第17章 「放課後校舎は茜色。」
こうして午後の授業も無事に終えて、掃除とホームルームを無難にこなした私達は、何事もなく放課後を迎えたんだ。
帰宅部の子達は他愛もない話をしながら三々五々と家路を辿り、何らかのクラブに入部している子達は、その準備に余念がない。
特命遊撃士や特命機動隊の曹士で、放課後にシフトを入れている子達は、同じシフトに入っている友達とお喋りしながら教室を後にしていく。
本当に何事もない、いつも通りの平凡な放課後だよね。
いつも通りで平凡なのが、実は一番良い事なんだよ。
でも、当たり前にある時はそれに気づかなくて、失ってみて、その有り難みが初めて分かるのかも知れないね。
「さて…それでは行きましょうか、千里さん。」
「うん!行こっか、英里奈ちゃん。」
私は英里奈ちゃんに促されて、荷物一式を手にして教室を後にした。
通学カバンに、個人兵装であるレーザーライフルを収納したガンケース。
ここまではいつも通りの手荷物だけど、それに描きかけの画用紙が加わるのは、今日が初めてだな。
それに、こうして放課後の校舎に留まるのも、私と英里奈ちゃんにとっては、何気に珍しい事なんだよね。
放課後にシフトを入れている日は、4人で仲良くお喋りしながら支局に向かうし、シフトのない日はゲームセンターや居酒屋などに遊びに行くしで、どっちにしても、さっさと御子柴高校の敷地から出ちゃうんだよね。
こうして放課後の校内に留まってみると、放課後の高校というのは独特の趣があるなと、改めて気付かされるよね。
昼間はあんなに賑やかだった通常教室棟なのに、今は人影なんか1つもなくて、黄昏と静寂に包まれている。
主を失った机と椅子が整然と並ぶ教室には、オレンジ色の夕日が差し込んでいて、何とも言えない郷愁に胸が締め付けられちゃうよ。
放課後の通常教室棟が「静」のイメージならば、「動」のイメージはやっぱり、運動場と体育館だよね。
体育会系クラブに所属する一般生徒達が、健康的な汗を美しく迸らせながら、その若き肢体を自由闊達に躍動させている。
まさにこれこそ、青春の1ページ。
しかし、この風景もいつか必ず、思い出になる日がやって来るんだよね…
「ゴメンね、英里奈ちゃん。私の美術の課題のために、英里奈ちゃんまでモデルとして付き合わせちゃって…」
「え…千里さん?」
柄にもなくセンチメンタルな気分になってしまった私は、思わず英里奈ちゃんに話し掛けたくなってしまったの。
多分、私の傍らで歩いているはずの親友が、思い出の中の存在などではなくて、今この場に血肉を備えて存在しているという実感が欲しかったんだろうね。
その実感が得られさえするのならば、話題なんて何でも良かったの。
取り敢えず思い付いた話題が、英里奈ちゃんまで私の居残りに付き合わせてしまったという申し訳なさなんだよね。
「何をおっしゃいますか。私と千里さんの仲では御座いませんか。そのような水臭い事をおっしゃるのは、お止しになって下さいませ。」
このように言いながら上品に笑う英里奈ちゃんの横顔を、廊下の窓から差し込んで来るオレンジ色の夕日が、美しく照らしていた。
気品のある御嬢様って、微笑むとホントに絵になるよね。
「まあ…もしも千里さんが、どうしても申し訳なく感じてしまうのでしたら、私にワインを1杯御馳走して下さいませ。私としては、それで構いませんよ。」
いわゆる、「目に見える形としての誠意」という奴なのかな。
「ホントにワインが好きだね、英里奈ちゃんは…さすがに、ロマネ・コンティやドンペリみたいなのは勘弁してよ。お給料が幾らあっても足りないからね。」
私がロマネ・コンティとドンペリの名前を出すと、英里奈ちゃんはクスッと吹き出しちゃったんだ。
いかにも成金御用達な組み合わせだから、吹き出すのも無理はないよね。
今時、ロマコンのピンドン割りなんて流行んないよ。
「さすがに私も、そこまで厚顔無恥ではございませんわ、千里さん。千里さんの思いが込められてさえいれば、それで私は満足です。そうですね…強いて贅沢を申せば、バーテンの方を経由する形で御馳走して頂ければ…」
「ああ…『あちらのお客様からです。』みたいな感じかな?」
軽く微笑んで、私に小さく頷く英里奈ちゃん。その解釈で正解なんだね。
「あっ!英里奈ちゃんも、そういうのに興味があるんだね。昔のトレンディドラマでよくあるシーンだね。」
「本当は、見知らぬ方のオーダーを行うのは御法度らしいですね。しかし私達の仲でしたら、バーテンの方も、察して下さるでしょう。それに何よりも、ムードとロマンがございますからね…」
このような何気無いお喋りをしているうちに、私達は通常教室棟を通過して特別教室棟に到達し、いつしか美術室の前に並んで立っていたの。
仲良しの友達と交わすお喋りって、どうしていつもこんな風に、体感時間が短いんだろうね。