第18章 「飛び込め、放課後の美術室へ!」
特別教室棟の一角に設けられた美術室。
その引き戸の前で立ち止まった私は、気がかりな事に思い至ったんだ。
「そう言えば、英里奈ちゃん…放課後は美術部が使用しているんじゃなかったっけ、美術室って?このまま入っちゃって大丈夫かな?」
「おっしゃる通りですね、千里さん…」
とはいえ、このまま2人で顔を見合わせていても、何も始まらないよね。
「まあ…最悪、『美術部の見学』という事にでもすればいいかな。それか、『私達、ヌードモデルの志願に来ました!』とか!」
「ちょっと、千里さん…それは…!」
さすがに英里奈ちゃんには、この冗談はキツかったかな?
まあ、いいや。四の五の言わずに開けちゃおう!
「堺県立御子柴高等学校美術部の皆さ~ん!堺県第2支局所属の特命遊撃士、吹田千里准佐が他流試合を申し込みま~す!お取り次ぎ願いま~す!」
冗談めかして無茶苦茶な挨拶を大声で行った私は、その勢いに任せて、美術室の引き戸を思いっきり張り開けたの。
そうして引き戸を開けた先に立っていたのは、私と英里奈ちゃんがよく知る黒髪サイドテールの少女だった。
「あっ、マリナちゃん…待ち人ってマリナちゃんだったの、やっぱり?」
「丸聞こえだぞ、ちさ…美術部の人達を見てみなよ、苦笑してるよ。」
美術室には、イーゼルに固定されたキャンバスと睨めっこしている真っ最中な美術部員の子達が何人もいたんだけど、誰も彼もが自分の課題とがっぷり四つに組み合っていて、とても私達の事なんて眼中になさそうだよ。
私からすれば、一番苦笑して呆れているのはマリナちゃんだと思うけどな。
「あ~あ、全部聞こえちゃってたのか…そう言えばさ、マリナちゃん。私の待ち人って誰なのかな?」
さっきの「ヌードモデル」や「他流試合」のくだりを掘り下げられても困っちゃうからね、さっさと本題に入ろうか。
「ちさ、それはね…」
「私だよ、吹田さん!」
美術室の奥から響いた聞き慣れない叫び声が、気を取り直したマリナちゃんの声を遮ったの。
声がした方向に注目すると、赤いブレザーとダークブラウンのミニスカに身を包んだ一般生徒が、机の天板に手をついて、特別教室名物である背もたれのない椅子から立ち上がろうとしている所だった。
しかし、その動作はぎこちなくて覚束無い。
手垢のついた比喩表現で恐縮だけど、まるで生まれたての子鹿みたいだよ。
「うっ!」
その一般生徒はついに力尽きてしまい、彫刻刀の切り傷やアクリル絵の具の汚れが残る机に突っ伏しちゃったの。
この子、どうしてこんなに足腰が覚束無いのかな?
「あっ…!大丈夫、豊中さん!?」
大慌てで駆け寄る京花ちゃんが呼ぶ名字を耳にしても、英里奈ちゃんよりも濃い目な色合いの茶髪を三つ編みに結い上げた、いささか地味目の一般生徒の事は、私にはピンと来なかったな。
「私の首に手を回して、豊中さん!」
大浜大劇場の時のマリナちゃんのように、美術室の床にそっと屈み込んだ京花ちゃんは、一般生徒の膝下と背中に手を差し入れた。
「あっ…ありがとう、枚方さん…」
京花ちゃんにお姫様抱っこの体勢で抱えられた一般生徒の顔は、少し紅潮していたの。夕陽のせいにしては色が不自然だね。
「どういたしまして。遠慮せずに体重を預けてくれて大丈夫だからね、豊中さん!私達、生体強化ナノマシンで改造されているから、ちょっとやそっとの重さではビクともしないよ。」
「ちよっと、枚方さん!私、そんなに重くないですよ!」
このように抗議する一般生徒の頬から、赤い色素がみるみるうちに抜け落ち、表情も真顔に戻っていくね。
京花ちゃんへの胸のトキメキも、一気に醒めちゃったか。
「私がそっちに行くから大丈夫だよ、京花ちゃん!」
「あっ、千里さん!」
一般生徒がいる方向に駆け出した私の後を、英里奈ちゃんが追う。
あの一般生徒も文句を言った手前、そのまま京花ちゃんにお姫様抱っこをして貰うのは気まずいからね。
「立てるかな、豊中さん…?」
「うん、ありがとう…肩を1回だけ貸して貰えたら、後は机に寄り掛かれば何とかなると思う…」
京花ちゃんからの最小限の介助でどうにか立っている一般生徒の右足を見て、ようやく私は、この一般生徒が何者なのかを思い出す事が出来たんだ。
ダークブラウンのミニスカから覗く白い足は紺色のソックスに包まれており、同性の私から見ても、実に健康的な色気に満ちていた。
ただし、それは左足に限っての話。
右足の膝から太ももにかけては、白い包帯が厳重に巻かれているけれど、その包帯も、今や赤黒く変色している。
そりゃ確かに、これだけ深い傷口だったら無理に歩けないよね。
下手をしたら、せっかく治療した傷口が開いちゃうよ。
「千里さん、こちらの方は?それにしても、ひどい傷ですね…」
痛ましそうな表情を浮かべる英里奈ちゃんだけど、英里奈ちゃんにも見覚えがないみたいだね、この一般生徒。
「ほら!2限目の体育のソフトボールで、スライディングをやって膝をザックリ怪我した子だよ!」
「あの、吹田さん…確かに合ってるけど」
私の紹介を聞いた三つ編みの一般生徒が、物凄く微妙な顔をしているな。
そりゃ確かに、「怪我をした子」という認識が不本意なのは分かるんだけど、私には他の情報がないからなあ…
「この子は豊中秀代ちゃん。私やマリナちゃんと同じB組の一般生徒だよ。」
いつでも介添人が出来るようにと一般生徒の傍らに寄り添った京花ちゃんが、助け船を出すように紹介をしてくれる。
別のクラスで、おまけに一般生徒だったら、私や英里奈ちゃんがピンと来ないのも仕方ないよね。何だか言い訳がましいけど。
「先生から聞いたよ!さっきの体育の時間、吹田さんが私を助けてくれたんだって!私、吹田さんにお礼を伝えたくて!それと私…吹田さんには、謝らないといけない事があるの!」
足に負担が掛かるのも構わずに、一気に思いの丈を言い切る豊中さん。
「えっ…?豊中さん、謝るって一体どういう事?」
私、豊中さんに嫌な事をされた覚えなんてないよ。
「吹田さん達は特命遊撃士として、私達を守るために毎日頑張っている。なのに私、窓からライフルを持って飛び降りてきた吹田さんを、『怖い…』って思っちゃった…」
沈んだトーンで淡々と語る豊中さんの声が、段々と震え出している。
そんなに負い目に感じなくても構わないのにね。
だって豊中さんは、平和な世界観の中で生きている一般生徒なんだよ。
銃声が響いたら驚くし、武装した人間が飛び降りてきたらギョッとするよね。
それが普通の感覚だよ。
「吹田さんは私の事を、サイバー恐竜から守ってくれたのに…それなのに…それなのに私ったら…」
とは言え、泣かれちゃうと、正直言って気まずいなあ…
何とかしないと。
とりあえず私は、遊撃服のポケットから清潔なハンカチを取り出すと、豊中さんの目元をソッと拭いてあげる事にしたの。
ひとまずは、これで良し。
さてと…
私はこの後、豊中さんに何と声をかけたらいいのかな?