第7章 「大和川での現場検証 敵はサイバー恐竜残党?」
県立御子柴高等学校から目と鼻の先の距離にある大和川は、堺県と大阪府を隔てる県境にもなっている。
この一級河川の対岸は、大阪府の府庁所在地である大阪市だ。
そして、川のこちら側は堺県の県庁所在地がある堺市なんだから面白いよね。
何しろ、2つの県庁所在地が並んでいるんだからさ。
浅香山駅を出発して我孫子前駅へと向かう南海高野線の難波行き各停電車を左手に見ながら、私はレーザーライフルを控え銃の体勢で構えてひた走った。
いわゆるハイポート走という奴だね。
「皆様、お疲れ様です!吹田千里准佐、只今到着致しました!」
「お疲れ様です、吹田千里准佐!」
河原の石を踏みつけ、黄色いバリケードテープを潜った私は、現場の封鎖と治安維持の任務に従事している特命機動隊の子達が行う捧げ銃の敬礼に、レーザーライフルを用いた銃礼で応じると、ビニールシートに覆われた塊に近づいた。
「お疲れ様です、吹田千里准佐。私は、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局特命警務隊捜査課第3班主任。長堀つるみ上級大佐です。」
そこで私を待っていたのは、黒いパンツスーツをスマートに着こなした黒髪セミロングの特命捜査官だった。
特命警務隊に所属している特命捜査官は、特命遊撃士の上部団体である特命教導隊から選出されるエリートなの。
私達が対応するような事件に関連する捜査や現場検証、そして人類防衛機構内部の規律や治安の維持などが、その主要任務なんだよ。
人類防衛機構に留まった場合における進路先の1つとして、視野に入れておきたい職種の1つだね。
「はっ!お疲れ様です、長堀つるみ上級大佐!自分は、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局所属の特命遊撃士、吹田千里准佐であります!」
先程、特命機動隊の子達が私にしてくれた捧げ銃の敬礼を、今度は私がスマートに決める。
何せ、相手は私よりも4階級上の上級大佐殿だもの。
さっきの銃礼程度では、失礼にあたっちゃうよね。
「楽にして下さって構いませんよ、吹田千里准佐。それでは早速ですが…お手柄ですね、吹田千里准佐。」
捧げ銃の姿勢を解いた私に、長堀上級大佐は頬を緩めて笑った。
「お手柄でありますか…?オペレータールームの情報では、自分がレーザーライフルで撃墜した標的は、敵性生命体であると伺いましたが…」
「ええ…でも、ただの敵性生命体じゃないのよ。これを見て貰えるかしら?見ていて気持ちの良い物ではないし、臭いも酷い物だけどね…」
口元を覆って屈み込んだ長堀上級大佐は、ブルーシートを一気に捲り上げた。
「うっ!?」
長堀上級大佐が保証した通りの、強烈な悪臭だったよ。
民間人だと、ご飯をしばらく食べられなくなるレベルだろうね。
色々な修羅場を乗り越えた私達だから、まだ我慢出来るけどね。
腐敗が著しいものの、太古の恐竜を彷彿とさせるフォルムは健在だった。
「こいつは…サイバー恐竜!?」
「そう。その翼竜型ね、吹田千里准佐。」
プテラノドンに酷似した怪物の身体は、メタリックな外装で覆われていた。
大きく吹き飛んだ腹部からは、機械とも臓器ともつかない物体が零れている。
バイオテクノロジーで甦らせた恐竜に、ナノマシンによる生体改造やサイボーグ手術を施した生体兵器。
それが、サイバー恐竜だ。
3年前、堺県最南端の市である河内長野地区を恐怖のドン底に叩き落とした、悪名高き「サイバー恐竜事件」で初めて確認された脅威でもある。
「サイバー恐竜は3年前、河内長野地区で全滅したと存じておりますが…この個体は、彼奴らの生き残りでありますか?」
驚愕の表情を浮かべる私に、長堀上級大佐は小さく頷いた。
「恐らくはね。でも、驚くのはこれからよ、吹田千里准佐。」
長堀上級大佐にアイコンタクトを送られた特命機動隊の曹士2名が、小さく黙礼で応じた後に、サイバープテラノドンの首を持ち上げる。
その体液が猛毒である可能性を考慮して、分厚い強化グローブでガッチリとガードした両手でね。
屈んで覗き込んだ私は、今再び驚愕に大きく両目を見開いた。
「これは…人の顔でありますか、長堀上級大佐?」
全身メタリックなサイバープテラノドン。
その喉元に、白くて丸い模様がついている。
それが人間の顔である事を認識するのに、少し時間がかかってしまったのは、本来では人間の顔がついているはずのない場所だったからなの。
喉元の顔は、苦悶の表情を浮かべた初老男性の死に顔だった。
凄絶な断末魔の表情は、文字通りのデスマスク。
一般人の小さい子が見たら、トラウマになる事は確実だろうね。
「自分は、この顔に何処かで見覚えが…」
「この男かしら、吹田千里准佐?」
長堀上級大佐が示したタブレット端末の液晶画面。
そこに表示されていたのは、サイバープテラノドンの喉元に貼り付いているのと全く同じ顔をした初老男性だった。
もっとも、サイバープテラノドンの姿ではなくて、ごく普通の人間と変わらない、グレーの背広姿をしていたけれども。
「生物学博士・大野総一郎。西日本学園大学生物学部の元教授。恐竜の蘇生と生体改造を提唱したため、学会から追放される。元化22年に発生した、『サイバー恐竜事件』の首謀者。貴官の記憶にあるのは、この人物で間違いありませんね、吹田千里准佐?」
「はっ!間違いございません、長堀つるみ上級大佐!」
タブレット端末に表示された事件ファイルの来歴欄を読み上げる長堀上級大佐に、私は敬礼しながら肯定の意思を示した。
「しかしながら、長堀上級大佐。大野総一郎博士は3年前の事件の際に、サイバー恐竜に捕食され、その死亡が確認されていたはずですが…」
無言で頷いた長堀上級大佐は、手にしたタブレット端末に新しい画像を表示する事で、そんな私の異論に応じたんだ。
それは、3年前に発生した「サイバー恐竜事件」の、特命警務隊による現場検証の資料写真だった。
おびただしいコンクリート片は、進退極まった大野博士が解放したサイバー恐竜によって破壊された、大野生物学研究所の成れの果てだ。
コンクリート片と実験設備の残骸の真ん中で、1人の男性が座り込んでいる。
背中を丸めたその姿勢から、失意と絶望にうちひしがれているようにも見えたけれども、その表情を伺う事は出来ない。
出来るはずもないよね。
何故なら、男性の首から先は強烈な力で引き千切られていたんだもの。
グチャグチャな首の断面から迸った大量の鮮血が、男性の紺背広と周囲のコンクリート片を真っ赤に染め上げている。
「サイバー恐竜の殲滅が確認された後、我々が現場検証を行った際に発見したの。解放したサイバー恐竜に捕食されたと、その時は判断したんだけど…」
「しかし実際には、サイバープテラノドンに捕食される事で一体化し、まんまと逃げ遂せていた…」
私の独り言に、長堀上級大佐も頷いてくれた。
「恐らくは。吹田千里准佐の同級生を狙った理由は、サイバープテラノドンの捕食本能が、博士の理性を上回ったという仮説も立てられるわね。詳しい事は、こいつの解剖を待たないとね。いずれにせよ、3年前の事件に新しい動きが生じて、事件の首謀者を射殺出来たというのは快挙と言っていいわ。それに吹田千里准佐。貴官にとって『サイバー恐竜事件』は、特別な思い入れがあるはずよね?」
「おっしゃる通りであります、長堀つるみ上級大佐…」
思い入れがあるとか無いとかいう次元ではない。
何しろ、「サイバー恐竜事件」は、特命遊撃士養成コースを修了して間もない私達が、初めて経験した実戦だからだ。