできるところまで連れて行ってもらって、そこからはこの人たちの言うことを聞いてもらえれば、それでおしまいだったんだけれどね」
「……何が目的だ。君は、いつからこんなことをしているんだ?」
「一応、今回が初仕事……になるのかな? 彼らに手ごろな女性を引き渡すお手伝いをする代わりに僕はお金をもらうついでに次の子とのデート代を手に入れて、それを元手にまた次の子とデートを楽しんでから彼らに引き渡す~って流れのビジネスなんだけど」
「要するに、誘拐の片棒を担いでいるわけか」
かつての恋人が誘拐犯の仲間入りをしていることに、ショックよりも納得を覚えている。
……『かつての私の最期』のことを思い出してから、彼に強い不信感を抱いていたから。
「あの階段で足を踏み外しやすいように、微妙に細工してあったのも君の仕業か?」
「そこまで気が付いていたのか……うん、注意していないと転んでしまうように、ちょっと留め具の角度をいじっておいたんだ」
「それはいつ?」
「君が展望台へ登ってすぐだよ。街で見かけてから君をずっと見ていたんだ」
「『いい金になりそうだ』と?」
「……まあ、ね」
気まずそうに顔を逸らす彼を見ていると、酷く歯がゆくなる。
今更そんな顔をしてなんになる。罪悪感でも覚えているのか?
「おい、いつまでベラベラ喋ってる気だ?」
「もうバレたんだろ? ならさっさと拉致って退散しようや。騒がれて人が集まってきたりでもしたら面倒だ」
会話を遮って、周囲を囲む連中が私に近寄ってくる。
口を塞ぐのに都合の好さそうなサラシや、手足を縛るためであろう縄を見せびらかしながら、複数人で私を取り押さえようとしているようだ。
こうなることも、予想していた。
護身用に持たされていた『能力値強化薬』を呷って臨戦態勢へ入り、構えた。
「おら、騒ぐんじゃねぇぞ! デカい声出しやがったらテメェのツラ―――」
「触るな」
「あ? ほぐぁっ!?」
私の腕を掴みながら脅しをかけてきたチンピラの体をそのまま持ち上げて地面に叩きつけた。
軽い。成人男性一人分の体重とは思えないほど容易く投げ飛ばすことができた。
……これが梶川さんに持たされた薬の効果か。我ながら凄まじい腕力だな。
「……おいおい、こいつただのガキじゃねぇのかよ……?」
「麻酔銃出せ! さっさと眠らせるぞ!」
「押さえつけとくから、その間に撃て!」
今投げ飛ばした男を除いて、残り5人。
一人が麻酔銃を構え、他の男たちが私を拘束しようと群がってくる。
「シッ!」
「あぐぁっ!?」
「ぐへぇ!?」
一人目は顔面に正拳を叩き込み、二人目は頭に肘打ちをお見舞いしてやった。
その隙に3人目が私に体当たりを仕掛け、さらに4人目が足にしがみついてきた。
「ふんっ!」
「がはっ!!」
「何してる、早く撃てぇっ!!」
「っ!」
突進してきた男を殴り飛ばしたところで、麻酔銃の引き金を引かれた。
避けようとしたが、足を押さえつけられて身動きが取れない。
狙いは胴体。下半身が動かなければ避けられない。
ダメだ、当たる……!
「……え?」
麻酔弾が当たる寸前、キン、と小さく金属音が響いた。
カラカラと地面に麻酔銃の弾が転がっている。
……弾が、何かに弾かれた?
財布の中の硬貨にでも当たったのか? いや、財布はバッグの中のはずだが……。
いや、それどころじゃない。
また麻酔銃を撃たれたらまずい、さっさと潰してしまおう。
「いつまでしがみついてる気だ、離れろ!」
「ひっ!? ぎゃぁああ!?」
「へぐぁあっ!!」
私の足にとりついたままの男を引き剥がし、そのまま麻酔銃を構えていた男に向かって投げ飛ばして衝突させた。
力技のゴリ押しだったが、どうにか周囲の取り巻きたちを全滅させることができた。
「すごいな。その細腕でよくまあそこまで暴れられるものだね」
「……随分と余裕だな、旭。まさか自分ならどうにかできるとでも?」
「いいや、全然。もうどうしようもないよ、僕らの負けさ」
いつものように、優しい笑顔のままで自分たちの敗北を認める旭。
微塵も動揺しているように見えないその姿に、酷く異質なものを見るような感覚を覚えた。
「……女子供を誘拐しようとした報いを受ける覚悟はあるか」
「好きにすればいいさ」
「……なら、遠慮なく」
「っ! ……かはっ……!」
旭の腹に向かって、思いっきり拳をブチ当てた。
その一撃で肺が吃驚したのか、呼吸がか細く息苦しそうなものへと変わっていく。
それでも、旭の顔は優しい笑顔のままだった。
「もう、終わり、かな……?」
「っ! 君は、旭は、旭にとっては、大事な人はいないのか!? 君にとっては女なんて暇つぶしの相手にしか過ぎないのか!!」
前世の私が最後に見た光景。
ライオン型の魔獣に喉を食いちぎられ、出血多量で死ぬ寸前だった。
それは、霧の魔獣が旭の姿へと変わり、私を見下ろしている姿。
『なんで急にいなくなっちゃったのさ。そんなに僕との関係は退屈だったかな? まあいいや、お前なんかどうせ暇つぶしの道具に過ぎない存在だった、ってことで納得しとこうか』
最後にそれだけ告げて、私の首を絞めて殺した。
梶川さんが言うには、あれは知人の姿を模倣する偽物に過ぎない存在らしいが、心までしっかり再現されたものなので実質本人と会話しているのと何も変わらない感覚で話しかけてくるらしい。
つまり、あの時の言葉は紛れもなく旭の本心だったということだ。
今更になって、旭の顔を直接見て、やっと思い出した。
「私は、旭のことが好きだった。君は孤独な私を嘘でも励ましてくれた。君との時間は本当に、私にとっては救いだったんだ……!」
「……孤独、ねぇ。そういう割に、君は、あんまり寂しそうに見えないけれど、違う?」
「……!」
旭が好きだったという想いと、それを裏切られた思いがぐちゃぐちゃに混ざって整理がつかないまま喚いていると、旭が口を開いた。
殴られて苦しそうにしていた息を整え、脂汗をかきながらも笑顔で言葉を続けている。
「孤独な人ってさ、今の君みたいに大事な部分が満たされた顔なんてできないものなんだよ。自分じゃ分からないのかな?」
「私のどこが満たされてるように見える……! 今すぐお前を殴り殺してやりたいぐらい、はらわたが煮えているんだぞ!」
「裏切っていた相手にちゃんと怒ることができるくらい、満たされてるんだろう? 本当に孤独な人なら、裏切られた時にはもう悲しくて悲しくて、怒る前に泣いちゃうんだよ。泣いて、泣いて、ただひとしきり泣いてから、恨んだり怒ったりしながら自分を慰めるのさ。よぉく分かるとも」
「黙れ!!」
口の減らない旭の顔をぶん殴った。
倒れた旭に馬乗りになって、何度も何度も華のある優し気な顔が青痣だらけになるまで殴り続けてやった。
それでも、旭は笑顔を崩さなかった。
「……満足、した、かな……?」
「うるさい……!」
「なら、早く、行ってくれないかな。顔が痛くて、仕方がない。早く冷やして、休みたいんだ」
「地獄に落ちろ!」
頭を叩き潰してやろうと、拳法スキルの『魔拳』を発動して殴ろうとした。
拳が当たる寸前まで、なおも旭は笑顔のままだった。
「ストップ。やりすぎですよ」
「っ!?」
振り下ろした拳を、誰かが止めた。
コンクリートくらいなら容易く砕けるほどの拳を止めたのは、私よりも小さな細腕。
まるで忍者を思わせる黒ずくめの装束を身に纏った金髪で小柄な少女が、前触れもなく私の傍にいることに、拳を止められて初めて気が付いた。
「お取込み中に失礼。カジカワさんからあなたの様子をうかがうように任されたものです」
「何……?」
「極力干渉しないようにするつもりでしたが、人死にが出る事態に陥るのは絶対に防止するように言われていましたので、やむなく止めさせて頂きました」
「っ……離せ!」
力ずくで振りほどこうとしたが、ビクともしない。
強化薬で300近くまで上がった筋力でも、まるで通じない。
それどころか、私の腕を握りつぶさないように気を使われているのが分かってしまうほどに、圧倒的な強さをこの少女から感じる。
「私にはあなた方の関係など何も分かりません。しかし、ここでこの人を殺すのは間違っていることくらいは分かります」
「部外者が知ったような口を利くな! 何も知らないのなら消えろ!」
「……この人と再会して、あなたがしたかったのはこんなことなんですか?」
「……!」
怒るでもなく、ただ悲しげな眼で見つめる少女に、思わず息を呑んだ。
外見は私よりも小さく幼い少女だというのに、ひどく大人びた眼差しに気圧されてしまう。
「信じていた相手に裏切られて許せない、だから怒りのあまり手が出るのは当たり前です」
「……」
「でもこの人に対して本当にしたかったことは殴ったり殺そうとしたり、そんなことじゃないことぐらいは分かります」
『お前に何が分かる』と声を荒らげそうになったが、なぜか声が出なかった。
目の前の少女から感じる謎の説得力からか、……それとも、図星だからか。
「この人を殺すのが、あなたが前へ進むのに必要なことだというのであればもう止めません。カジカワさんには私から事情を話して納得させます。……でも、どうか後悔のない選択をしてほしい」
「私は……」
「今一度振り返ってみてください。あなたがこの人に本当にしたかったことはなんですか?」
今さっき会ったばかりの少女の言葉が、いやに私の心を打ち付けてくる。
拙い言葉による口車に乗せられるように、旭へ向けて自然と私の口から言葉が発せられた。
「……旭、君は、私にとって生きる希望だった。君との時間は、何よりも幸せに満ちた時間だった」
「……海外の子は言うことが大げさだね。たかが一回デートしたくらいでそんなに感動できるんだからうらやましいよ」
前世のことを言われても、何のことだか分からないだろうがそれでいい。
旭に私の本意が伝わらなくてもいい。
これは、ただの自己満足なんだから。
私の言うことに対し、呆れたように苦笑いしながら皮肉を言う旭を無視して、言葉を続けた。
「ありがとうって、言いたかった。一人だった私の傍にいてくれて、同じ時間を過ごしてくれて。君がくれた、もう失くしてしまった髪飾りも、最期まで私にとっては一番の宝物だった」
「……なんの話かな? 人違いだろう。覚えのない贈り物の思い出を語られても困るよ」
「分からなくていい。私はずっと、君にありがとうって言いたかった。ただそれだけのために、日本へ帰りたかったんだ。……こんなふうに殴ったり喚いたり、殺してやろうだなんて思っていなかったのに」
馬乗りの状態から立ち上がり、いまだ地面に倒れたままの旭を見下ろしながら、最後の言葉を伝えた。
「……どうか、これからはこんなことはやめて真っ当に生きてほしい。旭ならできるはずだから。私から言いたいことはそれだけだ。……さようなら」
伝えるべきことを全て話し、旭に背を向けて歩を進めた。
彼がどんな顔をしているかは、もう分からない。
旭からすれば、好き放題に言いたいことを言うだけ言って去っていく意味の分からない女にしか見えないだろう。
それでいい。
もう私はこの世界の人間ではないのだから。
私がしたかったのは、旭へ『素敵な思い出をありがとう』と伝え、この世界とともに別れを告げることだったんだ。
……今の世界で、前を向いて生きていくために。
でも、もしもまたかつてのように恋人としていられたのなら、と思わなくもないが、もういい。
もう、いいんだ。
ありがとう、旭。
そして、さようなら。
展望台から降りる途中で例の細工された段差で足を踏み外してすっ転んでしまった。
……強化薬の効果が残っていたから大きな怪我はしなかったが、死ぬかと思った……。
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階段を下っていく途中で、派手に転ぶような物音と悲鳴が聞こえた気がした。
細工されてることを忘れていたみたいだな。……もう、どうでもいいことだけど。
「いたた……随分と好き放題殴ってくれたものだねホント」
顔を拭うと、鼻血や切れた唇から漏れた血でベットリと手が汚れた。
おそらく顔中が内出血で青痣だらけになっているだろう。
まあ、それもどうでもいいんだけどね。
しかし、変な子だったな。
街を一人でふらついているのを見つけた時には『手ごろそうな子だ』と思ったけど、いざ確保しようとしたらこの有様か。
いや、正直に言うと、なぜあんなに目が惹かれたのか自分でも分からないんだけれど。
街を回ってるときは妙にかしこまった口調だったのに、こちらの目的がばれた途端にクールな口調へと切り替わっていたな。アニメの影響かなにかかな?
それはまるで『あの人』を思わせる口調や仕草だったけれど、あの人と違って満たされた目をしていた。
最後に訳の分からないことを言い残してどっか行っちゃうし。
僕は君に髪飾りなんか渡してないだろう? 意味が分からないよ。
「よぉ、目が覚めたかよクソガキ」
……さて、周りの人たちも目が覚めたみたいだね。
体を起こすと、今回の誘拐計画に参加した連中が、僕の周りを囲んでいるのが分かった。
全員が僕を睨みながら、今すぐ殺してやると言いたげに指を鳴らしている。
「ちっと顔がいいからってテメェにナンパ役なんざやらせたのが間違いだったぜ。あんなじゃじゃ馬引っ張ってきやがって」
「その顔じゃあもうしばらく使いもんになんねぇだろ。もういいよお前、死ねや」
「最後に言い残すことがありゃあ聞いてやるぜ? 聞くだけだがなぁ」
……ははっ。
いいなぁ、うらやましい。
この人たちみたいに、誰かと一緒に怒ったり笑ったりできれば、僕もそれでよかったのになぁ。
「どうでもいいよ」
「あっそ。じゃ、死ね」
バットを思いっきり振りかぶって、僕の頭に振り下ろしてきた。
あー、これは死んだな。
まあいいや、どうせこれ以上生きててもつまんないし。
『……どうか、これからはこんなことはやめて真っ当に生きてほしい。旭ならできるはずだから』
あの子が最後に言い残していった言葉が、なぜかリフレインした気がした。
ごめんね、もうそんな時間も権利も、僕にはないみたいだ。
さよなら。……ああ、あの子の名前、なんだったっけ?
ぐしゃり、と音を立てて、潰れた。
僕の頭じゃなくて、振るわれた金属バットが。
「……は?」
ちなみに麻酔銃の弾を弾いたのは影の中でずーっと出歯亀していた金髪忍者中年幼女の仕業だったり。




