第16章 「遅れたデッサン課題…居残り提出の予兆」
「モデルが良いと筆も進むし、描き手としても気分が乗って来るよね!そのせいか、英里奈ちゃんが描いたマリナちゃんのデッサン、先生が物凄く誉めてくれていたんだよ!千里ちゃんにも見せてあげるね!」
「あっ!止めて下さい、京花さん…」
遊撃服の内ポケットからスマホを取り出した京花ちゃんを、英里奈ちゃんったら大慌てで制止させようとしているな。
どうやら京花ちゃんは、提出前の英里奈ちゃんの人物デッサンを、こっそり写メしていたようだね。
「良いじゃないか、英里。実際、先生は絶賛していた訳だし、A組のアオとつるんでいるフレ公も、『悔しいですが、認めざるをえないようですわね…』ってお墨付きをくれたじゃないか。御実家の家業が美術商なだけあって、フレ公の観察眼は確かだからね。」
マリナちゃんったら、フレイアちゃんに凄いニックネームを付けているね。
確かにフレイアちゃんの御実家は公爵家だけど、「フレ公」だなんて。
まるで忠犬ハチ公みたいだよ。
葵ちゃんの「アオ」ってニックネームは、まだ分かるけど。
そもそもフレイアちゃんは、このニックネームを承諾しているのかな?
「ホントに凄いんだよ、千里ちゃん。ジャジャ~ン、っと!」
京花ちゃんが保証した通り、スマホの液晶画面に表示された英里奈ちゃんのデッサンは、確かによく描けていた。
マリナちゃんのクールな特徴を上手く捉えて、その特徴を適度に誇張した事で、威風堂々とした趣が備わって、ヨーロッパの王侯貴族の肖像画を思わせる気品や風格さえ感じられたね。
「上手いじゃないの、英里奈ちゃん。このデッサンのマリナちゃんなんて、まるでヨーロッパの王子様みたいだよ。」
「いえ、昔取った杵柄ですから…幼稚園から小学校低学年までの間は習い事漬けでした…その中に、美術もありましたので…」
そうやって謙遜する英里奈ちゃんの表情は、少し寂しそうだった。
戦国武将の生駒家宗を御先祖様に持つ英里奈ちゃんの御実家は格式高い旧家で、御両親や使用人の方々は英里奈ちゃんを家名に恥じない立派な跡取り娘にするべく、相当に厳格な教育方針を取ったらしい。
躾や礼儀作法を厳しく叩き込まれ、名家の跡取り娘に相応しい教養を身につけさせようと、習い事で雁字搦め。
茶道に華道、バイオリンに薙刀は、英里奈ちゃん本人から聞いた事があるな。
その上で美術もやっていたとはね…
ところが、厳格過ぎる教育方針が裏目に出てしまい、すっかり萎縮してしまった英里奈ちゃんは、気弱で引っ込み思案な臆病者に育ってしまったの。
そんな英里奈ちゃんだけど、特命遊撃士に任官されて私達やユリカ先輩と出会った事で、少しずつ明るくなってきているんだ。
とはいえ、厳格過ぎる教育方針で萎縮してしまっていた幼少時は、英里奈ちゃんにとっては辛い時期だったみたいだね。
過密に詰め込まれていた習い事の1つに美術があって、その時に叩き込まれた技術は今も英里奈ちゃんの中に息づいている。
しかし、身体に染みついた美術の技量が、習い事でギチギチに拘束されていた幼少時を思い起こさせてしまうので、誉められても素直には喜べない。
名家の御嬢様というのも、気苦労が多くて大変だよね。
「あ…ゴメン、英里奈ちゃん…」
知らなかったとはいえ地雷を踏んでしまった京花ちゃんが、ばつの悪そうな表情で謝罪する。
「いえ…京花さんのせいではありませんから…」
英里奈ちゃんはそう言うけれど、空気が重たくなっちゃったな。
私、こんな重たい空気には耐えられそうにないよ。
「ああ~!私どうしようかなぁ…途中で抜け出したから、私のデッサン、のっぺらぼうなんだよね~!」
随分と大袈裟な溜め息をつき、オーバーリアクションで頭を抱える私。
力技で話題を変えるという意味もあるけれども、実際問題として気に掛かっていた事でもあるからね。
「のっぺらぼう…?ああ、確かにね!」
「やむを得ない事とは言え、目鼻も口も描かれていないデッサンの中の私からは、何とも不思議な雰囲気が出ていましたね。」
良かった…京花ちゃんと英里奈ちゃんの表情に、笑みが戻っているよ。
私が三枚目を演じる事で、私達4人の関係に暗い影を落とすのを防げるのなら安い物だよ。
そのためだったら幾らだって、私は道化を演じられるんだ。
そんな私の肩を、ほんの少しだけ改まったマリナちゃんが軽く叩いてくるよ。
「その事なんだけど…ちさ、放課後に少し、面を貸してくれないか?」
「放課後に面を貸す?もしかして…愛の告白?それとも果たし合い?」
マリナちゃんが、そういう意図でこの話題を振っていないという事は、私だって百も承知だよ。
だけど私としては、この場の空気をもう少し軽くしておきたいんだよなぁ。
この流れを完全に変えておかないと、さっきの調子にまた逆戻りしないとも限らないからね。
だからもう少しだけ、私に道化を演じさせてちょうだいね、マリナちゃん。
「一昔前のラブコメやヤンキー漫画の読み過ぎだよ、ちさ…それだと、体育館の裏側か屋上位にしか呼べないよ…」
マリナちゃん、空気を読んだツッコミを入れてくれて、本当にありがとう。
「とにかく、来れば分かるから。場所は美術室で。持ち物は、画材セットの鉛筆と描きかけのデッサン。それと、ちさに引き合わせたい人もいるしね。」
画材セットの鉛筆と描きかけのデッサンは分かるけれど、私に引き合わせたい人って誰なんだろうね。
その後マリナちゃんに何度か問い掛けてみたけれども、「来れば分かるから。」の一点張りだし…
まあ、放課後に美術室へ行ってみれば、全ては明らかになる事だよね。
こうして昼休みで英気を存分に養った私達は、各々の教室に戻ると、午後の授業の準備を始めたんだ。
正直に言って、放課後の待ち人が気になって仕方がないんだけれど、勉学を疎かにしてはいけないよね。
特に5限目の現代文は、我が1年A組の担任である松ノ浜先生が受け持つ科目なんだから、チャランポランな授業態度は御法度だよ。
別に6限目の数Ⅰを軽んじるつもりなんて、更々無いけどね。