本当になんて長い回り道
気が付けば500話突破。
キリのいい数字ですが、終わりまでもう少しだけお付き合いいただければ幸いです。
「お待たせっすー、ガトーバスクとミルクティーのセットでーす」
「どーも。ではいただきます……お、このバスクいけるな。あのちびっ子たちがよくここまでのモノを作れるようになったもんだ」
「ふっふっふ、自分も作るの手伝ってるんすよー。今日はサービスデーっすからミルクティーのおかわりが一杯まで無料ですけどどうします?」
「いただくよ。あと、バウムクーヘンを追加で頼む」
「はいはーい、ミルクティーおかわりとバウム追加っすねー」
「……」
会話の途中で運ばれてきた茶菓子を口にしながら店員と仲良さげに話している様を見ていると、休日を満喫しているごく普通の中年男性にしか見えない。
だが、警戒を緩めることはできない。
もしもあの地獄の関係者だとしたら、私がこの世界へ飛ばされた原因はこの人かもしれないんだ。
「先に言っておくけど、俺もあの場所についてはよく知らない。必要に迫られてやむなく足を運んだことはあるが、できればあまり近付きたくないところなんでね。だからそう警戒しないでほしいな」
「……足を運んだ? あの場所への行き方を知っているんですか?」
「まあね。当時は正攻法で行こうとして死ぬほど大変だったけど、今ならすぐにでもそこへ向かうことができるよ。行きたくないけど」
「あの場所は、なんなんですか?」
「分からない。世界のバグを押し込んだ場所だとかメニューが言ってたけど、正直意味不明すぎて理解が追い付かなかったな。君もそうじゃないか?」
「……はい」
あの扉だらけの通路で、ドアを開くたびに訳の分からない場所へ足を踏み入れる羽目になったことは今でも覚えている。
赤い草原に佇む赤い一つ目の怪鳥が私を睨んできた世界や、影をさまよう怪物が跋扈する世界、巨人、あるいは小人が生活する世界なんかもあった。
「ただ自宅で寝ていただけのはずなのに、気が付いたらあの扉がどこまでも並んでいる通路へ飛ばされていて、何度も死にそうになりながら彷徨っていました」
「うん、まあ予想通りだな。日本人が21階層へ神隠しに遭うケースは数多くあるみたいだが、この世界へ辿り着いたのは君と吉良さんくらいか」
「吉良さん?」
「あー、その人は異世界旅行者みたいなもんだからあんまり気にしないで。それで、君は転移者じゃなくて転生者みたいだが、探索の途中で亡くなったということでいいのかな?」
「はい。いくつかの場所を通過して、どの扉も危険すぎて開けるべきではないと判断して、ひたすら通路を進んだ先にあった出口らしき扉を開いた先で……」
「……出口?」
これまでリラックスした様子だった梶川さんが、茶菓子を口へ運ぶ手を止め、疑問符を浮かべて困惑している。
何か変なことを言ったのだろうか?
「出口というと、通路の突き当りに到達したっていうことかい?」
「はい。横の壁や天井や床でもなく、明らかに終点というか行き止まりにある扉でした」
「……ひょっとして、扉の先ってこんな感じだったりした?」
「え? ……っ!!」
梶川さんがスマートホンをどこからともなく取り出し、一枚のフォトを見せてきた。
画面には、出口の先で見た宝石の城のように美しいレリーフが描かれている景色が映し出されていた。
忘れようもない、私が死んだ場所の景色がそこにはあった。
「ここだ……! この場所で、私は……」
「……まさか21階層から20階層へ逆走してきたっていうのか? 運がいいのか悪いのか……」
「この先で、霧の中から生まれたライオンみたいな化け物に襲われて、噛みつかれるのと同時に持っていた銃で頭を撃ち抜いて、倒して、それで……」
カタカタと、何かが連続してかち合う不快な音がする。
奥歯が、いや、全身が震えている。寒気がする。うまく息ができない。苦しい。嫌だ。
これ以上、思い出したら、でも、思い出さないと……!
「! 落ち着け、無理に思い出さなくていい! 顔が真っ青だぞ!」
「わ、わたしは、あの、ばしょ、で……」
梶川さんが何か言っているけれど、よく聞こえない。
自分が今、どんな感情を抱いているのか分からない。
あの化け物を倒した後に、何があった?
あの時の私は、いったい何を感じていた?
怖い。苦しい。不安。絶望。それら全部? それとも、そのどれでもない?
ああ、そうだ。
あの時の私は、悲しかった。
ただなぜか、すごくかなしかったんだ。
「そぉい!!」
「もぐがっ?!」
思い出している最中、口の中に強烈な圧迫感が襲い掛かってきた。
次に感じたのは甘味。バターとカスタードクリームにメイプルシロップの味が混ざった、芳醇な甘さが口の中に広がっていく。
梶川さんが、シロップをたっぷり塗りたくったバスクを私の口の中に押し込んできたんだ。
い、いきなり何を……!?
「はいはい、一旦ストップだ。これ以上はやめておけ。このシロップには心を落ち着かせる作用があるらしいから、ゆっくりよく味わいながら食べなさい」
「も、もぐごもご……!」
急に口の中へ菓子を詰め込まれて、文句を言おうにもこのままでは何も話せない。
業腹だが、言われた通り咀嚼してから飲み込まなければ……あ、よく味わってみると確かに美味しいなこのバスク。
バスクなんて他の店じゃ見たこともなかったんだが、まさかこの店の店主が独自に開発したのか? ……どうでもいいか。
益体のない思考混じりにひとしきり味わい尽くしてから嚥下し、口内に残った欠片をミルクティーで流し込んだところでようやく落ち着いた。
「……すみません、取り乱しました」
「無理もないよ、死んだ時のことを思い出すなんて本来あり得ないことだしね」
……死ぬ直前の記憶が、どうにも曖昧だ。
こちらの世界で14年近くも過ごしてきたためか記憶が薄らいできているのかもしれないが、それ以前に何か重要なことを忘れている気がする。
ただ確かなのは、私は他者からの暴力によって命を落としたということ。
そして、二度とそれに屈しないために戦闘職を目指すようになったんだ。
「……ところで、先ほどあの扉だらけの場所のことを『21階層』と呼んでいましたが、もしかしてどこかのダンジョンの深部なのでしょうか?」
「ああ。『ダイジェル』っていう街の近くにあるダンジョン最深部のさらに先に存在する」
「なら、そのダンジョンを攻略して最深部へ辿り着けば、またあの通路へ戻ることができるということですか?」
「待て待て、まさか君は21階層へ戻るつもりなのか?」
「はい。日本へ帰るために、今一度あの通路を探索したいんです」
とうとう日本へ帰還できる可能性のある情報を手に入れることができた。
あの21階層とかいう場所はあらゆる異常地帯に繋がっていたが、過去の日本に似た世界へ繋がっていることあったし、もしかしたら現代の日本へ繋がっている扉も存在するかもしれない。
もうこの世界から日本へ帰る手段などないと諦めかけていたが、希望が見えてきた。
しかも梶川さんは21階層へすぐ辿り着ける手段を持っていると言っていた。
あの場所へ送ってもらえさえすれば、日本へ帰還するための探索に挑戦できるということだ。
しかし、そのためにはまず成人して戦闘職になってレベルを上げて戦闘能力を上げて生存力を高めてから挑まなくては。
「確率が低いのは百も承知です。しかし、どうしても私は―――」
「いや、んなことしなくても日本への直通ルートなら開通してるけど」
は?
……は?
「……ちょ、直通ルートが開通って、え、いや、え?」
「だから、もう日本へ繋がってる扉ならとっくの昔に見つかってるぞ」
「それは、いつごろに発見されたのですか?」
「君が生まれる前くらいから」
………………。
ふざけるなぁぁあああああ!!!
日本へ帰るために私がこの十数年どれだけ駆けずり回ったと思ってるんだ!!
どれだけ資料を調べてもどんなに時間をかけても見つからなかった帰還方法が、既にもう確立されていたうえにその手段を持っている人間がすぐ近くにいただと!?
なんで、なんでもっと早くこの人に会うことができなかったんだ私は!!
「………死にたい」
「お、おい、どうしたんだ? FXで有り金全額溶かしたような顔してるぞ」
もう嫌だ。なんて徒労感だ。なんて馬鹿馬鹿しい遠回りをしていたんだ私は、
疲れた。もう疲れた。このままなんか有名な絵の前で犬と一緒に召されたい気分になってきた……。
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「お待たせしましたっすー、こちらミルクティーのおかわりとバウムクーヘンに……あれ、そちらのお客さんテーブルに突っ伏してるっすけど、どうかしたんすか?」
「さあ……? 話してる途中で急に撃沈したんだが……ああ、アップルパイとシフォンとガトーショコラ追加で」
「あんまり食べ過ぎると太るっすよー。いや、なんかやつれてるみたいだしちょっとくらい太ったほうがバランスとれそうっすね」
「……色々あってな。太るといえば、お前のお袋さんのことだがお菓子の試食のしすぎでちょっとぽっちゃりしてたみたいだが、あれ大丈夫なのか?」
「お母さんならおばあちゃんのところでダイエット中っす。毎日ヒィヒィ言いながらガンガン痩せてるっすよー。そろそろ元の体型に戻りそうっす」
「それはなにより。あの体形のままじゃどっかに忍び込もうにも天井とかぶち破りそうだったしな」
「ぶふっ、お母さんが聞いたら怒るっすよ?」
「いや事実だし」
「こないだお父さんが似たようなこと言って壁にめり込んでたんすけど、チクりましょうか?」
「……店員さん、カスタードプリン追加で。俺のおごりだからそっちで食べてていいよ」
「毎度ありっすー」
ロナもそろそろ書き始めましょうか。




