かつての日常の残滓
扉の先にあったのは、どこかの施設。
『異界探索用室。許可なき者は開くべからず』と日本語で書かれている注意書きが貼られた部屋を抜けると、作業服や白衣を着ている人たちが駆けつけてきた。
「止まれ! いったい何者……ってまたアンタかよ」
「どーも、久しぶりだな堀野」
「いや久しぶりって、昨日会ったばかりだろ」
「俺にとっちゃ数か月前の話なんだよ。……相変わらず21階層の扉を通ると時間のつじつまが合わなくてややこしいな……」
「つーかクソガキ呼ばわりしてるけど、オレはもう酒も飲める歳だって……ん? その子は?」
「元日本人の転生者だ。ちょっと里帰りに戻ってきただけで、用事が済んだらまたすぐ帰る」
「……異世界遭難者じゃなくて転生者ときたか。相変わらずワケ分かんねぇもん連れてくんな……」
……どうやらこの施設の職員みたいだが、梶川さんと顔見知りのようだ。
人を見るなり訳の分からないもの呼ばわりされて思うところはあるが、実際自分の境遇を考えると文句も言えん。
さっきの部屋の張り紙や異世界云々の話を公然としているあたり、おそらくこの施設は異世界関連の研究所かなにかだろうか。
「セレネさん、そういえば君の目的地ってどこだっけ?」
「あ、はい、●×市D町にある、C公民館の近くです」
「●×市か、ファストトラベルで行けるな」
「ファスト、トラベル?」
「……そのへんの説明も事前にしておくべきだったなー……ところで、まさかとは思うが●×市で異世界転移者絡みの事件とか報告されてないだろうな」
「ねぇな。ここ数年で国内の異世界転移者関連の組織や要注意人物はほぼ制圧済みだし」
「なら異世界絡みのトラブルに関してはまあ大丈夫か」
「でも気をつけろよ。そんな若い女の子連れて、異世界云々とか関係なく狙われたりするかもしれねぇぞ」
「この子も日本人相手なら自衛くらいはできるさ」
「アンタも職質とか受けねぇようにな。つーか、はたから見てたら中年のオッサンが外国人の女の子連れてるっていう一発アウトな絵面なんだけど……」
「……それな」
……そういう問題が出てくることは予想していなかったな。
下手したら梶川さんが社会的に死ぬ……いや、そもそも梶川さんってこっちじゃどういう扱いなんだろうか。行方不明者? 死者?
……私も似たようなものか。
施設で審査やら説明やら一通りの手続きを済ませてから、ようやく日本の公の場へ出ることが許された。
一時間近くにわたる手続きに辟易したが、これでも無理を言って短縮してもらったほうらしい。
梶川さんが『早くしないと、暴れちゃーうぞ?』と微妙にキモい口調と笑顔で説得をしてくれなかったら、丸一日潰れるところだった。
●×市にはすぐに着いた。
……というか手続きが終わった直後に、まるでテレビのチャンネルを切り替えるように周りの景色が●×市のものへと変わったんだが。
「……これが先ほど言っていた『ファストトラベル』ですか?」
「ああ。一度訪れた場所へノータイムで移動できる。君もレベルが上がってメニュー機能が解放されていけば使えるようになると思うぞ」
「便利そうですね。……?」
ん? レベルが上がればメニュー機能が解放されていく?
ということは、この人は生産職じゃなくて戦闘職なのか?
いや、今はそれどころじゃない。それよりも……。
「……ところで、お願いがあるんですが」
「ん、なんだい?」
「公民館の近くまで来たら、しばらく別行動をとらせてほしいんです」
「あー……もしかして俺が不審者扱いされるんじゃないかって気を使ってくれてる?」
「……それもありますが、しばらく一人で辺りを散歩してみたいんです。単独行動中に不審者に襲われたりしても、スキルを使えば対応できると自負しています」
「……分かった。俺とはしばらく別行動をとろう。ただ、一人だとヤバそうな状況になったらすぐに合流するからそのつもりでな」
少しは渋るかもしれないと思っていたが、案外あっさりと単独行動を認めてくれた。
これはただのわがままだ。防犯上合理的とは言えないが、どうしても一人でいたい。
この日本で、隣にいるのは、『彼』であってほしい。
「故郷へ戻ってきて、当時のことを思い出して懐かしがったりするのは俺も経験したことだし」
「……すみません」
「ただ、油断はしないようにな。俺も何度かこっちに戻ってきてるけど、いいことばかりじゃない。……当時俺にパワハラしまくってた上司に会った時なんか最悪の気分だったしな」
「そ、そうですか」
梶川さんと一時解散して、真っ先に向かったのは公民館近くの小さなアパートの一室。
かつての私が住んでいた1LDKの安い部屋は、まだ契約が切れていないようだった。
……鍵を失くした時のために、非常用の合鍵をポストの死角に張り付けておいたのが幸いして難なく入ることができた。我ながら防犯上どうかと思うが。
私がこの世界から消えてまだひと月足らずだし、自動引き落としにしておいたからガスや電気なんかのライフラインも通ったままのようだ。
キッチンも私室も洗面所も、どこも私が使っていた当時の形跡が残っている。
当時着ていた、サイズが合わない服を見つけた時にはなぜか涙が滲んできた。
私は、確かにここにいたんだ。誰にも覚えてもらっていなかったとしても、この部屋だけは私がいたことを証明してくれているようで、懐かしさとは別の何かが込み上げてくる。
……この部屋には『彼』も入れたことはなかったな。
勝手知ったる自分の部屋だ、久方ぶりに少し羽を伸ばしてもバチは当たらないだろう。
ひとまず冷蔵庫にあるジュースでも飲みながら、少し休もう。
パカッ
……。
バタンッ
私は何も見ていない。
一か月放置された冷蔵庫の中身なんか見ていない。
こんなところでダラダラとしていても何も始まらない。さっさと外に出て散策でもするか。
……アレを片付けるのは嫌だなぁ。でも誰かに片付けさせるのは気が引けるしな……。
外へ出て、特に行先も決めずにフラフラと街を歩いていると、自室とはまた違う懐かしさに満ちていた。
自動車の音や踏切の警鐘、十余年前と変わらない街並み、街を歩く人々のファッションや話し声、どれも異世界とはまるで異なるものだ。
前と違うのは、異世界の容姿に変わってしまった私自身とそれを奇異の目で見てくる人たちの視線。
自分で言うのもなんだが、日本でこの容姿はかなり目立つと思う。
……変なのに声をかけられないように気をつけないと。
自分でもどこを目指しているのか分からないまま、当時『彼』と一緒に歩いた街並みを眺めながら足を進めていく。
大して飛ばせなかったバッティングセンターや音痴でも大声で歌ったカラオケ、ガーターばかりのボーリングにうるさいだけのダンスホール。
当時は何が楽しかったのかもわからないが、きっと『彼』と一緒にいられるならどこでもよかったんだ。
そして最後には決まって、ここで夜景を眺めていた。
海岸近くの展望台で、夜の海が星空を映しているのが夜の街の明かりによく似ていたのを、綺麗だと言いながらずっと眺めていた。
まだ昼で大して人もいない展望台から眺める青い海は、綺麗ではあるが妙に虚しく目に映った。
こんなにも鮮やかなのに、彩りが感じられない。
あの夜景は黒い海に白い星ばかりの無彩色だったのに、ずっと色めいていた。
……結局、何がしたかったんだろうな私は。
一通り見て回りたい場所は回ったし、今日は買い物でもしてから帰るとしよう。
「っあっ?!」
懐かしさと虚しさを抱えながら帰路へ着こうと階段を下り降りようとしたところで、足を滑らせた。
その時、危機感よりもデジャヴを先に感じた。
『彼』と初めて出会った時も、確か―――
「おっと、大丈夫かい?」
「……え?」
こんなふうに、バランスを崩しかけたところを支えてもらったんだ。
あの時と同じ、まったく同じシチュエーションで、あの時の優しい顔のままの『彼』が、私の体を支えてくれていた。
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「はぁ~~~……こっちに来るならあらかじめ言っておいてほしいぜまったく」
「いや異世界からどういえばいいのかって話ではあるんだがな」
「でもこうして手続きをしてくれるだけまだマシさ。面倒だからって好き勝手に通られちゃたまったもんじゃない」
「それに今回はたった二人だけで済んでよかった。こないだなんか十人近く異世界から救助してくるもんだから受け入れ先を探すのに大変だったぜ」
「……ん?」
「どうした?」
「いや、通ったのって二人だけだよな?」
「ああ、監視カメラにも二人だけしか映ってないだろ?」
「なんか、空間数値が三人分増加してるみたいなんだが、あれ? 計算間違いかな?」




